第拾壱頁 恐妻家が持つ「妻」より怖いもの
恐妻の要因は? 一口に「恐妻家」と云ってもその在り様は様々で、本作で採り上げた人物の中にも、「恐妻家」と云うよりは「愛妻家」に近い者もいれば、単純に夫婦仲が冷え切って互いに関わらない関係の者もいた。正直、薩摩守の「恐妻家観」を疑問視される方々も多いと思う(自分でも木戸孝允をカウントしたのには今でも疑問を感じている)。
実際、愛情の有無からして千差万別で、夫婦関係がこじれたり、冷え切ったりした要因もばらばらである。ではそもそも夫婦となり、子供も成したにもかかわらず何故に「恐妻」と云う状態が生まれるのでああろうか?本当に愛情がなければ「離婚」と云う手段もあるのだが、恐妻家はまずその手段を取らない(それゆえ「恐妻家」状態が続く訳だが)。
妻帯したこともない分際で分析するのは自分でも生意気な気がするが(泣笑)、大雑把に云って、二つの要因があると思う。その一つは「妻の実家との絡み」、つまり「実家」を恐れるケースである。
これは高貴な身分の者に程よくある傾向と薩摩守は見ている。大名・貴族ともなれば年端もいかない内に家柄と家柄で本人の意思など一顧だにされず婚姻が成立する。本作で云えば足利義政や徳川家康・徳川光友が該当するだろう。
勿論、然程家柄が高くなくてもそこそこの家格か勢力があれば政略結婚の方が当たり前で、政略結婚であっても仲睦まじい夫婦は古今東西ごまんと生まれている。ただ、妻の実家がより大きな家格や勢力を持っていれば、妻よりもそちらを気遣わなければならないケースが考えられる。
足利義政の妻・日野富子の実家である日野家(←公家として、家格は足利家より上である)は三代義満の代から将軍家御台所を輩出し、室町幕府にあって隠然たる力を持ち、母・重子まで日野家出身だった義政は嫌でも日野家を意識した政治を行わなければならず、弟・義視への将軍位移譲を反故にせざるを得なかったことだろう(それでありながら義視に対して態度をはっきりさせなかったのがこの男の最悪なところだったのだが………)。
また弱小勢力時代の源頼朝や松平元康は正室の実家である北条家や今川家との仲を決してこじれさせる訳にはいかなかっただろう。となると、妻への想いはどうあれ、妻を冷遇、ましてや離婚など考えも及ばないケースが、ままならなさを加わって恐妻となることは充分あり得る。
野心家にとって高貴な生まれの女性を妻に迎えるのは一種の憧れだったり、有効な手段だったりする訳だが、それも良し悪しだと云えよう。
もう一つのケースは所謂「べた惚れ」で、それが昂じて妻の愛情を失いたくない一心で妻に逆らえない、妻の云いなりになる、つまりは「愛情の喪失」を恐れるケースで、意外に豪傑に多い(笑)。
本作で云えば福島正則や井伊直政が該当し、場合によっては木戸孝允も当てはまるかもしれない。三者とも個人武芸に秀でた剛の者で、戦場で顔を合わせれば多くの者が逃げたくなることだろう。それが妻には弱いとなれば何とも妙で、何とも微笑ましい。
恐らく、目の前の敵をぶった切ればそれでいい戦場とは勝負の勝手が異なり、それゆえ妻には強く出られず、逆に自己の武力が妻の愛情を遠ざけることを恐れるのであろう。
勿論、この二つの要因を兼ねたケースもあれば、両方とも該当しないケースもある。徳川秀忠が前者で、真田信之・小村寿太郎はどちらとも違う気がする。
男であれ、女であり、この世に同じ人間は二人といないから、すべての夫婦を単純に語るのは不可能であることは先刻承知だが、有能な人間でも、人望のある人間でも、三大力(権力・財力・武力)を兼ね備えた人間でも、必ずしも円満な夫婦関係を築けるとは限らないことに人間の複雑さと興味深さを感じずにはいられない。
ネタとしての「恐妻」 現実の世にあって、薩摩守は自分の周囲に恐妻家の姿を見ていない。まあ自分が独り者なので他人の夫婦関係にちゃちゃを入れられる立場にないし、「かみさんのことをもう愛してない。」と平然と云える人は多くても、「女房が怖い……。」と云える人は少ないと思われる(苦笑)。
ただ、恐妻が淡々と述べられる世界がある。お笑いの世界である(笑)。
一例を挙げると、平成一五(2003)年六月八日に放映された『笑点』の大喜利三問目に、下記の問題が出た。
司会:五代目三遊亭圓楽
「中国料理店や物産店が建ち並んで人気があるのが横浜中華街ですよね。
そこで久しぶり、パトロールシリーズです。 今回皆さんね、中華街のパトロールをしているの人になって下さい。
それで、店の人や観光客に注意を呼びかけて下さい。
私が呼びかけられた人になって「私ですか〜?」と言いますから、さらに続けて下さい。」
この問題で最後に回答したのが桂歌丸師匠だったが、その内容は以下の通りだった。
桂歌丸 「中華街へ来て現代の楊貴妃を探しているあんた! 」
三遊亭圓楽 「私ですか〜?」
桂歌丸 「紹介しよう。富士子おいで。」
「富士子」とは、歌丸師匠の細君で、生前歌丸師匠は度々富士子夫人を「鬼嫁」、「逆らったらその日が私の命日になる。」、「崖から突き落とそうとしたら体を躱されて俺が落ちた。」等といった恐妻家ネタに使い、視聴者もそれを笑い飛ばしてきた(笑)。
その富士子夫人を「現在の楊貴妃」に例えると云う普段とは丸で異なる展開に観客は爆笑し、他の笑点メンバー達は突っ伏したり、ズッコケたりしながら、失笑と爆笑がないまぜになった笑い声をあげていた。
そんな中、三遊亭好楽師匠が「何だかんだ云って惚れてんですよ(笑)!」と云っていたのを道場主は聞き逃さなかった(笑)。
実際、笑点メンバーで円満な夫婦関係をネタにしているケースなど殆んどない。と云うか(実態はどうあれ)円満な夫婦関係ならネタにならない(苦笑)。
国分佐智子さんを妻にした二代目林家三平師匠が妻自慢をネタにしていた時期があったが、これも自慢よりは長く独身だった司会の春風亭昇太師匠をいじるのが目的だった(後々になると三平はウケないことを妻に揶揄されると云う自虐ネタに走っていた)。 逆を云えば、完全に冷え切った夫婦仲だったら、それこそ怖くてネタに出来ないと思われる。ネタに出来るのは、ネタに出来る余裕あればこそなのである。
実際、歌丸師匠の妻・富士子夫人は歌丸師匠の幼馴染から結婚に至った四歳年上の姉さん女房で、生涯病気に苦しんだ歌丸師匠を支え続けた。歌丸師匠も自分の師匠から紹介された女性との縁談を蹴って富士子夫人を妻にしている。
そんな富士子夫人は一時期落語家を廃業せんとして生活苦に陥った若き日の歌丸師匠を八方手尽くして助け、それでいて夫の仕事には口を挟まず、彼女が『笑点』の収録で客席に座ったのは歌丸師匠最後の大喜利が最初で最後だった(座布団10枚の賞品で出た旅行に同行したり、歌丸師匠の生涯を描くドキュメンタリー番組に出たりはしていた)。
一度三遊亭楽太郎(現・六代目三遊亭円楽)師匠は、大喜利で「富士子さん、何があってもご自身だけは大切にして下さい!貴女がいるからコイツ(歌丸)がもってんですから!」と叫んで会場の爆笑を取っていたが、大笑い出来ながらも、奇しくもこれは真実でもあった。
そして平成三〇(2018)年七月二日、歌丸師匠は八一年の生涯を閉じたが、永世名誉司会となった歌丸師匠と共に富士子夫人の存在感が色褪せることもない。令和四(2022)年五月三〇日現在八九歳で一人暮らしの富士子夫人を気遣って、円楽師匠は時折連絡を入れ(←ここからも円楽・歌丸両師匠の仲が悪かったのもネタであることが分かろう)、故歌丸師匠の一番弟子・桂枝太郎師匠が椎名家(歌丸師匠の本名は「椎名巌」)の鍵を預かっていて、時折訪ねては富士子夫人の近況を伺っている。
尚、円楽師匠によると、枝太郎師匠が富士子夫人を訪ねる度に富士子夫人宅から何かがなくなっているとのことだが、これもネタですな(笑)。
脱線したので、日本史に話を戻すが、今回も史上における女性の記録の少なさに制作は難渋した。偏に男尊女卑の時代が長く、女性蔑視の度合いも強かったために記録が少ない訳だが、そんな中、「恐れられた妻」と云う形でも歴史にその行跡が残されているのはそれだけ夫に対する影響が大きかったからとも云える。
本来、男の立場では「妻が怖い」、「妻に逆らえない」と云うのは恥ずかしい話でもある。それでもそれが記録に残った訳だから、これも歴史の貴重な側面として重視しつつ、現代にあって笑い飛ばすネタのみであって欲しいと思う次第である。
すべての夫婦円満を願って 夫婦関係になりながら、婚姻関係を解消する―つまり離婚を選ぶケースがある。
芸能界を見ていると呆れるほど離婚が多い。勿論詳しい事情を知らずに離婚を非難するつもりはない。結婚してから初めて知り得たことがあって愛し合える仲じゃなくなることもあるだろうし、相方からのDVや相方がしでかした犯罪で「離婚した方がまし」と第三者的に映ることもあるだろうし、事故・犯罪・失業・その他様々な要因で経済的に精神的に夫婦関係を続けられないケースもあるだろう。
実際、薩摩守の身内や親友や先輩の中にも離婚を選んだ例は存在する。その一つ一つに関して詳細を知らないことの方が多いから余計な口ははさめなかったし、「そりゃ離婚して正解だわ。」と云いたくなった例もある。
ただ、二つのことを想う。
「夫婦になる前に分からなかったのか?」
「子供が可哀想。」
である。
勿論結婚まで相手が巧みにその正体を隠しているケースもあるだろうし、とんでもないDV野郎や家計を崩壊させるギャンブル狂が父親なら、「子供の為にも離婚すべし!」と思わされるケースもあるし、結婚時に理想の夫・理想の父親だった者が、事件・事故・病気・失業・失脚によって悪夫愚父に成り下がるケースもある。
ただ、多くの場合、夫婦関係の冷却化や崩壊は夫婦二人だけの問題では終わり得ない。双方の実家を含む身内、婚姻時に両者を祝福した両者の友人・知人、離婚届の紙っぺら一枚で夫婦関係が追われても決して終われない親子関係………どうしようもなくなった離婚するしか他に方法のないケースもあるだろうけれど、人間は決して一人ではなく、夫婦もまた二人だけで存在するものでは無いことを念頭に置いてすべての夫婦には円満であって欲しいものである。
夫婦仲がこじれた時、それが大権力者だった場合、周囲の家臣や家族は本当に馬鹿な騒動に巻き込まれてひどい目に遭っている。一般ピープル夫婦はそこまでならないと思うが、多かれ少なかれ巻き込まれて嫌な思いをする、何より祝福が消えることに心痛める人が少なからず存在することは忘れないで欲しい。
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