事件の経緯

序章 邂逅
大正四(1915)年一一月初旬
 未明、北海道天塩国苫前郡苫前村大字力昼村三毛別御料農地六号新区画開拓部落六線沢池田富蔵家の軒下に飢えたが現われ、吊るしていたトウキビを食い荒らした。馬の動揺で異変に気付いて起き出した富蔵の足跡を発見するもその時は気に止めなかった。

大正四(1915)年一一月二〇日過ぎ
 未明に再びが来訪。
 池田富蔵が再び馬が暴れるのに気付き、床を出て荒らされたトウキビを発見した。
 富蔵は羆の三度目の来訪と、開拓民の命の次に大切な馬が食害されるのを恐れ、次男・亀次郎の意見を容れ、マタギにの射殺を依頼することを決意した。
 富蔵六線沢唯一のマタギ・金子富蔵と隣村・三毛別のベテランマタギ・谷喜八の獲殺を依頼。二人のマタギはその日の内に池田家にやって来た。
 待ち伏せ射殺作戦が採られることになり、富蔵の妻は知人宅に避難し、被害の恐れのあるトウキビと馬はを誘き寄せる為に敢えて池田家に留め置かれることになり、屋内では二人のマタギである谷喜八金子富蔵、戸主・池田富蔵、その次男・亀次郎の四人で徹夜の迎撃態勢が取られた。

大正四年一一月三〇日午後八時〜一二月一日
 待ち伏せ作戦実行より数日が経過。終にが現れた。
 トウキビを食っている所を銃撃することになるが、若い金子は手柄を焦り、充分な照準を合わせぬままに発砲。発射された弾はの背をかすめ、は逃げ出した。そこへが咄嗟に銃撃し、命中させたが、討ち取るに至らず、は闇に消えた。

 夜明けを待ち、四人の男は雪面に残された血痕と足跡を頼りに鬼鹿山方面に逃げたであろうの追跡にかかったが、途中吹雪が厳しくなり、足跡を消していったことと、冬山の危険から一行は追跡を断念。はその日以来池田家に姿を見せなくなった。



この人物に注目(一)−池田亀次郎
 事件当時一九歳。池田富蔵家の次男で、最初に件のと関わった因縁か、村民の中でも最もと顔を合わせた一人で、何度となく紙一重のところで死線を(無傷で)逃れた。
 長じて村落のリーダー格だった松村長助の娘・力子(事件当時九歳)と結婚。昭和三九(1964)年に事件を風化させまいとして調査に乗り出した木村盛武氏に協力し、吉村昭氏も小説『熊嵐』の巻末で協力への謝意を述べている。
 漫画『野生伝説』で半ば主役にされ、木村氏の『慟哭の谷』に妻の力子が最も新しい写真を掲載(平成元年撮影)されている事からも、夫婦しての尽力振りが伺える。



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令和三(2021)四月一六日 最終更新