第15頁 何をもって「キング」とするのか?

 冒頭で述べた様に、本作は閲覧者の方からリクエストされて制作したものである。リクエストを頂いたこともそうだが、リクエスト内容も特撮を愛好し、考察する者にとって非常に嬉しいもので、第1・第2ウルトラシリーズに限定しつつも、考えられる限りの「キング」を取り上げようとして、14体を採り上げた。
 更に嬉しいことに制作中にも、意見や述べて欲しいことを他の閲覧者の方からメールを頂いたりしたので、改めて閲覧して下さる方々がいての拙サイトであることを痛感させられた。リクエストやメールを下さった方々には改めてこの場を借りて厚く御礼申し上げたい。

 さて、各頁でも述べたが、「キング」にも様々な要素があった。単にデカいだけで「キング」されたものもあれば、強さを指して「キング」とされたものもあり、ある種の能力に特化したことで「キング」とされたものもあり、宇宙人に使役される存在でありながら戦闘手段として重宝されたことから「キング」とされた者もいた。
 勿論複数の要素を兼ね備えたものいれば、要素不明な事象的な「キング」も存在した。

 当然、「キング」という単語に込められた軽重も個々に異なったことが考察してみてよく分かった。これは現実の世界における「キング」という呼称も同様で、日本語において使用された際に、「まさに「キング」だ!」と云いたくなるケースもあれば、「これのどこが「キング」だ?」と云いたくなるケースもある。
 そこでこの最終頁では、改めて「キング」という言葉もつ意味・重み、それ等に対するシルバータイタンなりの想い、そして現実の世界に在って、「キング」と如何に向き合うかを考察・述懐して本作を締めたい。


考察1:「キング」と「エンペラー」
 「王様」と云えば、一般ピープルにとって、「雲の上」とも云える存在である。だが、世の中には「王」=「キング」よりも貴き存在がいる。「皇帝」・「天皇」=「エンペラー」である。
 古代中国には同時に何人もの「王」が存在したが、紀元前221年に七つあった王国・秦の王であった贏政が他の六国を滅ぼしたことで、「王」を凌駕する存在として、「皇帝」。を、始まりの皇帝として「始皇帝」を名乗った。
 以降、中華において「皇帝」を唯一無二の存在とされ、「皇帝」は他国の君主が「皇帝」を名乗ることを(原則的)許さなかった。

 隋の時代に煬帝は遣隋使から受け取った国書で日本の君主が「天使」を名乗っていることに激怒したし、中国と陸続き故に日本以上に対中外交に慎重さを求められた朝鮮半島では日清戦争で冊封体制が崩壊するまで「王」しか名乗れず、「万歳」は「千歳」、「陛下」は「殿下」として、中華皇帝を憚った。

 そして日本でも81年前までは、天皇が「絶対にして冒すべからず」の存在とされ、それ故か今でも日本語において「エンペラー」は「キング」程には多用されない。「キングサイズ」とは云っても、「エンペラーサイズ」とは云わないし、動物でもキングサーモン、キングコブラ、ダイオウサソリと、「キング」はよく聞くが、「エンペラー」となるとペンギンぐらいである(勿論探せばもっといるだろうけれど)。
 つまり、「皇帝」や「エンペラー」はそれ程軽々しく用いられることが日本はもとより、世界においても憚られて来た。すくなくとも「キング」よりは。それはウルトラ怪獣も例外ではなく、「キング」のつく怪獣は数多くいるが、「エンペラー」は稀少である。

 その僅かな例外として、宇宙大皇帝エンペラ星人がいる。肩書だけではなく、暗黒四天王と呼ばれる配下(悪質宇宙人メフィラス星人冷凍宇宙人グローザム策謀宇宙人デスレムヤプール)から実際に「皇帝陛下」と呼ばれ、初めてその名前が出たのは『ウルトラマンタロウ』第25話だったが、その時は名前だけで、実際に姿を表したのはそれから32年半を経た『ウルトラマンメビウス』第48話でのことだった。
 かなり勿体ぶっていたし、長きに渡って名前だけだったが、作中における足跡は極めて大きい。何せ3万年前に怪獣軍団を率いて光の国を襲撃し、ウルトラの父に重傷を負わせた。ウルトラ兄弟に在っても『ウルトラマンメビウス』でその姿を見せるまでに見たことがあったのはウルトラの父・ウルトラの母・ゾフィー・ウルトラマンキングぐらいだった。
 数多く登場した「キング」に比べ、「エンペラー」の持つ威光・存在感・重厚感・力量は全くもって段違いである。

 もし、これが海外ならどうなっていただろう?
 推測に過ぎないが、日本天皇・中華皇帝・ローマ皇帝が周辺国にも大きな存在を持っていた東アジア・欧州では「エンペラー」は軽々しく用いるのを憚られたと思われるが、中華帝国やローマ帝国の影響が比較的薄い西アジア・アフリカ・中東ではまだ使い易かったのではないだろうか?
 それでもペルシャ帝国(現イラン回教共和国)・マリ帝国(現マリ共和国)・オスマン=トルコ帝国(現トルコ共和国)・ムガル帝国(現インド・パキスタン・バングラディッシュ)・アラブ帝国と「帝政」は数える程しかなく、王国・王政の方が圧倒的に多い。逆を云えば、下手に「エンペラー」を名乗れば、それを許さないとする他の「エンペラー」を敵に回す可能性が高く、プライドと国力の双方に自信が無いと簡単に名乗れたものではない。

 その点、「キング」とはトランプにも用いられている様に、親しみやすい存在なのかもしれない。もっとも、この玩具と同名の、自分を「キング」と自認して思い上がっているとしか思えない某国大統領は全く親しめんが。
 せめて特撮怪獣には畏敬と親しみを同時に持てる「キング」には今後も親しみたいものである。


考察2:敢えて取り上げなかった「キング」の肩書を持つ怪獣
 制作に時間がかかり過ぎることや、昭和シリーズと平成シリーズに対する考察度合いの差異から、端から本作において採り上げるのは第2期ウルトラシリーズ登場怪獣まで、と決めていた。
 ただ、お気付きの方も多いと思うが、すべてを網羅してはいない。敢えてスルーした「キング」の名を持つ怪獣もいる。それは『帰ってきたウルトラマン』の第32話に登場した変幻怪獣キングマイマイと、第50話に登場した原始地底人キング・ボックルである。

 何もこの2体が嫌いな訳でも、この2話が考察に値しなかった訳でもない。それどころか、この2話は同作においても名作の一つにカウント出来る。第32話は同作を代表する「11月の傑作群」の一つである。第50話は最終回の手前にして、上野一平隊員(三井恒)が恩師と婚約者の為に必死になる話である。
 ただ、作品の優秀さに文句はないのだが、2体の怪獣の在り様から、「キング」としての考察を見送った。

 まずキングマイマイだが、脱皮することで幼虫形態と成虫形態という2つの姿を見せたことで知名度も高い。一方で、屁を武器にしたり、死んだ振りをして不意打ちしたり、とおおよそ「キング」には相応しくない、セコい立ち居振る舞いが痛かった(苦笑)。勿論、只の怪獣として登場する分には、全然「有り」な立ち居振る舞いである。「11月の傑作群」に登場した重要な怪獣であることからも、「キング」を名乗るにはもう少し王者らしくあって欲しくて、敢えてエントリーから外したシルバータイタンの我儘を閲覧者の皆々様には御理解頂けると幸いである。

 次いで、キング・ボックルだが、これを外したのは、個人的にキング・ボックルを地球の先住民と見做し、「怪獣」と見ていないからである。勿論、地球原人ノルマルト同様、先住していた史実をもって現住地球人が土地を譲ったり、支配下に入ったりする訳にはいかないから、戦い、滅せざるを得ないのは悲しい現実となる。
 30kmもの地下から地上を取り戻し、「キング」として振舞う意図があったか否かは定かではないが、本来なら平和に過ごす一般ピープルであり得た事を思うと、「キング」としての考察をしたくなかったのが本音である。

 キングマイマイキング・ボックルを採り上げなかったことには批判の声もあるとは思うが、王者を意味する「キング」という単語の持つ重みはそれだけ大きいことを御理解頂ければ幸いである。


考察3:地位だけが「キング」にあらず
 現実の世界には(現在のところ)怪獣は存在しない。そして現代日本に在って「天皇」が存在するのみで、国家体制上の「キング」は存在しない(近代以前は皇族に王号が与えられることはあったが)。となると、「王者」、「キング」と呼ばれるのは一芸に秀で、多数との競争に勝って頂点に上り詰めた者にその称号は授与される。野球におけるホームラン王が分かり易いだろうか?
 一方で、悪名を強調する為に敢えて「キング」や「王」の名を被せることもある。かつて務めた会社の先輩に「遅刻の帝王」と呼ばれる人(遅刻さえなければ非の打ち所の無い仕事をする人だったのだが………)がいたし、詳しく書けないが、契約の約束を何度も反故にした顧客はリストの備考欄に「未入金王」と書かれていた。本来、尊ぶ為の称号である筈の王号を悪用した悪質な皮肉である。

 別の見方をすれば、称号や地位や成績だけが「キング」ではないとも云える。しょーもない誹謗中傷に惑わされず、物事に真っ当に取り組み、正しき姿勢を貫き通すことを「王道を歩む」と云う。王道を歩み続けることは、時としてそのクソ真面目振りを揶揄されたり、嘲笑されたりするし、成果が伴わない時は心が折れそうになる時もある。目先の欲に目が眩んだり、その場の労苦を厭うたりして、王道を踏み外すことは珍しい話ではないが、それを貫いた人間には大きな誇りと満足が残される。
 どんな人間にも優れた点はあり、身の置き所、立ち居振る舞いによってそれのが発揮されるか否かの相違があるだけで、王者ならずとも、王道を歩み、自らに恥じない真の「キング」となることは、難しいことではあるが、不可能な話ではない。
 「そうは云われてもなあ………。」と思われる方も多いと思うが、フィクションにおける存在で、ヒーローに倒される存在であっても、本作に登場した「キング」達に親しむことの出来た方々なら、決して能力や地位や成功だけが「キング」を為す訳では無いことを理解して下さると思うし、心に誇るものや、一貫した信念の無い名乗るだけの「キング」は空虚なものに過ぎないことを理解して抱けると信じる次第である。

令和8(2026)年3月24日 特撮房シルバータイタン




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令和八(2026)年三月二四日 最終更新