最終頁 親不孝者から亡父へ

この親にしてこの子あり?  薩摩守の独断と偏見で一〇人の「偉人の親」をセレクトし、解説してみた。そのセレクション基準は曖昧で、我ながら、「何でこいつを選んだんだろう?」と思う者もいれば、「何であの人を選ばなかったのだろう?」と思う者もある。それこそ独断と偏見で、明確な基準等も受けぬまま、好き嫌いは別にして自分が触れてみたいと思った者を触れたと思う。

 だが、一つだけ一〇人、厳密には一〇組の親子には共通するものがある。程度の差こそあれ、「似た者親子」と云うことである。「蘇我稲目蘇我馬子」、「藤原兼家藤原兼道」、「足利義詮足利義満」「北条氏綱北条氏康」「陶興房陶晴賢」、「織田信秀織田信長」、「松平広忠徳川家康」、「伊達輝宗伊達政宗」、「徳川綱重徳川家宣」、「野口シカ野口英世」………一般には「似てねぇよ!」と云われる親子もあると思うが、薩摩守は詳細に調べればやはり親子は似たものだと思われてならなかった。

 勿論、本作で取り上げた親子以外にも似た者親子はいっぱいいるだろうし、親子だからと云ってすべてが似る訳でもないし、源平藤橘、北条、足利、細川、武田、織田、徳川、と歴史に大勢の身内を輩出してる家系ともなれば、中には「とても同じ一族とは思えない……。」と云いたくなるほど似ても似つかない者達もいるだろう。
 薩摩守が取り上げた一〇組の中にも、「似ている」と云っても程度の差はある。では何故か?

 結論からいれば遺伝学と環境教育額の問題になると思う。勿論薩摩守はその道の専門家ではないのでエラソーなことは云えないのだが………。
 「親に似ぬ子は鬼子」と云う諺があるほど親子が似るのは古来当たり前とされて来たし、実際、髪や眼の色、顔の輪郭、無意識にとる行動、その他赤ん坊が生まれ持ってくる心体のデータはすべて親から受け継いだDNAの中にある。前述の諺にしても、親が子にになければ、その母の不義密通が疑われたケースに由来すると云っていい。
 実際、武田信虎晴信 (信玄)が自分と似ていない点を指して、信玄の母である大井夫人に、「大井の血が晴信を軟弱者にした!」と怒鳴りつけたことがある。責任転嫁もいい所だが(笑)。だが、実際に信玄の家督奪取後の業績を見ると、信虎に劣らず残虐なことを結構やっている。それだけ遺伝子から来る情報が持つ支配力は大きいと云える。

 だが、「氏より育ち」という言葉がある様に、環境や教育の与える影響の方がDNAより遥かに大きい(だから「生まれながらの劣等種族」、「下賤の出自」といった差別を認めてはいけない)。前述した一〇組の例の中でいえば、足利義満徳川家康伊達政宗は父と共にいた時間が短かったり、親以外に多くの教育者に恵まれていたりしたので、親と似ていない面も多い。だからといって足利義詮松平広忠伊達輝宗に父としての愛情が薄かった訳ではないのは本作をここまで読んで下さった方々には説明不要だろう。

 完全無欠の人間なんて存在しない。子が親から受け継ぐ遺産に「正の遺産」と「負の遺産」がある様に、受け継ぐ心体にも正負があるだろう。だから正の面を感謝して拝受しつつも、負の面と向き合い、改善を怠らないことを歴史を学ぶ者として重んじたいものである。
理想の親子とは?
 本作を制作するに当たって、候補に挙げながら見送った「親」が何組も存在する。例を挙げれば島津貴久武田信虎武田信玄真田昌幸徳川頼房徳川斉昭石川カツ(←石川啄木の母)・その他、数え切れないぐらいである。
 その理由を一つ一つ書けば切りが無いので触れないが、余りにも順調過ぎたり、余りにも醜悪過ぎたりするケースは外したのは間違いない。
 前者は当たり前過ぎて面白味に欠け、後者は「親子」として語りたくなかったからである。

 逆を云えば、薩摩守自身、親子とは愛し合い、互いに善因善果を与え合い、心温まる交流を持って当たり前と思いつつ、必ずしもそうはならない、少なくとも万事そうではあり得ないことを嫌と云うほど思い知っているからだろう。
 そもそもすべての親子が血の繋がりや本能だけで完全無欠の関係が築けるなら、この世に「勘当」・「離婚」・「縁切り」という言葉なく、人間自身が完全無欠人間でごろごろしていることだろうけれど、そうはなっていないのは云うまでもない。

 だが、困難だからこそ、遠いからこそ理想は追求すべきで、最も身近な親子でそれを放棄してしまう様ではそれはとても悲しいことであることを、薩摩守は歴史の事例にも、現代の報道にも、自分自身の例にも想うのである。


真の親孝行とは?
いきなり話は逸れるが、道場主の最も好きな漫画家は宮下あきら氏である。その魅力を書けば字数がいくら有っても足りないし、そもそも『戦国房』で扱うテーマではないので割愛するが、ひとつだけ触れたいのは、宮下先生が非常に親想いの人物で、それが先生の漫画にも反映されていることである。

代表作:『魁!男塾』を初め、先生の漫画は格闘漫画が多いので、戦い、そして死が頻繁に描写されるのだが、善悪問わず、多くのキャラクターが親と子の想いについて触れている。

 「息子が親父を越えるなんて出来やしねぇ。一生その背を追いかけるだけだぜ(『暁!男塾』剣獅子丸)」

 「自分でもよくわからんけど……自分が 本当にやりたいことやって その一生にくいが なかったとしたら それが 自分を生んでくれた人への一番の感謝になるような気がするんだよ(『激!極虎一家』虎虎虎)」

 「フフフたいした心掛けだ。ならば相手になってくれようぞ。親にとって何より悲しいこと。分かるか!?それは子が親より先に死ぬことだ。その地獄を味わうがいい桃太郎(『暁!男塾』洪恩来)」

 「インバイだろうがインキンだろうがそんなもんは関係ねえ。自分をこの世に生んでくれただけでもありがてえと思わねえのか〜っ!!オフクロが生きてるだけで幸せだと思わねえのかよ〜っ!!(『天より高く』ソラ)」

 「馬鹿な奴よ……親のわしより先に死ぬとは………お前の好きだった酒だ。いくらでも飲むがいい。もう誰も文句は言わん。も もう言うこともできんのじゃ!!(『瑪羅門の家族』瑪羅門惹)」

 「男は皆 女にでっけえ借りがある。女が男をこの世に産んでくれたんだ……!だから男は女を体を張って守れるんだぜー!!(『天より高く』ソラ)」

 「わからねえよ。だが親の無い子が親を想う気持ちは分かるんだ(『世紀末博狼伝サガ』サガ」

 「やはり不肖の息子よ。子が親より先に死ぬほどの親不孝はなかろうが…(『天より高く』魔界の大魔王)」

 「何がおかしい。愛する子供が泣かされれば自分の持つ全戦闘力で仇を取るのが親の務めだろうが。人間社会にはそんな根性が無い親が多過ぎるからイジメなんて問題が起きておるのだ(『天より高く』化け物パンダ)」

 「フフフ…ガキどもが。自分の子どもがいじめられてるのに下みてるくらいなら、わしゃあいつでも親をやめたるわい。うちの子いじめたやつぁどいつだーっ!!『激!極虎一家』本庄健吉の父」

 「どこの国でも親は皆同じだ。子供の苦しんでいる顔を見るほど辛いことはない。そして子供の笑顔を見るほど嬉しいことはない。貴様は息子のかけがえのない友人…だったら俺にとっても貴様は息子も同然だ(『天より高く』大龍)」

 個々の作風は微妙に違うし、決して親子の話がメインストーリーと云う訳ではないのだが、多くの作品に上記の様な台詞が頻発していた。
 それほど先生の作品は折に触れ、親子というものを考えさせてくれるし、善悪問わず、多くのキャラクターがそれを重んじている。そんな先生の作品に先生の父上が影響を与えているであろうことは想像に難くない。
 そして宮下先生の亡き父上は警視庁一家の刑事を務めた人物で、その亡父とは「正反対なロクでもない息子」と自称する宮下先生は単行本の見出しで折に触れて父上の事について触れ、父上への敬意を込めて『ボギー・THE GREAT』という刑事漫画を描いたこともあった。
 その父上は平成二〇(2008)年正月に八五年の天寿を全うされた。

 そんな宮下先生の親への想いを尊敬しているにもかかわらず、とんでもない「不肖の息子」であるのが薩摩守である。
 薩摩守は平成二六(2014)年一二月に父を亡くした。病死である。
 亡き父は在日韓国人の貧乏農家四男に生まれ、貧困と学歴の無さに苦しみながらも道場主と二人の妹を母と共に育て、道場主にはしかるべき学歴と持ち家を残してくれたが、それに対して道場主は財も成さず、出世もせず、結婚すら出来ず、当然孫の顔を見せる(←一応、妹が孫の顔を見せてはいる)ことなく、一人前になった姿を欠片も見せることなく逝かれてしまった。
 告別式の時こそは当時勤めていた一部上場企業の社長たちからの弔電が読まれ、喪主代理で行った挨拶がエラソーに振る舞うことに慣れていたことが幸いした堂々たる挨拶に見えたことが幾ばくかの親孝行になったそうだったが、その職も五ヶ月後には失う体たらくだった………。
 出棺の際には「心残りが有りまくりだろうから、いつでも化けて出て来てくれ……」と声を掛けた程だった…………。

 そんな情けない人生を送っている薩摩守ではあるが、残りの人生で親のために何処までできるかは分からないが、想いは放棄したくないと思っている。月並みだが、亡くなった親に直接出来ることはなくなっても、全力で生きることや、生前やり残したことを果たすことが間接的な親孝行にはなると思っている。
 いつの日かこの身が土に還り、あの世で父子対面を果たすとき、薩摩守が野口シカ英世母子の様な感動の再会を果たせる自信は全くないが、一寸なりとも近づく姿勢こそが親孝行の第一歩で、まだ天寿を全うしていない以上はその姿を母の前で実現することこそ大事と心得ている。

 思いっきり趣味に没頭し、独断と偏見と独善に満ちた自己満足サイトゆえに、道場主は菜根道場の存在を身内の誰にも明かしていない。当然亡父がこのサイトの存在を知ることはなかった。
 だが、このロクでもない息子は敢えて云いたい。

 「本作品を亡き父上・昭に捧げる。」

と。

平成二七(2015)年五月二二日 戦国房薩摩守



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令和三(2021)年六月三日 最終更新