最終頁 疑われる実在者と生まれ出る非実在者
何故疑われるのか?
史上に高名を轟かせながら、実在が疑われた人物を取り上げた訳だが、何故彼等は実在を疑われたのか?
詳細は個々の頁に委ねるが、彼等に限らず、そもそもどういうときに人はその実在を疑われるのか?を考察してみたところ、薩摩守は非常に大雑把ではあるが、以下の二点に注目した。
一つは、
「人は完璧超人の存在をまず認めない。」
と云うこと。そして今一つは、
「異説・珍説をもって世に名を売りたがる奴等が数多くいる。」
と云うものである。
まず前者だが、はっきり云って、聖徳太子や武蔵坊弁慶の伝説は人間離れしていて、史書特有の誇張・脚色を考慮に入れても信じ難いものがある。否、薩摩守自身、存在は信じていても人間離れし過ぎた能力に関しては信じていない。
親鸞上人にしたところで、彼を殺しに来た山伏・弁円が顔を合わせた途端に謝罪して、弟子入りを申し込んだなんて、「あり得んだろう?」と思っている(←注:あくまで伝説の一つを疑っているだけで、親鸞上人及び浄土真宗自体には一切の悪意は持っていません、念の為)。
そして、人は「こんな奴、存在した筈ないだろう?」と思った瞬間に、その実像を疑い、時としてその実在までをも疑い出すことになる。
まして現代の特撮ヒーローもびっくりな身体能力・超能力を持つとなると、そんな人物が明確な足跡を残さないまま、天下も取らずに世を去ったという結果を人はなかなか納得しない。聖徳太子が伝説通りの能力を持っていれば天皇にならなかったのはおかしいと考える人は多いし、武蔵坊弁慶の化け物じみた力があれば、源頼朝や藤原泰衡ごときに討たれたと考えるのに納得のいかなくなる時がある。
実際に、天下を取った天武天皇、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康にしたところで、能力や人格が完全無欠だった訳ではなく、ほんの少し運が悪いだけでどこかで命を落としていた可能性は大いにあった。
まして、余程思い上がった人間でない限り、成長過程のどこかでまず自分自身が完全無欠の人間ではないことを痛感させられ、この世に完全無欠なる者が存在することを信じられなくなる(思想・活躍の場をかなり限定すれば完璧な者も存在し得るが)。
史書に何者かを主人公として名を残さんとする者は、その人物を尊敬していることが多い。それゆえ、多少の美化や誇張があるのはまま仕方ない。薩摩守自身、その例外ではない。ただ、余りに現実乖離した内容は実在をも曇らせることを認識して欲しいものである。
さて、もう一つの要因である後者だが、従来の学説を覆らせる新説は確かに人目を引くし、その新説が世に受け入れられると発表した者の名は忽ち世間の注目の的となる。
結果としてそういうことが起きるのは歴史の真実究明と云う点においては非常に喜ばしいことだし、かかる成果を成した者の名は称賛されるべきだとも思う。
ただ、(薩摩守の偏見が含まれることを承知の上で書くが)目的が手段と化しているものが多い様に思われてならない。つまり、「俺の名を世に知らしめる!」との野望(←それ自体は悪いものではない)に走って、強引に異説・珍説の類を捻り出すという行為に走っていないか?ということである。
勿論そのことを当の本人に問い掛けても肯定されることはあるまい(腹の中で認めようと、認めなかろうと)。特に昨今、「聖徳太子非実在説」や「長篠の戦いで織田の三段鉄砲は無かった」を頻繁に様々な書籍で見るのだが、それ等の多くは、丸で「今までの学説はすべて嘘だ!」と云わんばかりの勢いで、あたかもその著者が発見したかのような筆致で論述しているパターンを呆れるほど見かける。
新説の論述者も、「全くの嘘」を自説に入れている人はまずいないと思うが、まずは自説を通すことに夢中になり過ぎて、自説の無理に目を伏せたり、従来の説を極端に貶めたりしてはいないかは一度振り返って欲しいものである。
疑われ出すタイミング 平成三一(2019)年一月一八日現在、歴史上の実在が疑われている人物達は何も近年になっていきなり疑われ出した訳ではない。
その多くは、明治時代や、太平洋戦争終結後の昭和時代に疑惑の端を発しているものである。勿論、説にも世に広く知られている場合とそうでない場合があるから、非実在説自体はもっと前からあったのかも知れない。
ただ、非実在説に限らず、従来の史観に異論を挟まれるケースが上述の時期に激増していることは多くの人が認めるところだろう。
何故か?
端的に云えば、「禁忌(タブー)の変遷」だろう。近代以前、時の権力の悪口は文字通り命取りになりかねなかったし、時の権力が唱える内容に異論を挟むにも大きな勇気と覚悟を要した。
だが、明治維新と太平洋戦争敗北は従来の価値観を大きく揺るがし、様々な禁忌が禁忌でなくなった。明治時代にアメリカ人学者によって法隆寺夢殿の扉が開かれたとき、法隆寺の僧侶達は法難を恐れて一斉に逃げ出したが、同じ頃に日本列島には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、それまで崇め、畏れられていた仏像がかまどの焚き付けにされる程、禁忌への認識は大きく変わった。
また、太平洋戦争の敗北により、皇室自体は存続したものの、「現人神」としての天皇陛下は否定され、法律から「不敬罪」の文言が消えたことで、過去の天皇に対する批判も問題なく行われるようになった(薩摩守自身、後白河法皇や後醍醐天皇の人格を思い切りけなしているが、戦前なら不敬罪に抵触した)。
それによって、確かに解き明かされた歴史の謎もあるだろうし、受け入れられなかった珍説・異説の中にも、新たな視点を示したことで歴史学の進歩に貢献した物もあったことだろう。
その中で、史上高名でありながら、極端に記述の少ない人物や誇張の過ぎる人物の実在が疑われたこと自体は自然の成り行きとも思う。
そして、ここ四半世紀、インターネットが発達したことで、歴史に関しても様々な情報が(真偽は別として)容易に閲覧出来るようになり、同時に発信出来るようにもなった。
時の権力や世の禁忌が大きく変わった訳でもないのに、昨今、従来の史観を否定し、どや顔で新説(←実際には然程新しくないものも多い)を述べる歴史本が雨後の筍の様に頻出しているのも、ネット社会の影響と密接に結びついていることだろう。
言論・学問・思想・良心の自由が保証され、様々な情報に触れられるのは誠に結構なことだが、「情報に触れ易い・流し易い」ということは、「虚偽や誤った説にも触れ易く、流し易い。」ということを認識し、今現在が正にその過渡期にあることを個々の心情に関係なく認識し、正しくものを見ることと、己の言に責任を持つことを重んじて欲しいものである。
現代も実在を疑われる例有り 平成の世に、「本当は実在しないのでは?」と疑われた有名人がいたことをごぞんじだろうか?
道場主が最も敬愛するアーティスト・大黒摩季さんである。
今でこそ、様々なメディアに顔を出し、全国津々浦々でライブを行い、仮面ライダーの主題歌まで歌っており、存在感有りまくりの摩季さんだが(万一、実在を疑う者には道場主とのツーショット写真を提示して実在を証明することも可能)、デビューから初のライブを行うまでの数年間、当時所属していたレコード会社が所属アーティストを簡単にはメディアに出さなかったこともあって、真剣にその実在が疑われた時期があった。
その内容は、「実は大黒摩季はコンピューターグラフィックスである。」というものだったり、「ジャケット用の「顔担当」と、実際に歌を歌う「声担当」と、「作詞作曲担当」の三人がいる」というものだったり、今見れば「阿呆か……。」の一言でしかない説が一時真剣に流れた。
道場主が摩季さんのファンになったときには既にライブも精力的に行われていたが、こんな阿呆な拙が流布していたのが、ほんの四半世紀前なのである。
メディアが発達したことで、有名人の小さな活動まで追いやすくなった今の世の中だが、逆にメディアに出なければそれだけで存在や実働が疑われるときがある。
摩季さんの例ほどひどくなくても、TVに出なくても、地方回り、舞台、制作、講師活動で活躍し、莫大な収入を得ていながら、TVに出ていないだけで、「えっ?あの人まだ活動してるの?」、「まだ現役だったの?」と云われるアーティスト・コメディアン・役者が数多く存在する。
ネットを初めとするメディアは情報を得る手軽で有効な手段だが、それに出て来ないからと云ってその存在を無視・軽視するのはかなり上っ面な物の見方であることを触れることで本作を閉めるとともに、この考えが歴史や世の中を正しく見ることの一助になれば、文を綴るものとしてこれにすぐる喜びはないと思う次第である。
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令和三(2021)年六月一〇日 最終更新