最終検証 誰が一番悲惨か?




 いきなり話をぶち壊す様ですがメガール将軍剣聖ビルゲニア牙隊長ゲドリアンの三人の中で誰が一番悲惨かについては単純比較は不可能です。
 また、彼等に如何に同情すべき事情があろうと、犯罪者、または侵略者として彼らの取った行動は社会や国家にとって、何より彼等の犠牲になった人々にとって罪なき行為として容認できるものではありません。

 強いて云うなら、そんな状況下に立たされ、彼らなりの信念・理想・誇りの為に戦った結果が不成果に終り、悪と糾弾されたまま、蹴撃・斬撃・エネルギー過剰による無惨な死を遂げた事彼等の悲惨さがあり、そこにある仲間との不和・上層部の見放しがTPOに応じてその悲惨さを増減させる事でしょう。

 然るに、シルバータイタンの本体である道場主が世に訴えたい事は、最終的に仲間からも信頼されず、ロクな死に方をしないのが目に見えていて、それでも悪に走れるか?ということです

 現実の世界は正義・悪に徹し辛く、相手の為に良かれと思ってやったことでも裏目に出て嫌われたり、うざがられたり、時には恨まれたりする事さえあります。
 余程のニートか隠者でもない限り、全く組織に属さずに人との交流を考えずに生きていけない世の中で好悪について考えないわけにいかない事も多いでしょう。

 だからこそここで敢えて悪人に学んで欲しいのです。

 報われない努力や、不当な評価や、不和による冷視線の洗礼は、とかく勤勉努力への意欲を奪い勝ちです。良き事を為してその様な目に遭うのなら自分だけの欲望を最優先させて何が悪い?!と開き直りたくなる気持ちも痛い程分かります。
しかしながら、自分なりの信念を持って正道に絶望した果てに悪に走って、その手先となった彼らに残された物が何だったのかは今更説明不要でしょう。
 精一杯好意的に見ても同情だけなのです。

 如何なる道を歩むにおいても苦難や苦労、理不尽な待遇を避ける事は困難です。ましてその道を歩んだ事に対してやってくる困苦には腸煮え繰り返るものがあります。
 しかし同じ苦しみを味わうにしても、それが悪行に対してやって来たものでは対する怒りの声は「逆ギレ」、「恨み言」、「わがまま」、「泣き言」等の一言出片付けられるのです。

 清廉潔白に生きよ、とは申しません(と云うか、道場主は他者にそんな事が云える立派な人間ではありません)。しかし、正眼・正道をなくした果てに恨み言しか見えない人生など、この世の誰にも歩んで欲しくないのが、道場主の偽らざる本音である事だけでも御理解頂ければ幸いです。

平成一八(2006)年六月八日 道場主



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平成一八(2006)年六月二〇日現在 最終更新