最終頁 復讐心は消えるのか?

 くどい繰り返しになるが、復讐心とは決して美しいものでは無い。大義を伴う怒りなら時として美しく映ることも有るかもしれないが、復讐のベースは憎悪で、大切なものを理不尽に奪われたことに対する憎悪を美しく感じるようならそいつの感覚はどうかしている。

そんな好ましからざる念である復讐を、ヒーロー達は最終的には捨てていた。本作で個々に触れてきた様に、一口に復讐と云っても、その根深さや抱き続けた時間は千差万別で、復讐を捨てた理由もまた個々に異なる。
そして本作の最後にシルバータイタンが思うのは、

「本当に復讐心は消えたのか?」

という疑問である。
 確かに最後の最後まで徹頭徹尾復讐の為のみに戦っていたヒーローは皆無である。また、自分の手で仇が討てたかどうかは別として、怨敵及びその所属組織は滅びているので、復讐は「果たせた。」とも云えるし、「自然消滅した。」とも云える。
とはいえ、大切な存在を亡くした喪失感は終生消えないし、それが何の咎もないのに理不尽に奪われたとあっては、憎悪的な怒りが消えるということがシルバータイタンにはどうしても想像が付かない。

 多くの人々からの批判や危険視を覚悟の上で書くが、そもそもこの様な作品を制作したのも、シルバータイタンが復讐という感情に肯定的だからである


論述1 復讐に捉われなかったヒーロー
 ここまで本作を閲覧して下さった方々の中には、復讐心を抱き、それを捨てたヒーローの人選に納得されている方もいれば、納得されていない方もいると思われる。当然だが、「一度は復讐の為に戦った。」という人物すべてを採り上げた訳では無い。人選は例によって「独断と偏見」である(苦笑)。
 些か極論になるが、殆んどのヒーローが多かれ少なかれ復讐戦に挑んでいる。まずは下の表を見て頂きたい。

昭和ライダーの怨恨
本郷猛恩師(緑川弘)を殺されている。
風見志郎父(達治)・母(綾)・妹(雪子)を殺されている。
結城丈二自分を慕った助手達(片桐二郎・阿部征司・平亨)を殺されている。
神敬介父(神啓太郎)・恋人(水城涼子)・義妹となった筈の人物(水城霧子)を殺されている。
アマゾン自分に手を差し伸べてくれた協力者(高坂教授)を殺されている。
城茂親友(沼田五郎)を殺されている。
筑波洋父(洋太郎)と母(寿子)と部活の仲間を殺されている。
沖一也恩師(ヘンリー博士・玄海老師)と友(弁慶)を殺されている。
村雨良姉(しずか)を殺されている
南光太郎実の両親(南教授・友子)と育ての父(秋月総一郎)を殺されている。叔父夫婦(佐原俊吉・唄子)を殺されている。

 例として昭和ライダーを挙げた。本作で採り上げた者もいるが、それ以外にもほぼ全員が身内や恩師、またはそれに近しい人物を悪の組織の為に殺されている。単発客演のキャラクターまで追ったら他にも復讐対象はいるだろうし、昭和ライダー以外の平成・令和ライダー、ウルトラ兄弟、宇宙刑事、スーパー戦隊、その他のヒーローに中にも、愛する者の死や復讐と完全に無縁だった者は僅少と思われる。
 勿論復讐心の大きさは千差万別で、それを表面に出したかどうかまで問い出すとキリがなく、本人にしか分からない。

 詰まる所、基本として本作では感情に表情を歪め、相手やその関係者を殺害することに躊躇いを見せず、時には暴走したヒーローを選出した。それゆえ、これらの基準に照らした結果、リベンジャーとしての選出を見送った者も決して少なくない。

 一人一人を挙げればキリがないので一人だけ挙げさせて頂くと、『仮面ライダードライブ』泊進ノ介(竹内涼真)を挙げたい。進ノ介は警視庁特状課の警察官だが、警察官となったのも尊敬する泊英介(たれやなぎ)の殉職を受けてのことだった。
 勿論進ノ介の殉職に対する想いが無かった訳はなく、それどころか謎の多いの殉職に真相を暴かんとして時に目先の任務を放り出しかねなかったこともあり、チェイス(上遠野太洸)に窘められたこともあった。
 結局、当初非番時に銀行強盗事件に巻き込まれ、現場にいた少女・唐沢ゆかり(内藤咲愛)を救わんとして凶弾に倒れたとされていた英介殉職の真相は、同僚である彼の評判を妬み、逆恨みした仁良光秀(飯田基祐)が事件のどさくさに紛れて射殺したのが真相だったことが作中で判明した。
 真相判明以前から仁良進ノ介を初めとする特状課を目の敵にしたり、英介を侮辱したり、嫌がらせとしか思えない言動(←実際に嫌がらせだったのだが)を繰り返したりし、ドライブの敵であるロイミュード達からすら「小悪党」、「人間の屑」、「愚劣で卑怯で最低な人間」と揶揄されるような人物だった。ある意味、理想的な仇役である(笑)。
 そんな仁良はロイミュードの初期メンバー・フリーズで、国家防衛局長菅健参議院議員でもあった真影壮一(堀内正美)の手先として暗躍し、英介殉職事件の真相を隠すため、進ノ介を殺害し、すべての罪を特状課に擦り付けようとした。

 勿論この悪巧みは失敗し、仁良及び真影の罪状はすべて白日の下に曝され、仁良進ノ介の手で逮捕された。ちなみに仁良は全く反省せず、「ロイミュードと仮面ライダーのどっちが勝つか見届けてやる。」との捨て台詞を残してしょっ引かれていった。

 罪状、人格ともに極限の非難に値し、同僚を謀殺しながら何食わぬ顔で警察官として居座り続け、罪状隠匿の為に関係者を殺害し、その罪を他者に擦り付けようとしていた仁良は、極刑に値する人物で、本作で採り上げた復讐対象者と比しても怨恨を抱く対象として群を抜いていると云えるだろう。
 だが、シルバータイタンは進ノ介仁良を選ばなかった。それは進ノ介仁良を殺害する意図が無かったからである。勿論、警察官である進ノ介は犯罪者を可能な限り逮捕するのが責務である。ただ、自身もロイミュードと化し、時に明らかな殺意でもって進ノ介を銃撃した仁良は戦闘の過中で殺されていてもおかしくなかったし、進ノ介がその気なら戦闘中の不可抗力に見せかけて仁良を殺害することも可能だっただろう。

 しかし、英介を尊敬し、その遺志を受け継がんとしていた進ノ介仁良を倒すのではなく、逮捕し、正式な裁きにかけることを貫いた。英介は度腐れ野郎と化していた仁良すら同僚、友として見て、真っ当な警察官になるべきと諭していた。推測だが、英介進ノ介仁良を殺害しても喜ばず、逆に息子が罪人を裁きに架けられずに死に至らしめてしまう結果を悲しんだだろう。
 シルバータイタンは自らを進ノ介の身に置いた時、仁良に殺意を抱かない自信は無い。だが、英介の心根を想えばやはり殺害するのは躊躇われてしまう。裁きを受けた仁良は死刑になる可能性が高いし、死刑を免れたようと免れまいと反省・謝罪・悔悛する可能性は極めて低いと思われる。だが、それでも英介は最後の最後まで仁良のことを諦めなかっただろうし、あくまで警察官としての誇りを高く持っていた英介の遺志を尊重するなら、進ノ介は最初から復讐を考えず、あくまでの命を奪った真犯人を、逮捕し、裁判にかけることだけを考えていたと思われる。

 長くなったが、かような考察の末、本作で泊進ノ介仁良光秀を採り上げることを見送った次第である。
 ヒーローが抱いた復讐心の大小・長短・取捨は千差万別だが、故人の遺志を尊重し、頭から復讐を良しとしなかった者もいることを決して無視したくないものである。


論述2 自然な感情としての復讐心
 先の論述を覆したい訳じゃないが、シルバータイタンは「復讐」と云う感情と無縁になれない人間である。そもそも世の殺人事件の多くに対し、「身勝手に人を殺した奴が死刑にならないなんてふざけるな!」という感情を抱く人間である。正直、自分でも狭量だと思っている。だが、恥とは思わないし、「ごく自然な感情」だと思っている。

 勿論世のすべての人々が愛する存在の無残な死に接した際に、その犯人に復讐心を抱く訳では無い。月並みだが、「例え憎い相手を殺しても、殺された人は帰って来ない。」と云うのはその通りだし、「殺して終わりにするよりは、真相を話し、謝罪し、償いの日々を送って欲しい。」と本気で考える遺族もいよう。
 また、愛する人を殺された遺族が、その犯人の死刑が執行されても、「虚しいだけ。」、「何も変わらない。」とした声を聞いたことも無いではない。ちなみにある事件の殺人犯が死刑執行された時、被害者の兄は友人から「おい、死刑執行されたぞ、やったな!」と云われ、「何が「やったな!」だ!」と激昂した例も聞いたことがある(←はっきり云って、この友人は阿呆である)。

 この問題は実に難しい。偏に、「命」と云う失われたら決して帰って来ないものが問題の根底にあるからで、誰にも正解は出せない。それゆえ、「殺されたから殺し返す!」と万人が考える訳じゃないにしても、それと怨みを抱かないのとは別だし、さすがに犯人が死刑にもならず、反省もせず、被害者や遺族を侮辱する発言を繰り返していたとしたら、それで平気でいられる遺族は皆無だろう。

 我が身に置き換えたら、やはりシルバータイタンは愛する人が理不尽に殺されたら相手の死を求めるだろう。それも愛する人が受けた痛みの何倍もの苦痛を与える形で。「殺したところで帰って来ない。」、「復讐は何も生まない。」、「殺すより反省・謝罪・償いをさせるべき。」と耳元で大合唱されても、理屈では理解しても感情で納得せず、「俺の大切な人を殺したあいつが何でのうのうと生きることを許されるんだ!」との想いを抱くだろうし、実際にそんな想いを抱いている犯罪被害者遺族が存在していることを思うと死刑制度に反対出来ないし、殺人事件に対する裁きはもっと死刑判決が多くて然るべきとも思っている。

 勿論、自然な感情とは云ってはいても、復讐心が美しいとはこれっぽっちも思っていない。凶悪犯罪と無縁でいることで復讐と云う感情を抱くことも抱かれることも無い人生を送れたらそれに越したことはないと思っている。
 また、仕返しに対して「仕返しの仕返し」が生まれることも世に多い話である。子供の頃、自分を殴った相手を殴り返したからと云って相手がそれで矛を収めた例など皆無で、多くの場合は更なる暴力に曝され、惰弱さゆえに自らの手で報復出来ず、その場で親や教師に怒られたことで謝罪した相手もほとぼり冷めたら全然反省していなかったし、厳格な親からは「負けて泣いて帰ってきた!」と詰られ、叱責され、時に折檻され、何重も悔しい思いをした。
 そんな幼少期を送ったことも多少は影響しているかもしれないが、やはり俺は自分の報復感情を否定出来ないし、自分に危害を加えた人間に報復を望むのは自然な感情だと思うし、そんな想いを抱いく者を責められない。

 勿論現実世界にあって、自分の大切な身内を殺されたからと云って、その対処を官憲や司法に委ねず、自らの手で傷害や殺害と云う方法で報復するのは法的に許されず、自分が裁かれることになる(それなりの情状酌量はされるだろうけれど)。
 それゆえ、現実でもしっかり官憲・司法が加害者を裁いて欲しいし、フィクションの世界においても、殺す殺さないは別にしても加害者にはそれ相応の報いを受けて欲しいと思う次第である。更なる負の連鎖や「仕返しの仕返し」を呼ばない為にも。


論述3 復讐を超える想い
 凄惨な事件故、固有名詞を伏せて綴るが、この文章を綴っている時間から約四半世紀前に、一人のサラリーマンが留守中に妻子を殺害されると云う事件が起きた。犯人は当時未成年だったが、遺族となってしまったサラリーマンは犯人の極刑を強く求め、マスコミの前で激しくその感情を露わにした。
 この事件、時間は掛かったものの最高裁で死刑が確定した。一審・二審では未成年であることが考慮されたが、最高裁で高裁に差し戻され、二度目の高裁判決で死刑となり、最高裁で確定したのだが、二度目の高裁判決直後、ニュース番組に出たサラリーマンは事件直後の自分の形相を「鬼のような形相。」とし、後に自らの過激な発言(←「司法が被告を死刑にしないのなら、自分手で殺す!」としていた)を社会に対して詫びてもいた。
 そして、シルバータイタン(と云うより道場主)の印象に強く残っているのが、このときサラリーマンが叫んでいた、「遺族も立ち直らなければならないんです!優しい心を取り戻す為に死ぬほど努力しなければいけないんです!」という言葉である。

 それから四半世紀の時を経て想うのだが、仮に元少年が死刑を免れたとしても、サラリーマンが元少年を殺害するようなことは無かったと思う。ただ、未成年を理由に短期間で出て来ていたら、どうなっていたかは分からなかったとも思う。偏にご自身がおっしゃったように、長い時間の中で「死ぬ程の努力」を重ね、周囲の支えもあって冷静さを取り戻したのだろう。
 サラリーマンは一貫して元少年の死刑を求め、死刑確定に対して「満足してはいるが、喜びは無い。」としていた。そして悪事を為せばその報いを受けるという事が社会にしっかり示されることで、自分の妻子の死も、妻子を手に掛けて処刑されることで奪われる元少年の命も無駄にならない、との台詞を残した。

 実に考えさせられる実例である。

 現実の世界に犯罪が絶えず、フィクションの世界も戦いをテーマにしている以上、人の死は描かれ続け、それを悲しみ、憤る声や姿も描かれ続け、怨みある相手を八つ裂きにしても飽き足りない感情やそれに伴う蛮行も描かれ続けるだろう。そして散々復讐心を「自然な感情」と宣っておきながら、矛盾しているように思われるかもしれないが、やはりいつかは、復讐心は捨てられるべきだとシルバータイタンは考える。

 正直、恨み骨髄の相手が生きようが死のうが恨みが消えることは無いだろう。だが、恨みに顔を歪ませ、万事に攻撃的になり、悲しみと怒りに支配されて生き続ける人生は生き地獄だと思うし、この世の誰にもそんな人生を送って欲しくない。
 怒りも悲しみも当然の感情ではあるが、それに引き摺られ続けられることなく、想いは想いとして、どこかで心の整理をつけ、思い出として昇華し、残りの人生を前向きに生きることの大切さを上述したサラリーマンの言動に教えられたと記憶している。

 では、どうすれば復讐を捨て、心の整理が付けられるだろうか?

 その答えはやはり特撮番組が教えてくれている。シルバータイタンは大まかに二つの答えがあると見ている。
 一つは、「相手と同じレベルに落ちない誇り」である。元より、身勝手な理由で人を殺したものと、その仇を討ちたいと云う想いが同列と持ってはいないが、それでも私的報復は現実の世界で犯罪とされる。また怒りは幾らもっても良いが、憎しみは可能な限り抱くべきではないと思ってもいる。
 感情論としては難しいが、大切な人を奪った相手が憎いと思うなら、同じ「殺す!」と云う感情でも相手と同じ下劣さに落ちてはいけないと思うし、その目的の為に「何をしても良い。」とはならないことを忘れてはならないと思う。
 考えたくないが、もし自分の大切な人が殺され、その相手を殺そうと考えたとしたら、周囲の人間は「おう、頑張れ!」と云うだろうか?まず間違いなく、「馬鹿な真似は止めろ!」、「あんな奴の為に罪を犯すな!」と云うだろう。
罪人相手に自分が罪人に成り下がることはないとうのを忘れてはならないだろう。

 もう一つの答えは「復讐心に勝る大切な想いを持つ」ということだろう。現実の世界にあっても、愛する人を理不尽に殺された遺族の中には、「相手を殺しても大切な人は帰って来ない。」と云う現実の下、加害者に謝罪と悔悛を求める人もいれば、信仰に身を委ねる人もいれば、一切合切を捨てて新たな人生を求める人もいる。
 要するに復讐心よりも大きい正義、大義、信仰、生き甲斐等が挙げられる。特撮番組の例でいえば、眼前の怨敵・ヨロイ元帥を倒すことよりも、東京都民をプルトンロケットから守ることを優先し、大空に散ったことで「仮面ライダー4号」の名を受けたライダーマンが好例だろう。
 そのライダーマンに復讐を捨てることを諭し続け、復讐より人類愛を優先したライダーマンに「ライダー4号」の名を贈ったV3自身、周知の様に復讐を発端に戦い始めた者である。
 本編ではスルーしたが、漫画版『仮面ライダーV3』において、復讐に囚われて周囲が見えなくなり、Wライダーに諭された話があった。
 デストロンを憎む余り、イカファイアの放った火が山火事を起こしたのを無視して戦いを続け、(その時点では生死不明だったはずの)Wライダーから弱き者を守る心を失っていることを咎め、諭され、戦線離脱するとハリケーンを駆使して木々を倒し、延焼を防ぐのに尽力した。
 陰からそんなV3を見守っていたWライダーはV3に対して、「もっと大きくなれ。」と激励していた。自然な感情としての復讐心は否定出来ずとも、決してそれに目を曇らせて大切なものを失ってはいけない、逆にかかる大切な事柄を重んじることで復讐心に囚われ過ぎることはなくなると云えよう。
 そして多くのヒーローが対処として悪の組織の構成員や侵略的宇宙人達との殺し合いを続けながらも、「敵を倒す!」よりも「弱いものを守る!」という事を優先し、自然と復讐心を薄れさせ、自らの使命に没頭した。特番『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』における風見志郎の、「一度は復讐の為に戦った。」としつつも、「今は求められる限り戦い続ける。」という台詞は正にこのことを集約している。

 結論、復讐は自然な感情で、「復讐したい!」と云う想いを抱くことは悪でも恥でもないが、それが本来は醜い感情で、それに引きずられ続けることなく、その想いを上回る大切な使命感や生き甲斐が現実でもフィクションでも大切と思われる次第である。

令和6(2025)年3月5日 特撮房シルバータイタン




前頁へ戻る
冒頭へ戻る
特撮房へ戻る

令和七(2025)年三月七日 最終更新