実在するの?しないの?

 歴史を学ぶのは容易ではない。
 単なる事実の羅列を覚えていくのは苦痛でしかない。それでも歴史が面白く感じるのは、そこに物語性が有るときであろう。戦国時代や幕末などの戦士はドラマになり易く、見せ場も多く、生き様・死に様が鮮烈に映るので記憶にも残り易い。

 そしてその間隙に出て来るのが、史実を元にした文学作品である。
 実際、源平合戦は『平家物語』から知識を得ることが多く、室町時代初期なら『太平記』、戦国時代なら『信長公記』『甲陽軍鑑』『太閤記』の記述が多くの人々の知識を席巻する。
 だが、残念ながら(?)上記の書物は所謂正史ではない。その時代を生きた人間による日記であったり、記録であったりする訳だが、「残す」という目的上、必ずしも真実が記されるとは限らず、誤って記述される可能性もあれば、時には意図的な歪曲も為される。意図的かどうかは別にして漏れもあり得るだろう。勿論、正史とて多かれ少なかれプロパガンダ書で、油断はならないのだが(苦笑)。

 いずれにせよ、専門家の目から見れば明らかに史実ではない事柄が、余りにも有名過ぎて、一般にはさも史実であるかのように広まっているものは少なくない。そんな中で時にクローズアップされるのは、

「こいつ実在したのか?」

 と見られる人物である。
 正史以外の書物で余りに有名な人物が、実在しなかったり、実在してもそんな大きなことを成していなかったりという例は確かにある。そこで本作はそんな歴史上の人物で実在が疑われている(或いは過去に疑われた)人物について考察してみた。
第壱頁 聖徳太子…………いい加減にしやがれ!「実在しなかった」論
第弐頁 弁慶…………真似されまくる立ち往生
第参頁 親鸞…………一遍の陰に隠れて
第肆頁 児島高徳………『太平記』の作者?
第伍頁 山本菅介…………活躍も容姿も諸説紛々
第陸頁 東洲斎写楽………重なる別人説
最終頁 疑われる実在者と生まれ出る非実在者


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平成三一(2019)年一月一八日 最終更新