本能寺の変



現在に生まれて「本能寺の変」を見て


 私達は全員が明治以降に生まれた人間である。当たり前だが、本能寺の変以前に生まれた者はいない。つまり、これも当然ながら本能寺を事前に察知したり、画策したり、事後の対応に苦慮したものはおらず、それらについて知っていることはすべては「後付けの知識」である。
 結果を既に知っている故に先人達の行為を無責任に笑ったり、非難したりする事ができる。
 だがそれでいてなおこの「本能寺の変」には謎が多い。考察・研究・想像の余地が「謎」がある故に無限に残されている。そこで最終頁として時代を一気に現代に持ってきて、現代人の視点に立って我々が「本能寺」に抱く思いのランキングをしてみた。


これは使える……
 今現在の日本に「本能寺の変」の為に命の危機に曝されたり、出世や家運を左右されるものはいない。それは戦国武将が今の日本にいないからである。
 だが、歴史上の出来事・「本能寺の変」は文献で取り上げる対象となったことで今も多くの人々が注目し、利用している。
 そこでここでは「本能寺の変」を顧みて、「これは使える…。」とほくそえんだ事があるであろう人々を職業形式でピックアップした。
順位対象解説
一位作家  謎が多い→誰も真相を知らない→書きたい放題(笑)……という図式ですべてを片付けるのは些か乱暴だが、「謎」が「仮説」の介入を許し、自らの考察をストーリーの中に組みこむという、作家にとっての好機を生む事は否定できまい。

 職業柄、100%真実を書く義務はないのだ。「史実を元にしたフィクション」という断りを入れた上で読者を納得させたり、楽しませたりすることが出来るなら全くの嘘も書けなくはないのである。
 勿論従来の学説などに納得が出来ず、自らの仮説に確信を持って書き込む人もいるだろう。薩摩守は言論人としてのルールに逸脱せず、自らの信念に沿って書くなら何を書こうと非難したり、嘲笑したりする気は更々ない。
 目的は多種多様なれど、深き謎故に多くの「仮説」が存在し得る「本能寺の変」は作家にとって自らが活躍し得る大いなる土壌である。
二位脚本家  その意義は殆ど一位の作家に共通する。殊に歴史ドラマや映画の脚本家は既に多くの作品に使われている「本能寺の変」を通過するにあっては自らのアイデンティティ確立の為にも、通り一辺倒の脚本内容では沽券に関わるし、ここを上手く描きこなせば多くのリピーターを集めるのである。
 使えると同時に自らの名を貶める諸刃の剣ともなり得る故に一位の座を譲ることとなった。
三位歴史家  戦国・江戸期の歴史家に限定されるとはいえ、この本能寺の変が後世にもたらした影響を考えると、無視して通る事はできない上に、謎と影響の大きいこの事変をどう御するかで歴史家のアイデンティティーは何倍にもなり得る。
 上位二者とこれまた殆ど共通するが、謎多き故に当たり所に不自由はせず、また仮に私見を世に出さずとも研究対象とするだけでも充分に使えるのが歴史家にとってのこの「本能寺」なのである。
四位漫画家  これも作家や脚本家とほぼ共通する。頭からフィクション故に「何でもあり」だし、絵画的にも使い所充分で、惟任光秀を背後から糸引いた黒幕の存在はアイデア注入の絶好の対象である。
 難を言えば、頭からフィクションの世界故に「書きこなせて当たり前」、「受けなきゃ漫画家失格」の烙印を押される危うき場でもある故に四位に留まった。
五位道場主  別にふざけているのではない。薩摩守という分身を使ってこの「戦国房」を立ち上げるに当たってやはりこの「本能寺の変」は「使える」とも「使いたい」とも思った。
 現にこうしてあなたが今見てくれています、しっかりと利用させて頂きました(笑)。


黒幕はあいつだ!
 本能寺の変で織田信長を襲い、自害に追いこんだのが惟任光秀である事は疑うものはいない。しかしながら信長を恨む人間の多さや、光秀自身が三日天下に終った手際の悪さが目立った事から、古来、「本能寺」には黒幕がいるのでは?と取り沙汰されてきた。

 勿論真相を突き止めるのは容易ではないし、それを証明するのはもっと困難である(タイムマシーンでも発明されない限り、半永久的に完全解明は為されないだろうし、為されても万人が納得するとは思えない)。
 そもそも黒幕は存在せず、隙を見せた信長を見た光秀が突発的に襲った可能性も否定は出来ない(変後の光秀の後手後手振りを見ると、変が切れ者・光秀の「計画的犯行」に見えない)。
 しかしながら謎が多いこともあり、展開からも「黒幕がいた」と思わせる素養は充分で、それは今後も囁かれ続けるだろう。
 最後に、現代人の視点から見た「黒幕可能性」をランキングした。
順位対象解説
一位足利義昭  最も信長に対する恨みの大きい人物の一人である事と、光秀の元主君であった事と、「手紙魔」と言われるほど、裏から人を動かしてきた人物像から、古来より本能寺の黒幕とされてきました。
 動機も実行犯との接点も充分で、信長を討った光秀が秀吉挟撃の為に毛利に送った書状に「先の足利将軍の為に戦う者」と自らのことを記したのは事実である。勿論光秀の大義名分ではあろうが、充分あり得る話でもある。
 真実をここで追究するわけではないのでこれで終るが、「利用される男」である足利義昭は「大義名分」を持つ男だったからであり、それを元に「懇願する事が出来る男」でもあったのだ。
二位徳川家康  伊賀越えで命からがら逃げ帰った事を考えれば黒幕説としては弱いのだが、家康にも信長を殺す動機はある。それは嫡男・信康の切腹事件である。

 本能寺の変程ではないが、信康切腹事件もまた謎が多く、単純な感情論では語れないのだが、家康が信康の死を悲しみ、惜しんでいたのは事実で、家康は必要とあれば冷酷になれる男ではあったが、決して血の通わぬ冷血漢ではなかった。否、薩摩守はむしろ喜怒哀楽の激しい男だったと見ている。

 推理小説において、「犯人を推理するのに、その事件で最大の利益を得た者を疑え。」という鉄則があるが、家康が最終勝利者である事からすべての陰謀の黒幕となり得る事を忘れてはならないし、彼にそれだけの陰謀家としての力があったのは疑い様がない。
三位正親町上皇  戦国期の天皇・上皇は影が薄いが、この正親町上皇はそんな大人しい人物ではなかった。また「ざま見ろ信長」の項でも触れたが、彼はかなり信長に面子を潰されている。動機は充分である。

 手段としても公家への発言力はいうに及ばず、近侍には信長に堂々と皇室財政改善を要求する硬骨漢である権大納言・山科言継(やましなときつぐ)がいた(言継は本能寺の三年前に病没)ほど、人材操縦に優れていたので、誰を動かしていてもおかしくない。

 本能寺の数日前から家康の接待と中国征伐の為に上京した信長に多くの公家が虚礼を重ね、信長が閉口したほどだと言うが、これが光秀を背後から糸引く上皇の信長足止め作戦だとしたら恐ろしい人物である。
四位近衛前久  「ざま見ろ信長」に書いた様に、信長に散々恥をかかされた彼も動機は充分にある。また彼は戦国大名との付き合いの幅が広かった。

 越後の長尾景虎(上杉謙信)が上洛してきたのに意気投合して越後に二年間もくっついていったこともあるし、信長の命で九州の諸大名の争いを調停した事もある(失敗に終ったが)。そんな彼だから様々な武将と知己があってもおかしくなく、当然光秀を動かし得てもおかしくない。そして二人は共に武田征伐直後に信長に恥をかかされていた。

 最後に事実だけを述べると、本能寺の変で明智勢は近衛邸から鉄砲を発射したとの風聞が起こり、それを聞いた秀吉が前久を詰問すると、前久釈明もせずに京を出奔して家康の元に逃げたのである。
 勿論世の中には疑われた段階で一切の釈明に聞く耳を持って貰えない事も多々あり、怒れる秀吉を前に釈明不可能と判断した前久がなりふり構わず逃げた事も考え得るので、これをもって「前久=黒幕」と断定する気は薩摩守にはないが、前久が怪しいのは否めない。
五位羽柴秀吉  さすがにこれは暴論だと思っている。最も得をした者を疑う原則と、信長の遺児達に対する冷たい仕打ちから極少数派が秀吉を黒幕としているが、薩摩守は支持しない。



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平成二七(2015)年七月四日 最終更新