恐妻家列伝

 長年拙房を閲覧頂いている方々はお気付きかも知れないが、この作品を「制作中」として『戦国房』の房門に掲げたのは随分昔の話である。
 つまり、「いつか作ろう。」と思いながら一向に制作に着手しなかったものなのだが、理由ははっきりしている。

 私(薩摩守=道場主)の独身状態が続いているからである(苦笑)。

 つまり、結婚もしたことのない男が、「への想い」を核とした文を綴るのは、著しく説得力に欠けるのではないか?と思っていたからである。
 実際、(結婚を諦めた訳ではないが)着手して見た今も、愛妻家の気持ちも、恐妻家の気持ちも実感しようがない。
 それでもこのような作品を作ろうと思ったのは、歴史上(当然、今現在も含む)に不幸な婚姻関係が多過ぎる様に思われてならないからである。

 愛し合って婚姻に至ったからと云って、必ずしも、幸せな家庭を築き得て、それが終生続くとは限らない。長い人生の中で片方の(時には双方の)愛情が冷めたり、片方が裏切って他所の異性(場合によっては同性)と肉体関係をもってトラブルに至ったり、生業や周辺状況で夫婦の絆が阻害されたり、片方が思わぬ不幸に見舞われて夫婦生活が急遽終わったり………と云い出せばキリがないが、円満な夫婦生活、それも永続となるとなかなか難しいようである(うぅっ……推測でしか云えないのが情けない…………)。

 ましてこれが戦国時代となると、政略結婚の為に端から愛情が無かったり、逆に当人同士の仲が良いのに両家の不仲で離縁を余儀なくされたり、一夫多妻制及び後継者問題から夫婦仲がこじれたり、妻同士で暗闘が繰り広げられたり、と男尊女卑の世で女性の権利意識が低かった時代背景からも完全に幸福な婚姻は(特に女性にとって)殊更難しかったと思われる。

 ただ、そんな状況だったからこそ、「恐妻家」には興味を惹かれる。
 男尊女卑の世、一夫多妻制の世だったのだから、妻の実家が物凄い権力持ちでなければ、夫からの離縁は容易で、本当に憎悪しか抱けない妻ならさっさと離縁すればいい。つまり「恐妻家」であるという事は、「」を家に置き続けている訳で、離れられないからこそ「」を「恐れる」のである。
 離れられない要因はケース・バイ・ケースと思われるが、それが「愛」に起因するものなら根は素晴らしいことだし、他の要因にしても夫婦の絆を強めているものがあればそれは悪いことではない。
 中にはの実家との関係に起因し、妻帯することで得られる既得権益を手放さない為の腐れ縁もあるかも知れないが、身内にも油断ならず、何時死に別れるかも知れない時代だったからこそ、「恐妻」と云う形で結ばれ続けた夫婦の興味深い関係を考察してみたい。それが分かれば、俺も妻帯出来る可能性が高まるかなぁ‥‥………。
第壱頁 源頼朝………傍迷惑過ぎる夫婦喧嘩!周囲を巻き込むな!
第弐頁 足利義政………恐れているのか、頼っているのか………
第参頁 福島正則………相手に背中を見せた男
第肆頁 徳川家康………政略結婚の姐さん女房が弱点か?
第伍頁 井伊直政………死の一年前の認知
第陸頁 真田信之………あの岳父の娘じゃなぁ………
第漆頁 徳川秀忠………愛妻家?恐妻家?
第捌頁 徳川光友………御三家筆頭も形無し
第玖頁 木戸孝允………DV夫を止められた男も自分の女房には弱し
第拾頁 小村寿太郎………女房から仕事に逃れた男の典型
第拾壱頁 恐妻家が持つ「妻」より怖いもの


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令和四(2022)年五月三〇日 最終更新