『君側の奸』なのか?

 歴史上、腰巾着太鼓持ちごますり野郎おべっか野郎佞臣(「ねいしん」と読む)…………等の通称を持って呼ばれる者達が無数に存在する。
 これ等の単語に良いイメージを持つ人は殆どいないのではないだろうか?これらはすべて権力者の側近くで阿(おもね)って、利権を欲しい侭にしている奴等を指す言葉で、自然、これらの言葉を冠せられる人物もまたよく云われることは少ない。  その様な人物を特に強く揶揄した言葉が、「主の近くにいる者」を意味する「君側の奸(くんそくのかん)」だろう。

 実際、この様に揶揄される人物は、ほぼ例外なく君主の寵愛を元に大きな権力を持ち、彼等と敵対した者達は痛い目に遭うことになる。
 当然、彼等は多くの人々に妬まれ、疎んじられ、嫌われ、後ろ盾となる主君(またはその寵愛)を失った際には悲惨な末路を辿った者も少なくなかった。また、白眼視されたが故に、その能力・神格・忠誠心・業績に対して正当な評価が為されなかった者も多い。

 だが、彼等、「君側の奸」と呼ばれた者達は上記以外の点では千差万別である。
 真に有能だったゆえに主君の寵愛を得た者もいれば、大して能も無いのに主君の寵愛を得たことで分不相応な権力を得た者もいる。
 主君の寵愛以上の忠誠心を持っていた者もいれば、主君の寵愛程には忠誠心を抱いていなかった者もいる。
 生前に正当な評価を得た者もいれば、長く悪名に苦しんだ者もいる。
 本作ではそんな「君側の奸」と呼ばれた者達にスポットを当ててみた。

 これは薩摩守の想像なのだが、誰だって「君側の奸」などと呼ばれて気分良くは思わなかったことと思う。彼等の多くは決して馬鹿ではなかったので、武器を持った者同士が日常的に接する中、単純に嫌われることは自分の身を危うくすることぐらい理解していただろうし、少しでも歴史を学んだ者なら、大権力者の後ろ盾を失った者の末路ぐらい把握して事だろう。

 それでも彼等は君主の側に侍り、力を振るうことを選んだ。

 彼等をそうさせたものは何だったのだろう?
 権力や財力に対する欲望?
 君主の側にいることで多くの者達の上に君臨する優越感?
 讒言など気に掛けない程の忠誠心?仕え甲斐?
 事の成り行き?

 いずれにしても彼等の実像に薩摩守なりに迫ってみたい。
第壱頁 梶原景時……元祖・讒言者?
第弐頁 長崎高資……魁!賄賂奉行
第参頁 高師直……傍若無人のバサラ者
第肆頁 細川頼之……強制隠居と黒幕復帰
第伍頁 長坂釣閑斎……最後の最後に殉じた者
第陸頁 石田三成……生真面目過ぎた男
第漆頁 本多正純……『釣天井』を捏造された嫌われ振り
第捌頁 柳沢吉保……THE・側用人
第玖頁 間部詮房……大奥に入れた男
第拾頁 田沼意次……「賄賂政治の代名詞」か?「重商主義の改革者」か?
第拾壱頁 鈴木貫太郎……「君側の忠」or「君側の奸」
最終頁 「君側の奸」が生まれるとき………


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令和三(2021)年六月三日 最終更新