最終頁 「君側の奸」が生まれるとき………

 改めて振り返ると、一口に「君側の奸」といっても、様々であることが思い知らされる。
 「君側」に関しては皆そうだが、「奸」という意味では梶原景時石田三成本多正純柳沢吉保の様にかなり多くの者達に嫌われた者もいれば、長崎高資田沼意次の様に「贈賄先」としてしっかり利用された者もいる(つまり贈賄物にも問題あり、ってこと)。
 また、高師直や細川頼之や長坂釣閑斎が「奸」とされたのは政敵による敵視からの趣が強く、個人の生涯を辿れば間部詮房や鈴木貫太郎等は「奸」とは云えないだろう。

 また「君側」にあっての主君との関係だが、長崎高資高師直の様に主君を侮っていた者もあり、梶原景時柳沢吉保間部詮房田沼意次等の様に「御主君あってのそれがし」という者もある。一方で、主君を凌ぐ権勢を誇り、主君を侮っていた長崎高資が鎌倉幕府滅亡に殉じていたりもするから彼等の対人関係も単純ではない。

 そして注目すべきは彼等の多くはそれなりに有能で、側用人出身の柳沢吉保間部詮房田沼意次は後ろ盾を失って即失脚したが、それ以外の者は何もすぐに失脚した訳ではなく、何年にも渡ってそれなりの地位や勢力を保っていたし、鈴木貫太郎に至っては主君が誰であってもその有能さ、その人柄を大いに頼られたことだろう。

 決して「奸」ばかりではないし、中には「奸」とはほど遠い者もいるのだが、何故に「「君側の奸」を討て!」の声が歴史に絶えないのか?
 そのことを考察して本作を締めたい。
「妬み」という負の感情
 前述した様に、「君側の奸」と呼ばれた者は贈賄対象とされることがある。つまり悪口を叩かれつつも彼等は権力者の側にいることで力を持っている、その力を利用出来る人間である、と認識されるのである。「君側の奸」と罵りながらその権勢はちゃっかり利用しようと云うのだから呆れ果てた物である。

 そこで考察されるのは、「賄賂を受け取るような奴が尊敬されるか?」という話である。「○○議員収賄容疑」という報道を見て、「ああ、やっぱりな…。」と納得することはあっても、「へぇ〜こいつ賄賂を送られる力のある奴なんだ……。」と感嘆されることはあるまい(笑)。
 人間、自分に比して地位や権力ある人間を妬むことは決して稀ではない。ましてやそれが「労せずして地位や権力を掴んでいる」と見做した場合、その面白からざる感情は更に増幅される。
 まあ、ここまでは健全ならずとも自然なのだが、一方で、人間には「負け」や「劣っている」ということを認めたがらない感情もある。となると、

 「俺があいつより地位が低いのは、奴が殿に可愛がられているからだ……。」
 「あ奴め……たいして能もないくせに殿に上手く取り入って、出世しおって……。」

という陰口が生まれる。
 「地位」を「給料」・「役職」に、「殿」を「社長」に置き換えれば、これは現代社会でも往々にして起きているマイナス感情のくすぶりである。残念ながら、薩摩守は例外ではない。

 仮に主君の溺愛による出世だったとしても、溺愛されるからにはそれだけの理由がある。その溺愛が相手の能力を正しく評価する目を曇らせた上での出世の果てに、溺愛された物が悪性・悪行を為せば「君側の奸」という評価は成立する。
 まずは嫉妬に己が目が曇っていないかを顧みる必要はあるだろう。



主君のスケープゴートとしての「君側の奸」
 今の世の中で、「総理大臣の阿呆!」と叫んだとしても、逮捕されることもないが、元禄の世で、「将軍の阿呆!」と叫んだら、御用どころか、首が飛んだ。そう、「偉い奴」に向かって云いたいことを云えるようになったのはここ数十年の話なのである。
 何せ、この文章を打っているほんの一日前に、総理大臣のお友達である放送作家が「政府に反抗的」という理由で沖縄の地方紙のことを「絶対潰さなあかん!」等とのたまっている状態である。
 さすがにこの放送作家は仲間からも叩かれ、「冗談だった。」という開いた口が塞がらん子ちゃんな云い訳をしていたが、この報道を見ると本当に、人間には自分に反対する物の口を封じたがる気持ちが存在することが分かる。

 ともあれ、単なる感情任せの悪口は良くないことだが、「権力者を悪く云えない。」ということは「権力者に失政・悪性があっても叩けない。」ということでもあった。
 勿論、中には相手の身分を問わず諫言を謙虚に受け入れる「名君」も歴史上に散見されるが、「諫言」を「世に対する反逆」として誅殺(或いはそこまでひどくなくても降格や体罰)に走ったものも数多くいる。
 まして、「直訴」が死を意味した様に、身分が低い程、「殿様」には云いたいことを云うのは(例え正しいことであっても)困難を極めた。
 そこで人が求めたのは、主君の代わりに文句を叩きつける相手、つまりは主君のスケープゴートとして「君側の奸」に悪口の捌け口を求めるのである。

 第参頁の高師直の項でも触れたが、元禄の世、赤穂浪士が主君の仇・吉良上野介を打った際、江戸の町民は彼等の忠義に喝采を浴びせ、この義挙は現代に至るまで様々な作品にて描かれた。だが、元禄当時は将軍徳川綱吉や、殺されたとはいえ大名である吉良上野介を悪く書くことが法に触れたたため、吉良上野介を高師直に置き換え、時代を室町初期にシフトさせて描いた『仮名手本忠臣蔵』として作られた(大石内蔵助は「大星由良助(架空の人物)」に、浅野内匠頭は「塩冶判官高定(実在する人物だが、本当の名は「高貞」)」に置き換えられた)。
 つまり浅野内匠頭や赤穂浪士に同情する民衆は、浅野を即日切腹させた徳川綱吉や、「喧嘩両成敗」にもかかわらず「御咎めなし」とされた吉良上野介にブーイングの声を上げたかった(そのブーイングは必ずしも正当ではないのだが、その問題はここでは触れない)が、それが出来ないので、似た事件で、「昔のこと故、今どう悪し様に云っても問題ない事件」をモデルとした作品に鬱憤晴らしを求めたのである。

 少し話が逸れたが、「君側の奸」は、その呼び方からして、それを寵愛する主君への不平も多少は含んでいる「君側の奸」と呼ばれた人物は、確かに主君の寵愛に思い上がって好き勝手をやろうとしたロクでなし(←その「程度」は個々に異なる)も多いが、主君に云えない(陰口を含む)不平の捌け口にされたケースもまた少なからず、である。

 確かに、人には「王様の耳はロバの耳!!」と叫ぶ穴は必要なこともあるのだが。



「君側の奸」を討つ前に討つべきは?
 事の是非や、実像に関わらず、「君側の奸」と呼ばれた者は、まず有終の美を飾れず、悲惨な末路を辿ることになる(勿論例外もあるが)。それだけ人間の嫉妬や思い込みには恐ろしい物があり、その恐ろしき面に現代の我々は決して無縁とは云えない。

 いたたまれないのは、「君側の奸」という悪感情丸出しの言葉自体からして、実像を正しく捉えているかどうか分からないままに古今東西醜い争いが繰り広げられていることである。
 道場主が「君側の奸」という言葉をはっきり認識した最も古い記憶は大河ドラマ『独眼竜政宗』で、鬼庭綱元(村田雄浩)が片倉小十郎(西郷輝彦)に「貴様は「君側の奸」じゃ!」と云い放ったシーンである。
 その言葉を聞いた瞬間、すぐに漢字が頭に浮かんだので、恐らく道場主はそれ以前に何処かで「君側の奸」という言葉を見てはいたのだろう。
 それはともかく、伊達政宗にとっての片倉小十郎景綱がかけがえのない重臣であったことは余人の言を待たない所で、歴史の結果を知る更生の我々としては綱元の言が誤解であることはすぐに分かる(実際、綱元が小十郎を嫌っていた時間は長くなく、両者は伊達家のために終生力を合わせた)。

 何が云いたいのかというと、片倉小十郎の様な人物でさえ、チョットした誤解で「君側の奸」といわれることがあるのである。そして「君側の奸」という敵視は、多くの場合、敵視する側にも敵視される側にもいい結果をもたらさない。

 人生において、誰かに「あいつは「君側の奸」だ!」、「おべっか野郎め…。」、「社長(or先生・リーダー)に可愛がられているからと想って調子に乗りやがって…。」といった、感情に捉われたとき、下記のことが大切と思われる。

○嫉妬に曇らされていない正しい目で人を見ること。
○本当に攻めるべき相手が主君なら、主君相手に諫言を行うこと。スケープゴートに八つ当たりしても解決することは決してない。
「君側の奸」去りて後、己が「君側の奸」になりはしないか?との自問自答。

 これらを怠って、「君側の奸」を除こうとするのであれば、その行動は大義なき行動になるか、新たな「君側の奸」を呼ぶことでしかないだろう。
 本当に除くべき「君側の奸」も存在するだろうけれど、有りもしない「君側の奸」の幻影に振り回される様なことはしたくないものである。

 本作が「歴史の教訓」を考察する材料となれば、制作者としてこれにすぐる喜びはない。



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令和三(2021)年六月三日 最終更新