日本史賢兄賢弟

最終頁 理想の兄弟とは?

 「兄弟」という観点において、日本史上の人物を一五頁に渡って考察してみた。一五頁とは、拙房における他の作品と比べてもかなり頁数が多い。それだけ「兄弟」で名を馳せた人物が多いからである。
 勿論、時代に応じてそこそこの身分が有れば名前は残るし、生まれた家でそれなりの地位に就くことを約束されることも多いので、薩摩守は「賢兄賢弟」に絞って考察し、姉妹との関係は対象外とした(兄弟と姉妹では置かれる立場も違い過ぎると見たので)。

 どの兄弟を対象としたかは完全に薩摩守の独断と偏見だが、基準ぐらいは記しておきたい。
 基準一、基本的に仲が良い(途中で訣別した例もない訳ではない)。
 基準二、兄・弟ともに優れた面を持っている(世間一般に無能呼ばわりされていても、薩摩守が「優れた面あり」と見たら対象としている)。
 基準三、極端に嫌いな奴が含まれると兄弟で活躍していても対象外。
 基準四、兄弟供に優れていても、活躍した時期が全く重ならない場合は対象外。

 以上が、一応の基準だが、厳密には上記に該当していても含まなかったり、該当しなくても含まれたりした例もある。
 だが、やはり真の基準となったのは、その兄弟に(様々な意味で)学べる点があるかということである。
 勿論すべての人から何かを学べることを思えば、厳密には学べない兄弟などいないのだが、薩摩守は「兄弟でも油断がならない。」、「兄弟で殺し合った。」、「家督を争った。」という文言を史料に数多く見るからこそ、希望を持てる兄弟の「賢兄賢弟」振りに注目したかった。
有名な日本史上の兄弟
 拙作を御閲覧頂いている方々の中には、「何であの有名な兄弟が含まれていないんだ?」という想いを抱かれた方も少ないくないことと思う。
 そこで参考までに、日本史上の有名な兄弟と、彼等を取り上げなかった例を記しておきたい。
日本史上の有名な兄弟取り上げなかった理由
天智天皇und天武天皇薩摩守が両者を英雄と認めていない。
藤原武智麻呂und房前und宇合und麻呂有能で仲も良かったが、人として好きになれない兄弟だったから。
源頼朝und範頼und義経仲が良かったのは上辺だけと思っているし、薩摩守の頼朝嫌いは尋常じゃないので(苦笑)。
織田信長und信行二人とも嫌いだから。
織田信忠und信雄und信孝明智光秀・羽柴秀吉・徳川家康に翻弄された様は「賢兄賢弟」と云えないので。
武田義信und勝頼und盛信取り上げたかったが、意外と行動を共にしていないので。
伊達政宗und小次郎小次郎について殆ど分かっていないので。
徳川家光und忠長und保科正之兄弟相克が醜過ぎるので。
徳川家重und田安宗武und一橋宗尹同上
島津斉彬und久光薩摩守の研究不足(苦笑)。
徳川慶篤und慶喜薩摩守の研究不足(苦笑)。
西郷隆盛und従道薩摩守の研究不足(苦笑)。
徳富蘇峰und蘆花薩摩守の研究不足(苦笑)。
 うん、やはり薩摩守の歴史研究はまだまだだな(苦笑)。


兄弟相愛のとき・相克のとき
 ここで少し分析に移りたい。同じ両親(時には片親)を持ち、最も身近な存在でありながら何故に兄弟は時に愛し合い、時に争うのだろうか?
 最終的に袂を分かち、殺し合った兄弟とて、端から相手を殺すことを喜んだ例など皆無に近いし、弟を殺した織田信長も、一度は弟を赦免しているのである(にもかかわらず信行は信長に再度逆らって殺されているので、信長嫌いの薩摩守もこの点に関しては信長の方が正しいと思っている)。実際、兄弟相争った結果が幽閉・隠居・出家に留まったケースも多い。
 勿論、終生仲違いしなかった兄弟の方が遥かに多いことだろう。

 分析の結果思ったのは、御家の置かれた状況に決め手在り、と薩摩守は見ている。
 まず「兄弟相愛」のケースだが、毛利三兄弟島津四兄弟が好例、と薩摩守は見ている。「親兄弟ですら信用出来ない。」という表現は、本来なら身内が他人より信用が置けるから存在する表現である。「遠くの親戚より近くの他人」という諺もあるが、基本は「他人より身内」だろう。
 となると、遠い親戚や、血の繋がらない累代の家臣よりも親兄弟との協力を考えるのは最も自然な考え方だろう。人間は自然と自分に近い者と協力し合おうとする。まして少し離れた所に難敵を抱えていては尚更だろう。
 戦乱の世に兄弟仲が良かったのは結構なことだが、外敵があって初めて団結する様では些か悲しくはある。

 次いで、「兄弟相克」のケースだが、これは「兄弟の属する御家に大権が有る」状態で、且つ、「その大権に群がる取り巻きが多数いる」と云う場合だろう。
 つまり御家に財産や権力が無ければそれを奪い合う争いも起こらないのだが、これは現代でも遺産相続が代表的で、古今東西同じ話かも知れない(苦笑)。
 この問題が深刻なのは、当の兄弟達が実際には仲が良くても、兄弟が受け継ぐ財や権力を睨んで取り巻き達が暴走しかねないことにある。
 順当にいけば地位も財も嫡男が継ぐ訳だが、次男以降の弟に仕える取り巻き達は若君が家督を継げるかどうかで自分達が将来得る地位や財産も大きく左右されるため、兄弟の父が持つ権力や財力が大きければ大きい程、それに目を眩ませて、若君を担ぎ上げての謀反を辞さない者すら出て来る。
 勿論、嫡男や長兄がそんな弟(とその取り巻き達)の野心を許さない程、能力や母親の出自に確たるものを持っていれば避けられる諍いなのだが、猜疑心が強いと何の悪意もない弟達に兄が刃を向けることもある(例:斎藤義龍龍重龍定兄弟徳川家光忠長兄弟)。

 財産や権力は有って嬉しいものだが、それに振り回されて肉親の情が「可愛さ余って憎さ百倍」となるのは最低だと思うが、果たして現代人は過去の人々を嘲笑うことが出来るだろうか?

 現代人が史上の「兄弟」に何を学ぶか?
 まあ、ここまでにほぼ答えは書いた様な気がする。それも直前に。
 何もなければ助け合う「兄弟」が、有り余る財産や権力を前にすると「政敵」と化す。何とも遣り切れない話だが、逆を云えば「財産や権力に動じない絆」を持ち、「財産や権力に群がる取り巻き」を封じ込める意志の強さがあれば「兄弟」は常に「大切な親族」足り得るだろう。

 云い換えれば、血の繋がった身内ならずとも、力に惑わされず、理想や大切な何かに向けて協力し合える関係にあれば、実の兄弟でなくとも良い絆を築くことは可能である。
 一口に「兄弟」と云っても、細かい定義を持ち出せば雑多な例が存在する。姉や妹の夫と義兄弟となることがあり、妻の兄や弟と義兄弟となることもある。
 身内に入らずとも、強力な概念を共有する兄弟もある。キリスト教で聖職者をブラザーシスターと呼ぶのが好例と云えようか?悪い例を出すなら「ヤ」の付く自営業の方々が盃を介して「兄弟」と呼び合うこともあろう。特に深い友情を持って「兄弟」と呼び合うこともある。道場主と非常任師範代・田夫野人庵もそんな関係である。ああ、そうそう同じ女性を抱いた者同士が「穴兄弟」ということも………あ痛!(←道場主にピコピコハンマーで殴られた)………下ネタ、失礼。

 真面目に戻るが、血の繋がりや姻戚のみで自動的に為された兄弟関係には好ましからざる仲も確かに存在するだろう。その原因は周囲に存在することもあれば、残念ながら互いに人間的に相容れなくてそうなることもあるだろう。
 幸い、平和な世に住む現代の我々は余程大きな権力か財産でも無い限り殺し合うことまではないだろう。権力は(建前上)世襲ではないし、財産は分けることが出来、先代が余程変な遺言を残さない限り、民法に沿うなら一定の分与には預かれる。それでも争いが生まれるならそれはもう当人の人間的欠陥だろう。

 せめて歴史上の兄弟達が苦難の時代に助けあったことに感動し、権力を巡って争ったことに悲しみを覚えるなら、人間が作った物に揺さぶられる兄弟関係を憂えず、自然と備わった身内を想い遣る気持ちを大切にしたいものである。それでもそれが不可能なら互いに関わらないことだろう。
 まず、薩摩守としては自分と概ね仲好くしてくれる二人の義弟(妹の旦那)と、その仏縁への感謝を忘れないようにしたい。

平成二七年二月二二日 薩摩守




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令和三(2021)年六月二日 最終更新