Page9.マグマ星人考察に学ぶこと

 『ウルトラマン』第2話にて、ウルトラマンが宇宙忍者バルタン星人を母船ごと殲滅したことには賛否の声がある。
 確かにウルトラマンと対峙したバルタン星人は、母星失い、宇宙を漂流中に部品を盗む為に来星した地球を気に入り、これを侵略しようとしたのだから撃滅されても文句の云えない存在だった。
だが、宇宙船内にてミクロ化して眠っていた20億3千万ものバルタン星人達の意思は触れられていなかった。もしかしたらウルトラマンに倒されたバルタン星人同様侵略的思考を持っていたかも知れないし、たまたまウルトラマンが遭遇した者だけが好戦的な性格だったのかも知れない。

 その後、バルタン星人は多くの宇宙人・怪獣に先駆けて同族が何度も代替わりに登場する先駆け的な存在となった訳だが、初代同様の侵略気質だから何度もウルトラマンと戦うのか?それとも20億3千万もの命が奪われたことが地球やウルトラマンに対する激しい報復感情を生んでいるのかは定かではない。

 いずれにせよ、長くウルトラシリーズを視聴して来たシルバータイタンにとって、バルタン星人の一件は、「本当にすべてのバルタン星人がこういう奴だったのだろうか?」と考えさせるきっかけとなった。
 そしてそれは空想を楽しむだけではなく、現実世界において「国家」や「国民性」をもってとある民族を単純視し、独断・偏見・色眼鏡で見て、様々な差別が生まれていることへの心の痛みとも共通するところがあり、レオ兄弟に最も憎まれ、同時に「憎き宿敵」とのイメージで見られやすいマグマ星人にも色々な者がいることに注目し、論述したくなった次第である。
怨敵・宿敵だから見せてくれた個性の多様化
 昭和の時代、宇宙人の「代替わり登場」と云えばバルタン星人の専売特許だった。
 それが平成に入り、『ウルトラマンメビウス』にてそれまで昭和作品と平成作品がパラレルワールド的だったこともあっところに第一期・第二期ウルトラシリーズとの関連が明言され、ドキュメント・アーカイブと云う過去の防衛組織が持つデータと共に数々の懐かしい怪獣が登場し、古くからのファンを喜ばせた。
 それを皮切りに様々な宇宙人が代替わり登場を果たした。

 宇宙人の多くは地球人よりも知能指数が高い設定ゆえ、様々な考察を持つ者も現れ、同時に様々な個性を持つ者も現れた(暗殺宇宙人ナックル星人に至ってはオネエ化した者までいた)。
 つまり、マグマ星人ならずとも宇宙人の個性考察は充分可能なのだが、それでもシルバータイタンがマグマ星人に注目したのは、様々なマグマ星人が登場したことが、「レオの怨敵」と云う拭い難いイメージを上回る多様性を見せたからである。

 本作をこの最終頁まで閲覧頂いた方々には、マグマ星人が如何に様々な個性を持つか充分御理解頂けたと思う。初代の悪辣で狡猾な上に二代目のストーカー気質は長年マグマ星人に抱かれ続けて来た根強いイメージだったことだろうし、何よりレオ兄弟にしてみれば、どんなマグマ星人を前にしても「親の仇」、「故郷の仇」、「同胞の仇」にしか映らない可能性が高い(アストラに至っては一時捕虜にされ、いまだ鎖から完全解放されない屈辱感もあろう)。
 だが、そんなマグマ星人が、個としての武勇を尊んだり、好敵手を認めたり、功名心を何より優先したり、侵略しに来た筈の地に馴染んだりする者も現れ、実に様々な個性を見せた。
 単純に個性を見せるだけなら、マグマ星人ならずとも他の宇宙人を複数対登場させ、その役割を担わせるのは容易である。が、単に様々な性格の奴を出せばそこに種としてのカラーは極端に薄いものになってしまう。
 その点、「L77星の破壊者」というウルトラシリーズ史に確固たる足跡を残し、そこから来る「無慈悲な侵略者」としてのイメージを根強く持ち、頑丈さ・美を好む性格・計算高さを保持しつつも、様々な個性とそれに伴うストーリーの面白さ・深みを増大させたマグマ星人とは、誠に稀有であると思うとともに、そんなマグマ星人だからこそ多様性の発揮を担えたと思う次第である。



人種を単純視しないことの大切さ
 マグマ星人以前に、現実の地球人が十人十色である。「似た者」は居ても「同じ者」は居ない。しかし、人間は何故か特定の条件の下に共通する人間を(意図している訳ではないが)同一視する性癖がある。
 「○○人は鼻持ちならない。」、「○○人はすぐキレる。」、「○○人は他国者を見下す。」、「○○人は金に汚い。」、「○○人は細かい。」と国籍や民族で単純視し、酷い場合には同じ民族内でも出身地で「○○な奴に違いない。」と云う見方をされることがある。
 御蔭で道場主は関東在住時代、何十回もギャグを外しては、周囲の人々から「お前、関西出身なのに何でオモロ無いんだ?」と呆れられ‥‥‥‥‥‥‥………ぐええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‥‥‥‥‥‥‥‥……(←道場主のフェニックス・ストレッチを食らっている)。

 イテテテテテテ‥‥‥……勿論、多くの人々は「○○出身だからと云って、何も皆が皆■■な奴と云う訳ではない。」と理屈の上では理解している。しかし、分かっていながら「国民性」と云う名の色眼鏡に目を曇らされることは決して珍しい話ではない。

 そう、「○○人」と云う見方の前に、個人の能力や性格が正当に評価されなかったり、最初から「○○人は■■な奴」というイメージで見られたりしてしまうことはとても多い。
 実際、日本人視点で見ると、アメリカ人・イギリス人・フランス人・中国人・韓国人の国民性についてある程度のイメージを持ちつつも、そこに誤りも少なくない。かつて道場主がアメリカ人に描かせた忍者は下駄を履いて、黒縁眼鏡をかけていた。一方、中学時代の同級生が書いた中国人は辮髪で、インド人は全員頭にターバンを巻いていた(※辮髪は満州族の風習で、中国人の大半を占める漢民族はしないし、インド人で頭にターバンを巻くのはシク教徒だけである)。

 チョット持ち出しただけでもこれだけの偏見が見受けられるのである。まして余り聞かない国や、日本との間に目立つ事件や出来事を持たない国の国民性を問われるとまず答えられない。
 そう、人間は本来見ず知らずの人間がどういう存在なのか語ることは出来ないのである。にもかかわらず、目立つ例や個性的な個人をあたかも全体像の様に捉えてしまうことは少なくないのが怖い話である。
 まして国家のやったことを民族のやったことのように捉え、それをすべての者に当て嵌めるなど、著しく不当且つ危険である。

 アメリカ合衆国が広島・長崎に原子爆弾を投下したからと云って、すべてのアメリカ人が核爆弾で何十万人もの人々を地獄に叩き落すことを好むなんて云える筈がない。
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首領が日本人を拉致したからと云って、すべての朝鮮人が引き裂かれた親子関係に心を痛めないような者達と誰が云えよう?
 国民の4分の3を殺戮したポル・ポトを例にカンボジア人の性格を論じたら、カンボジア人にどやされるだろう。
 大粛清で自国民を殺しまくったスターリンや毛沢東をロシア人や中国人のイメージとしたら、善良なロシア人・中国人は怒りを覚える以上に悲しむだろう。

 同様に日本人だって、過去に日本軍が世界各地で行った蛮行をもって、「日本人とはそんな奴等。」と云われれば反発するだろう。
 一例を挙げれば、真珠湾奇襲と云う戦史があるが、この一件をもって、アメリカ人が「日本人とは不意打ち好きな民族だ。」と云われればシルバータイタンだって反発・反論する。実際、個人的にあの奇襲攻撃は(手違いで奇襲になってしまったことを抜きにしても)好きじゃないし、奇襲攻撃で命を落としたアメリカ兵の身内が日本人を嫌いになっても無理はない。だがそれを日本全体の例にされることには断固として異を唱える(鎌倉武士に代表されるように日本人は元来堂々たる名乗りを上げての一騎打ちを好んで来た)。

 だが、悲しいかな、(シルバータイタンも含まれるが)人々はなかなか「国家」・「国民性」と「個人」を乖離させては見ないし、良い事も悪いことも極力単純視しする。
 「親日国」にも「反日的な者」がいて、「反日国」にも「親日的な人」がいるのを理屈で分かっていながら、なかなかそうは見ない(中には意図的にスルーする者すらいる!)。
 そんな現実の民族性と個性の問題に比べれば、フィクションに過ぎないウルトラシリーズに登場する特定の宇宙人の個性なんて些細な問題に過ぎないかも知れない。マグマ星人を「狡猾で卑怯で残忍でストーカーな奴等」と決め付けたとしても、それが何らかの問題を生むとは思えないし、怪奇宇宙人ツルク星人の様に、通り魔的で個性の欠片も見せなかった奴が一体出て来ただけの存在に至っては論じようがない。

 だが、シルバータイタンは可能な限り、宇宙人を「○○な奴」と一方的な、一元的なものの見方で見ない様にしたい。サーベル暴君マグマ星人はそれが可能であることを教えてくれた気がする。
 人種を単純視しないことは難しく、独断と偏見から生まれる差別には恐ろしく悲しいものがあるが、『帰ってきたウルトラマン』でメイツ星人の悲劇に心を痛め、『ウルトラマンA』の最終回でAが説いた願いに心打たれた記憶のある方々はその努力を失わないと信じたいところである。



前頁へ戻る
冒頭へ戻る
特撮房へ戻る

令和三(2021)年二月一〇日 最終更新