最終頁 反故が壊す物と生み出す大過

 九章に渡って、反故にされた側であるアテルイ安倍貞任長田忠致長島一向一揆小山田信茂吉川広家シャクシャイン松岡洋右満州開拓民と反故にした側である平安貴族源頼義源頼朝織田信長織田信忠徳川家康松前藩ヨシフ・スターリン関東軍・南満州鉄道を見て来た。
 改めて思うのは「反故」という背徳がもたらす害の大きさである。

 反故にした側には丸で罪悪感を覚えている気配を感じさせないものが大半なのだが、その陰で心ならずも反故に加担する羽目になり、気まずさでは済まされない罪悪感を抱いている者(例:坂上田村麻呂)も少なくなく、何より落ち度もなく巻き込まれる者達(報復戦争で戦場にされた民衆、反故にした為政者のツケを払わされる後世の為政者)の存在には目も当てられない。
 また、反故にした側も後々にはその付けが回ってくるケースも多い。


 そんな誰の為にもならない「反故」が何故起きるのか?


 決して専門家ではないが、歴史を学び、考察する者として、その原因悪果教訓を総括することで本作を締め括りたい。
原因…何故反故に出来るのか? 人間誰しも、自らの行為が自らに悪しき結果をもたらすと予測出来る事を敢えてするほど愚かではない。「反故」というものに欠片程の罪悪感すら覚えない人間でも、「反故」が相手の恨みを買い、報復を呼ぶことを予測出来るなら、

「「相手を騙して得る利益」<「報復が呼ぶ損害」」

 との図式が成り立てば、あるいはその図式に気付き得れば、評判芳しからぬ「反故」との愚行には出ない筈である。
 となると、九つのケースを見て「反故を決断した」、「反故にしても大丈夫」、「反故にしても構わない」と考えた背景には以下のものが伺える。

  • 反故にしても反撃される不安がない(反故にしたことで相手より圧倒的優位に立っている、反故にすることで相手勢力を根絶やしに出来る)。或いは不安がないと思い込んでいる。
  • 約束した相手を自分達と同じと見ていない(相手が異民族の場合)。信義を無視しても構わない、と思い込んでいる。
  • 相手も約束を反故にしかねない存在と見ている。

 といったところだろうか。
 恐らくは、相手に敬意を抱き、相手が総合的に自分より下であろとも健全な交流上の利と敵に回した時に生じる害悪を見出せるなら、「反故」は百害あって一利なき事を用意に気付き得ることだろう。



悪果…双方の為にならない反故 早い話、遺恨が残る。
 反故にされた側はされた側で報復を図るし、反故にした側はした側で卑劣な手段を取るだけに自らの非を認めるようなタマじゃない故に報復に対して往生際の悪い抵抗を図る。
 而して、反故にした側と反故にされた側の間に生まれた溝は深まる一方となり、そこに利を得る者は双方に存在し得ない。
 利を得る者がいるとすれば、漁夫の利を得る第三者であることが多いだろう。

 醜い争いの果てに勝利を握った側に追随する者が最終的な利を得る、と見る向きもあるかもしれないが、それさえも姑息に得た利益のように見られたときにその価値は危ういものとなる。


 ここで具体例を見てみたい。
反故にした側 → 反故の結果
平安貴族 → 鎌倉時代まで東北服従せず。
源頼義 → 九年の時間と多数の犠牲をかけた戦果を清原氏、奥州藤原氏に横取りされる。
源頼朝 → 猜疑心による粛清が北条氏の専横を許し、後に直径が途絶えた。
織田信長 → 一揆の反撃で多くの人材失い、武力で一向宗徒を服従させること出来ず。
織田信忠 → 自らの死後、多くの武田系旧勢力が味方せず、織田氏衰退。
徳川家康 → 反故にした毛利・吉川の子孫が幕末に倒幕急先鋒となる。
松前藩 → 終始、アイヌ民族の抵抗と南下してきたロシア人との衝突に悩み続けた。
ヨシフ・スターリン → 疑った分だけ、誰からも信用されず、暗殺された可能性濃厚。
関東軍・南満州鉄道 → 歴史に悪名を残し、終戦とともにすべての権益喪失。


 勿論反故にされた側には直接的な被害が目白押しだ。同様に表で見てみたい。

反故にされた側 → 末路
アテルイ → 刑死
安倍貞任 → 戦死
長田忠致 → 刑死(酷刑)
長島一向一揆 → 大量虐殺
小山田信茂 → 刑死
吉川広家 → 身内内で村八分
シャクシャイン → 謀殺
松岡洋右 → 戦犯として起訴され病死
満州開拓民 → 略奪・暴行・シベリア抑留・残留孤児問題

 と、既に前頁までで論述してきたことだが、改めて列記しただけでその痛ましさ、遣り切れなさは筆舌に尽くし難い。

歴史における反故の結果、果たして誰が得をしたのか?誰も得をしてなどいない!!漁夫の利的に得した者がいるとして、そんな火事場泥棒みたいな得に何ら後ろめたさを感じないなら人として敗北者である。

 結論、「反故」は誰の為にもならない行為で、これは、歴史と云う過去に起きた出来事だけの話ではなく、現在・未来を通じて森羅万象に及ぶのである。



教訓…過去の反故に振り回されてはならない まずは先にやった奴が悪い、ということを述べておかなければならない。
 現代のいじめ問題でも、いじめっ子に落ち度が皆無とは云わないが、先に暴力などの攻撃に出る方が非は大きい。
 勿論この問題は一言で云い切れるほど簡単なものではない。
 国家や御家の存亡がかかった状況下や、個人に対する急迫不正の侵害に対してまで「卑怯」だの、「先に手を出した方が悪い」だの云っていられないこともあるだろう。闘争と対立の歴史は研究すればする程遣り切れなさが増す。
 だが、ここで大切なことがある。


 過去の人間同士の遺恨は過去の当事者同士のもの、現代の人間がそれに振り回されなければならない謂われは全くないのである!!


 七百数十年前に蒙古が日本を攻めて来たからと云ってモンゴル人を敵視する日本人は今の世にはいない(歴史学者の一部にいるが、はっきり云って狭量極まりない阿呆だ)。
 しかし、島津の琉球侵略を恨む沖縄県民や、戊辰戦争における白虎隊の悲劇で薩長を嫌う福島県民や、第二次世界大戦での戦時下略奪・暴行・空襲からアメリカ人・ロシア人・中国人を憎悪する日本人を残念ながら薩摩守は目の当たりにしたことがある(勿論、その方々を責める気にはなれない)。

 事件の当事者が事件で関わった異郷・異国の者を恨んだり嫌ったりするのはある程度は仕方がない。また、卑劣な行為や悪事を為した者がその後何世紀にも渡ってその罪業に関して糾弾されるのは当然のこととも思う。
 しかしながらその罪業の原因を「責任者」や「政権」ではなく、「民族」に帰し、それを遺恨として何世紀にも渡って対立・偏見が続くのは史上の悲劇でしかない。
 当事者でもない者が対立と偏見の渦中に置かれるのは、先祖の愚行の巻き添えを食っている、といういらざる災難でしかないのだが、その害は余りにも大きい。

 祖父母が喧嘩したからと云って、孫や子が対立しなければならない謂われは無い。
 先祖の偉業を尊敬して正の遺産として受け継ぐのは尊いが、先祖の悪行を美化して負の遺産を受け継ぐことからロクなものは生まれやしない。
 本当に未来を思うなら、今歴史の反故に巻き込まれていないか?その反故から生まれた対立や偏見を時代に残す必要があるのかを考えて欲しい。

 本作を制作した一七年前、当時在日韓国人だった道場主(現在は日本人に帰化している)は、想い人に、「韓国人として日本人に恨みは無いの?」と聞かれた時、「八〇年以上も前の人間の喧嘩など私には知ったことじゃない。生まれた時から親しい人も、仲の悪い奴も私の周囲の人間の多くは日本人だった。第一、今私が愛するあなたは何人だい?(笑)」と答え、尋ね返した。
 結局、この恋は道場主が告白する前から想い人に交際相手がいたこともあってただ告白しただけで終わったが、日韓の過去の不幸な歴史の為に俺の恋路が邪魔されて堪るものか!との念はこの時点より一〇年以上前から道場主の心に確立していた。

 反故の害は当事者同士の問題に終わらない。
 しかしながら先達者の反故に振り回される必要などない、振り回されてはいけないことを、例え心の一端にでも留めて貰えるなら、薩摩守の駄文にも歴史的意義が見出せ、これに優る喜びもまた稀有なものと云えよう。


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令和三(2021)年五月二〇日 最終更新