異郷に死す

 大阪に生まれ、大阪で育ち、社会人として初めの八年を関東に住まい、その後大阪で過ごす道場主(とその分身達)は日本にある一都一道二府四三県の内、一都一道二府三六県を訪れたことがある。
 当然ながら、住む場所、職業によっては各都道府県を訪れる頻度は大いに異なり、未だ訪れたことがない県も七県存在する(令和二(2020)年一月四日現在)。
 そこで思うのが、

 「交通が発達した現代でさえ、同じ日本国内で生き易い所、生き難い所がある。昔になればなるほどもっと大変だっただろうな…………。」

 と。
 実際、一度大移動すると本拠地との距離や、従事する事柄によっては容易に故郷に戻れないことは珍しくなかっただろう。
 源頼朝、足利尊氏、徳川家康の様な幕府創設者に限らず、立身出世を遂げた者の中には本拠地を生まれ故郷から移し、その地にて没した者は珍しくない。勿論、敗者、刑死者、流刑者、戦死者の中には故郷を遠く離れた地にて無念の最期を遂げた者はもっと多いだろう。

 別に何処で死のうと場所で人間の価値が決まる訳ではないが、生きて来た過程によっては故郷や本拠地で死ねなかったことに無念を感じた者もいれば、誇りを感じた者も多いことだろう。
 例を挙げれば、上洛途中で病のために京にも行けず、甲斐にも戻れず病没した武田信玄は無念だっただろうし、紀伊藩主から征夷大将軍になったことで、その後終生和歌山に戻らなかった徳川吉宗は故地に死なずとも本望な人生だっただろう。

 そこで本作では、明らかに望郷の念を持ちつつも、それが叶わず、異郷………それも日本国外で客死した者達を独断と偏見で選んでみた。
 現代よりも遥かに移動が困難だった時代に、志を持って故郷飛び出し、志に邁進した為に日本を飛び出し、帰国が叶わなかった人間が陣背にどんな思いを馳せていたかを検証したい。
 第壱頁 阿倍仲麻呂………有名過ぎる望郷の念
 第弐頁 栄叡………共に帰る筈の師と友に先立って
 第参頁 高山右近………棄教するぐらいなら流刑を辞さず(工事中)
 第肆頁 原マルティノ………遣欧の偉業は輝かず
 第伍頁 山田長政………異郷の王座は短過ぎて
 第陸頁 新渡戸稲造………旧五千円札の地球は伊達じゃない
 第漆頁 二葉亭四迷………洋上に「クタバッテシマ」った
 第捌頁 野口英世………二つの故郷に想いを馳せての殉職
 最終頁 故郷に想いを馳せる時


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平成二七(2015)年一二月一七日 最終更新