第9頁 一ノ瀬宝太郎………「宝」は見つかったか?

「太郎」File.9
名前一ノ瀬宝太郎
演者本島純政
立場主人公
登場作品『仮面ライダーガッチャード』
兄弟構成一人っ子
「太郎」の付く親族無し
名前を呼ばれる頻度姓やあだ名の方が多い


人物像 一ノ瀬宝太郎(本島純政)は仮面ライダーフォーゼ・如月弦太朗に続く高校生仮面ライダーである。富良洲高校の二年生(作中で進級し、三年生になる)で、放映開始当初は勉強が苦手だが、運動は得意という、ごく普通の高校生だった。
 冒険者として世界中を飛び回る父と、その留守及び定食屋キッチンいちのせを守る母・珠美(南野陽子)の一人息子。

 「ガッチャ」と称する大きな夢を掴まんとするも、これといった目標もなく、学校から提示された進路調査票に何を書き込むか当初決められずにいた。
 実は10年前に物語の核となる錬金術と出逢っていたが、クラスメートにして仲間である九堂りんね(松本麗世)の父・九堂風雅(石丸幹二)によって記憶を封じられていた。
 しかし、錬金術で生み出された人工生命体・ケミーの一体であるホッパー1やスチームライナーと再会し、彼等に連れ去られた先で風雅から仮面ライダーになる為のドライバーを得たことで仮面ライダーガッチャードとなり、ケミーや錬金術を悪用する冥黒の三姉妹や冥黒王達と錬金アカデミーの仲間達とともに戦い続けた。

 戦いに勝利する度にケミーを仲間に加えつつ、ケミー達と心を通わせる内に人間とケミーが共存できる世界を目指し、進路調査票に自身の進むべき道を「錬金術師」と書き込んだ。
 錬金術師仲間の中では新参ゆえに、元から属していたメンバーで年上でもある黒鋼スパナ(藤林泰也)、銀杏蓮華(安倍乙)、鶴原錆丸(富園力也)からは当初格下に見られ、同級生であるりんねからも重く見られてはいなかった。
 また高過ぎる理想から、ケミーとの共存は不可能と考えるスパナとは一線を画し、時には殴り合い迄展開したが、最終的には皆がその理想に共鳴・協力した。ケミーとの共存を手ってして求めた様に、理想主義者である以上に包容力のある人物で、描写は救いないながらもクラスメート達からの信頼も厚く、珠美にも友人と認知されている加治木涼(加部亜門)との友情は云うに及ばず、転校してきて再会した幼馴染の九十九静奈(松澤可苑)がりんねとの仲を(勘違いで)嫉妬する程の行為を抱かれていた。
 数々の強敵との戦いを重ねる中、万物を錬金素材とした新たな地球を創造するという掟破り且つ壮大な錬金術を見つけ、仲間のケミー達と共にラスボス的存在であるグリオン=仮面ライダーエルド(鎌苅健太)を倒し、その野望を打ち砕いた。


名前と作風の関連 『仮面ライダーガッチャード』に登場する人物の名はかなり凝った名前が多い。特に錬金術師達には。姓の「黒鋼」、「銀杏」、「鶴原」、「九堂」も数多い方ではないが、日本中を探せば何十人かは存在すると思われる。が、「蓮華」はともかく、「スパナ」、「錆丸」等は現存するキラキラネームもびっくりである。まあ、中にはミナト(熊木陸斗)の様に、姓なのか名なのか分からん奴までいる(苦笑)。
 ともあれ、「作風との関連」と云い切るのは躊躇するものがあるが、錬金術が他の金属から金を生み出すことを目指した技術であったことから、金属に関連したものが比較的多い様にも思われる。

 そんな中、主人公である一ノ瀬宝太郎の名は特に金属とも関連しないし、キラキラネーム程に変わった名前とも思わない。道場主には「一ノ瀬」という知人もいれば、「宝太郎」という知人はいないが、名前に「宝」の付く知人は若干名いるので、日本中探せば「宝太郎」という人物がいてもおかしくないと思う。
 だが、やはり注目すべきは「」の一文字であろう。上述した様に宝太郎は放映開始当初はこれと云った目標も無かった。謂わば、「夢を見つけるのが夢」状態で、その「夢」こそが「宝」だった。
 その「宝」が無い状態では何を考えているか分からない状態故に、黒鋼スパナの師である枝見鏡花(福田沙紀)からは「お気楽ボーイ」と呼ばれ、銀杏蓮華からは「宝」への執着からか、「お宝ちゃん」と呼ばれていた(ちなみに九堂りんねは「優等生ちゃん」と呼ばれていた)。
 そして各話の冒頭でナレーションが前回のあらすじに触れる際には、「○〇とガッチャんこ。」という表現が用いられていたが、「ガッチャ」とは、「夢」で理、「宝」であり、「ガッチャんこ」とはそれらとの遭遇でもあった。

 そして宝太郎はそれにとことんこだわり、細大漏らさずその夢を追い続けた。正に「」を追い求める男=「太郎」だったと云える。


名前への個人的所感 一ノ瀬宝太郎が姓で呼ばれるか、名で呼ばれるかは対人関係によりまちまちだが、宝太郎というファースト・ネームで呼ばれる割合は多くはない。
 ヒロインである九堂りんねは宝太郎を「一ノ瀬」と姓で呼び(同時に宝太郎もりんねを「九堂」と姓で呼んでいる)、教師の立場からミナトも姓で呼び、銀杏蓮華や枝見鏡花の様に独特のニックネームで呼ぶ者もいる。
 一方で、親友である加治木涼は下の名で呼び、母親の珠美が下の名前で呼ぶのは当然として、キッチンいちのせの常連客達も宝太郎を下の名で呼ぶ。まあ、常連客達は年齢的に珠美に近いことから、宝太郎を息子の様に見ているから、下の名で呼ぶのは自然である。姓で呼ぶクラスメートや同僚の妹弟、息子・娘を下の名で呼ぶのが自然であることと同様であろう。

 宝太郎が姓で呼ばれるか、名前で呼ばれるかはケース・バイ・ケースで、作中における対人関係に応じて上手く分けられている、とシルバータイタンは捉えている。
 最後に個人的に名前に対して想う所を挙げれば、主人公とヒロインである宝太郎とりんねが姓で呼び合っていることである。
 全くもって個人的な記憶且つ所感だが、中学生・高校生の頃、漫画などで女子学生が男子学生を「○〇君」と呼んでいるのに強烈な違和感を抱いていた。というのも、道場主はクラスメートの女子から君付けで呼ばれていたのは小学二年生までで、男女が性別の相違を意識し出した小学三年からは互いに呼び捨てになった。
 それは中学卒業まで続き、女子中学生がクラスメートの男子を「○〇君」と呼んでいるのを「嘘だ!」と思っていた。そして中学を卒業後、道場主は男子高校に進学した為、文化祭で公立高校を訪れた際、女子が男子を組ん付で呼んでいるのを見たときは、漫画の世界をリアルで見たみたいで顎を落とし、男子校卒業後、浪人中に予備校で女子生徒から最初に「H君」と呼ばれた時、隣席の級友から「いつまで固まってんだ?」と云われる程の過剰反応を示した。

 まあ、性別の異なる同級生を呼び捨てで呼ぶか否かは地域や、付き合いの長さで異なることも多いらしい。例えば高校でも、同じ中学校出身の者同士では男女間でも姓を呼び捨てで、異なる中学校出身者同士では君付け・さん付けと呼び合うのが通例だったそうだ。
 ただ、漫画の世界では女子は男子に対して君付けばかりで、歌謡曲の世界に至っては、女子高生の立場で歌った歌が彼氏を「あなた」と呼んでいたことに物凄い違和感を抱き続けた記憶があった―道場主の中学生時代は、「あなた」どころか、良くて「あんた」、普通は「お前」だった―ので、りんねが宝太郎も加治木も姓を呼び捨てで呼んでいたのに学生時代のリアルが甦った気がしたのだった(笑)。


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令和七(2025)年一〇月九日 最終更新