第10頁 改めて「太郎」の持つ意味について
昭和45(1971)年に『仮面ライダー』が始まって、令和7(2025)年10月9日現在で54年が経過し、作品数はTV版だけでも40を超え、登場したキャラクターは膨大な人数に登る。当然、設定やストーリーを制作するにあたって、それだけの登場人物名を考える必要があった。
まあ、原作者であった故石ノ森章太郎先生も、そしてそれ以上に後継作品を制作した人々は主人公を初めとするキャラクターの名前を考えるのに苦労したことだろう。当然だが、既に出た名前を使う訳にはいかない(笑)。
正直、主人公だけに絞っても、五代、津上、城戸、乾、剣崎、日高、天道、野上、紅、門矢、左、園崎、火野、如月、葛葉、泊、桐生、宝生、常盤、神山、五十嵐等はメジャーならずとも、まだ実際に知り合ったことや、「実在してもおかしくない。」と云えるものが大半だが、操真、天空寺、飛電、浮世となると、「そんな姓あるのか?」と思っている(←実在したら、同姓の方には深くお詫び申し上げます)。
その点、名前はまだ作り易いだろう。読み方を教えられなければ絶対読めない実在のキラキラネームや、我が子に「悪魔」などと名付けた実例(←さすがに最終的に役所で却下されたが)を思えば、士(つかさ)、来人(らいと)、永夢(えむ)、戦兎(せんと)、或人(あると)、英寿(えいす)が「まあ、変わっているが無茶苦茶とは思わん。」と思えてしまう(笑)。
まあ、作品によって名前に一貫性やこだわりの強いものもあれば、それ程ではないものもあるから一概には云えないが、改めて「○太郎」という名前は付け易く、便利だと思う。
実際に我が子に対する命名においても、親が子供に託す文字に「男」を示す「太郎」を名付ける例は決して少なくないだろうし、「太郎」の前に突ける字に余程変な漢字を用いない限り、多くは自然な名前となる。令和ライダーがこの後なん作品作られるかは分からないが、「○太郎」という名の主人公及びレギュラーキャラクターは今後も出て来るだろう。それだけ「太郎」のつく名は作り易く、それでいて名前として自然に日本社会に存在するからだろう。
そこで最終頁では「太郎」に対するシルバータイタンの所感と特撮への想いを語って本作を締めたい。
正直、個人的な思い出話が大半なので、興味の無い方は読まなくても全然差し支えないことを述べておきたい。
所感1 名前は一生付きまとう。
令和7(2025)年10月9日現在、道場主は妻帯していないので、我が子に命名するという経験がない。ただ、そんな道場主が生涯において二度、名付け親になりかけたことがあった。
一度目は小学生の頃で、末の妹が生まれる直前の話だった。道場主には三歳年下の妹がいて、末の妹が生まれる前、当時はまだ生まれるまで胎児の性別が正確には判別出来ず、生まれてくるのが弟であれば、自分の名前と父の名前から一時ずつ採った名前を提案し、両親の了承を得ていた。
だが、生まれて来たのは妹=女で、道場主の考案した命名は為されなかった。
二度目は約四半世紀前の話で、当時勤めていた会社の先輩から生まれたばかりの次男君の名目を考えて欲しい、と依頼されてのことだった。
当時、アメリカ大リーグにおいて、マーク・マグワイアとサミー・ソーサの両選手が本塁打王争いをしていた。大リーグが大好きだったF先輩は、ソーサの方が好きで、道場主に、「音読みにしたら「そーさ」となり、訓読みでちゃんとした名前になる名前を付けたい。Hなら漢字に詳しいから出来ると思う。考えてくれないか?」と依頼された。
頭を捻りまくった結果、道場主が思いついた名前は「宗作」だった。名前としては訓読みで「むねさく」と読み、音読みにすれば「そうさ」になる、としたが、正直、平成の世に命名するものとしては余りにも古臭く感じられ(←日本全国の「宗作」さん、お許し下さい………)、F先輩に却下されると思ったが、先輩は物凄く喜び、「さすがHだ!早速家族会議にかけよう!」と仰られた。
二日後、先輩は心底申し訳なさそうな顔で、「済まない、H……、俺は気に入ったんだが、家族会議で総反対に遭ってしまった………。」と仰って来た。だが、正直云って、残念と云う想いより、ホッとした想いが強かったのは云うまでもない(苦笑)。
そして長い時が流れて想うのだが、もし妹が弟に生まれ、道場主の付けた名前だったとしても余りも文句を云わなかったと思うが、F先輩の次男君が道場主の付けた「宗作」になっていたら、今頃の物凄く恨まれていただろうと思う(苦笑)。
何せ、余程の事情が無い限り名前は変えられない。凶悪少年犯罪者が少年院を出た際に篤志家と養子縁組をして姓を変えた例は見たことがあるが、名前は変わっていなかった。まあ、簡単に名前が変えられたら犯罪者によって過去を隠蔽したり、官憲からの追及を逃れたり、等の悪用が為されるのは火を見るより明らかだ。
かつて道場主の叔母が子供を産んだ時、叔母の家にあった命名の手引き本があり、それを読んだことがあったが、その本では子供時分には可愛らしく映っても、壮年・老齢になった際に変に映る名前を避けるべきであることを説き、凶悪犯罪者と同姓同名にならない様に、凶悪犯罪者の名前が列記してあった。
それほど名前とは、その人にとって唯一にして、一生のもので、かけがえのないもの故に、特撮を愛するものとして、どのような名前にも真剣に向かい合いたいと思う。特撮作品はフィクションだが、登場するキャラクターを演じた俳優諸氏にとって、例え一時一作品の名前でも大切な分身で、その大切は作家のペンネーム、ネット上のハンドルネームであっても同様だと思う。
ペンネームやハンドルネームは変えようと思えば変えられるが、それでもある名前で為した高名・悪名はその名前のものとして半永久的について回るから、いい加減に考えて良いものでは決してない。
語り出せばキリがないので簡単に述べるが、シルバータイタンを初めとする道場主の分身名もそれなりに真剣に考えて名乗っているものであり、恥じない名前にすべく尽力していることを明言したい。
所感2 そもそも「太郎」とは?
「太郎」が意味するところは、広義には「男児」、狭義には「長男」である。
古代、言葉には言霊(ことだま)が宿っていると考えられ、人の名前を軽々しく呼ばれるのは禁忌とされた。中国史の例を挙げれば、『三国志演義』の英雄・劉備(りゅうび)は、姓が「劉」、名前が「備」であるが、字(あざな。ニックネーム)が「玄徳(げんとく)」だったが、「備」という名で呼ぶのは親か、主君(漢の献帝)ぐらいで、一般には「玄徳」、または「劉玄徳」と呼ばれた。諸葛亮が一般に「諸葛孔明」と呼ばれている例を挙げれば分かり易いだろう。
それ故、曹操も、孫権も、呂布も、法正も、魏延も、魯粛も、夏侯覇も、一般には曹孟徳、孫仲謀、呂奉先、法考直、魏文長、魯子敬、夏侯仲権と呼ばれた。そしてこれは日本でも中世以前は同様だった。
織田信長も、存命時には一般には織田上総介、織田三郎、と呼ばれることの方が大半だった。中には、坂本龍馬(実名は「直柔」(なおのり))や吉良上野介(実名は義央(よしなか))の様に、通称の方が有名な者もいる。
かように、古代程、親しくもないのに名前で呼ばれることは稀で、逆に名前で呼ばれることは呼ぶ人物に魂や存在を委ねるに等しく、現代でも世界の中には普段偽名(と云うと語弊があるが)を名乗り、実名を知られることを(呪詛されるなどの理由で)恐れる文化が実在する。
それ故、史実を基にした軍記物や歴史小説は、史実を重視したものほど主人公を初めとする登場人物は諱(いみな)よりも通称で呼ばれる。「九郎殿」と云えば、源義経(源義朝九男)を思い浮かべる人も多いだろう。偏に義経と『平家物語』の知名度が如何に高いかである。
武田信玄の幼名は「太郎」で信玄の子供達は、嫡男・太郎義信、次男・次郎信親、三男・三郎信之、四男・四郎勝頼、五男・五郎盛信と、そのまんまの通称で呼ばれ(笑)、勝頼に至っては信玄没後に事実上の後継者でありながら、母親の血統からなかなか公式に後継者と認められず、「御館様」と呼ばれず、「四郎殿」と呼ばれ続けた。う〜ん、分かり易いな(笑)。
仮面ライダーに限らず、特撮ヒーローの主役の多くは一人っ子で、時代が下る程姉や妹の登場する者も増えていったが、兄や弟のいる者は本当に少ない。それ故、「次郎」や「三郎」の付く者はなかなか出て来ないと思われる(←念の為述べると、「風見志郎」は「四郎」ではない(笑))が、「○太郎」は今後も生まれ得るだろう。
まあ、それが長男であることを強調したものになるとは思わないが、逆に男児を強調したものになるであろうことは考え易い。未来において「○太郎」のキャラクターが現れたら、「○」の部分との兼ね合いを観察するのも楽しみの一つとなるだろう。
所感3 今ある名前を大切に
学生時代、所属していた部活の大会の開会式に参加したときのことである。開会宣言が行われた際、主催者の名前が告げられ、一瞬、会場が騒然とした。というのは、主催者の名前が少し前に世の中を震撼させた凶悪犯罪者と同姓同名だったからである。
主催者の年齢から云って、当該凶悪犯より先に世に生を受けており、同姓同名は全くの偶然なのは明らかだったが、それでも主催者様の不運に誰もが同情した。実際、凶悪犯罪の報道が流れた際に、姓や名前だけでも自分と同じなのを見て、嫌な気分に陥った記憶のある方は星の数ほど存在するだろう。道場主の名前はそこそこある名前だが、漢字表記が珍しく、同姓はもっと珍しいため、同姓や同名の犯罪者登場に嫌悪感を抱いた記憶はないが、そんな道場主ですら、「同じ名前に犯罪者が居たら堪った者じゃない。」と強く思うのだから、一致してしまった方の嫌な想いは尋常じゃないと思う。
そんなことを考えていた時に、ふとあるキャラクターの名前を思い出した。
それは『ドラえもん』に登場するジャイアンの妹、ジャイ子のことである。「ジャイアン」はニックネームで、本名が「剛田武」なのは、同作に然程詳しくない人でも周知のことと思うが、「ジャイ子」に関してはこれが本名なのか、ニックネームなのか長年不肖だった。
1990年代の秘密本ブームの際に、『ドラえもん』を扱ったある書籍で、「どうやら本名らしい。」と記載されたことで、一時は「ジャイ子」が本名と世に取り沙汰されたが、程なくして『ドラえもん』のとある作品にて、「ジャイ子はあだ名、本名は秘密」と明記された。
そして原作者である故藤子・F・不二雄(藤本弘)先生によると、「ジャイ子」の本名は設定されていたが、「公表すれば同じ名前の女の子がいじめに遭う。」との考えから、「ジャイ子」の本名は「墓場まで持って行く。」とされ、最後まで「秘密」のまま、平成8(1996)年9月23日に藤本先生はこの世を去り、本当に墓場まで持って行き、本名は永遠に「秘密」となった(異説有り)。
世の中には自分の名前を好きな人もいれば、嫌いな人もいる。同じ名前で高名な人物がいればプレッシャーとなり、変人や極悪人がいれば嫌な気分に陥る。キラキラネームを付けられたり、イニシャルが「S・M」になったりしたことで、「一生親を怨む」!と云っていた人物も若干名知っている。
実際、名前を悪し様に差したいじめも世に横行している。道場主も、詳しく描けないが、下の名前をもじった酷いあだ名をつけられたことがある(幸い短期間で消えたが)。
だが、「○太郎」という名前を考察した果てに最後に云いたいことがある。
「桃太郎」や「金太郎」や「浦島太郎」や「三年寝太郎」と云った昔話を連想させる「○太郎」という些か古風を感じさせる名前だって、作中で活躍したキャラクター達は立派にその名を新旧のイメージを超えて輝かせている。「ストーリー上、良い役を振られた」と云えばそれまでかも知れないが、行動が名前のイメージを超える例が溢れているのは誰も否定出来ないだろう。それ故、以下の二点を述べたい。
名前を輝かせるのも、悪名に貶めるのも、結局は当人次第なのである。
自分のものも、人のものも、すべての名前を大切にしよう。
ということである。
人間の価値観は人それぞれだし、音感・語感からカッコよく映える名前もあれば、カッコ悪く映る名前もあることだろう。
だが、名前も大事ながら、それ以上に言動の方が大切で、その言動が名前のイメージを挙げもすれば、下げもする。それ故、名前にこだわり過ぎて後ろ向きになるのも良くないし、他人の名前を論ったり、揶揄するネタにしたりするのはもっと良くない。まあ、そんなことを云いつつも、道場主も嫌いな有名人に対して名前をもじって悪く云う事が無いと云えば嘘になるが、それでも世の多くの人が目にする事が出来、誰が見るかもわからない拙サイトにおいてそれは慎んでいるつもりである。
理屈だけは分かり辛いと思うので、好例を一つ挙げたい。それはお笑い芸人の伊集院光(本名・篠岡健)氏である。
初めて伊集院氏を見たとき、道場主はその容姿と芸名とのギャップから、「恐ろしい程名前負けしている………。」と思ったが、伊集院氏は敢えて見た目とのギャップを意識した名前を付け、逆にそれを売りにしている。
有名な話だが、伊集院氏は学歴こそ高校中退で決して高学歴とは云えないが、かなり博学で、深い考察を持ち、クイズ番組の常連として高学歴芸人に負けず劣らず正解を連発し、人当たりも良く、老若男女を問わず人気がある。一方で(TPOを弁えた上で)毒舌やタブーに触れるトークも展開出来る。
自慢じゃないが、シルバータイタンも決して自分に自信のある人生を歩んでいない。それでも後々、同姓や同名の人間が「あっ、嬉しい!」と思えるような、逆に同姓や同名の人間が「ゲッ!こいつと同じ名前?嫌だなあ…。」と思われないような人物像を築き上げたいとは思っている。
そしてそれが築き上げられれば、この世に二人といない人間の、たった一つの大切な名前が確立し、自分の名前を誇れるとともに、先祖代々続く姓を御先祖に感謝できるようになることだろう。
令和7(2025)年10月7日 特撮房シルバータイタン
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令和七(2025)年一〇月九日 最終更新