故郷に想いを馳せる時

 例によって、独断と偏見で異郷に死した八人の人物を採り上げた。望郷の念度も帰国が叶わなかった事情も個々に異なる。帰りたくて帰りたくてたまらなかったのに帰れなかった阿倍仲麻呂栄叡の様なケースもあれば、新渡戸稲造二葉亭四迷野口英世の様に帰国自体には何の障害も無かったが病状の悪化が帰国までその寿命を留めてくれなかったケースもあり、原マルティノ高山右近の様に故国に帰るべき場が残されていなかったケースもある。山田長政の様に行き先に帰化したに等しい者もいる。
 勿論、故郷と異郷それぞれに対してどれほど思い入れを持っていたか、で異郷にて迎えた死に対する想いも異なるだろう。だが本作で取り上げた者達は多かれ少なかれ自らの意志で異郷に向かった者達である(国外追放になった原マルティノ高山右近のにしても、無罪放免よりも信仰の自由を選んだ、と云う意味においては「意志」がある)。だが、史上の「客死」した人間の中には意に沿わないまま異郷に送られ、異郷に死した膨大な数の者達がいる。

 早い話、戦死者である。

 本来、人が人を殺すことはむごいことで、自分が殺されるのは恐ろしいことである。それゆえ戦争とは、仕掛けるときだけでなく、自国民を戦場に駆り出すのにも「大義名分」を必要とする(古今東西、侵略や資源の強奪を声高に叫んで、自らを悪と自認して戦争を始める奴など皆無である!)。
 多くは領土・信仰・固有の(と称する)領土を守る為、としながら真の目的は資源・地の利(天険や交易港)・武器輸出入利権にあったりするが、それは建前上隠蔽される。

 そして戦前、時の権力が国民を戦場に駆り出す際の便利な一言とされたのが「御国の為。」であった。召集令状、所謂赤紙を郵便配達員に「おめでとうございます。」と云って渡されたら、腹の中で、「畜生、どこかめでてぇんだよ!!」と思いながらも喜んでいる振りをしないと「国賊」、「非国民」との罵声が待っていたという暗黒社会である。
 結果、国内外で三〇〇万人以上が命を落とし、戦死状況によっては遺体すら帰国出来ず、今でも遺骨回収が行われることが度々ある。勿論落命した地と日本の国交状況や、自然環境によっては遺骨の回収がままならないケースもある………。
 何が云いたいかと云うと、「異郷に死すなら自分の意志でその地に赴いた場合のみ!」ということである。

 人間は何が原因で命を落とすか分からないから病気や不慮の事故、最悪は犯罪やテロに巻き込まれて日本人が海外で命を落とすことが皆無という訳にはいかないだろう、残念ながら。
 世界にはテロが横行する世情に陥ることもあれば、どんなに治安の良い国でも犯罪に巻き込まれる可能性も完全なゼロにはなり得ない。だが、海外に命を落とすにしても、自らの意志で渡海し、自らの選択した行動の渦中に命を落とすのならまだ「理想に殉じた」とも云えるだろう。
 だが、行きたくもない戦争の為に異郷に命を落とし、遺体さえも容易に戻れない状態に陥ったとしたら……………軍と政治と社会を恨みたくなるだろう。

 現代日本において、余程血に飢えた殺人狂か、度の過ぎた軍事マニアでもない限り、左右に関係なく「戦争に行きたい!戦争の世よ、やって来い!」と考えるような者はいないだろう。だが、アメリカ様が行く戦争に付き合え、と云われたとき……………断固として反対出来る政権担当者が何人いるだろうか?
 戦前の日本人が「御国の為に。」と心の底から感じて戦場に立ったなどと云うのは、とんでもない誤解である。周囲の流れに逆らえない国民性が、異なる少数意見をやり玉に挙げる流れで戦場に向かってしまったが、徴兵制度に対しても徴兵逃れの方法を記した書籍がベストセラーになったり、下記の風刺画の様に感じたりしていたのが人間の本音である。

 
 日露戦争時の風刺画

 勿論薩摩守は死んだことが無いので、死に際しての無念が分かるとは云えない。執着の多い人間だから、どんな死に方でも悔いや無念は残ると思う。だがいつかやってくるのが避けられない死なら、その身は故郷に置きたいし、異郷の地で故郷を想うことになるならなるで、異郷に身を置いていることを完全に納得した状態にしたいものである。
 ともあれ、意に添わぬ異郷での死に遭遇しない為にも、日本人一人一人が重大な岐路に立っていることを自覚し直す必要があることを、異郷に死した人々の無念と重ねて真剣に噛み締めて欲しいと考える昨今である。

平成二七(2015)年一二月一七日




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令和三(2021)年六月三日 最終更新