特撮に限らず、物語に欠かせない「三枚目」と云う存在をライダー作品から7人ピックアップして考察してみた。勿論本作で採り上げた者達だけが作品に貢献した「三枚目」と云う訳ではない。他にも採り上げたい人物は何人もいるが、そこは次から次へと生まれるライダー作品の網羅が困難であることを御理解頂き、ご容赦願いたい。
 本作を最後までお読み頂いた方々なら、「三枚目」という役割を振られた俳優・キャラクターが個々に素晴らしい長所や見応えある美点を持ち、興味深いエッセンスを作品に加えていたことに異論を挟む方はいらっしゃらないと思うが、最後にそのレーゾンデートル(存在意義)を人間考察の視点を交えることで締め括りたい。
主人公には決して出来ない役割
 ピッチャーだけの野球、FWだけのサッカー、アタッカーだけのバレーボールが存在しない様に、主人公だけの物語など存在しない。否、探せばあるかも知れないが、それは極めてスケールの小さい物となろう。
 勿論物語に主人公が居なくては為しそのものが成立しないし、最初から最後まで登場する故にそのアイデンティティはかなり厳格に設定される。まあ、多少の変動が無い訳ではないし、成長譚的なストーリーであれば大きな変化もあり得るが、それでもアイデンティティが固まれば固まるほどその行動には大きな制約が掛かる。

 端的に云えば、正義の名に恥じる悪行や、カッコ良さを大きく損ねるドジ役は振れないという事だ。
 例を挙げれば、『ウルトラマン』ハヤタ(黒部進)がベータカプセルと間違えてカレーライスを食べていたスプーンを頭上にかざしたシーンがある。
 今でこそウルトラマンが示した人間臭さとして親しみあるシーンとして愛されているが、放映当初、制作陣内部では「ヒーローがあんなドジをするか?」としてその賛否を巡ってかなりの紛糾したのは有名な話である。

 また『仮面ライダーストロンガー』の最終回で、仮面ライダー1号が(作戦・取引とは云え)「動けば仲間の命はない!」と叫んだことにひっくり返った子供達も少なくなかったことだろう(道場主は大笑いしていたが)。

 まあ、昭和中期から令和に掛けて半世紀を超える時間の流れの中、ヒーロー達もだいぶいい方向に砕けて来て、未熟さや手段としての駆け引きを見せる為、昭和には見られなかったおっちょこちょいな面や、ダークな面を見せることも稀有ではなくなったが、それでもヒーローはカッコ良さ、強さ、正義を求められ、これを大きく逸脱するのは禁忌と云える。

 そんな主人公に出来ない汚れ役・ドジ役・おとぼけ役を担うのが悪役であり、「三枚目」役なのは今更云うまでもないことなのだが、殊に「三枚目」においてそれが現れるのは最終回間際である。
 最終回間際は、様々な伏線に決着をつけ、宿敵の最期(死とは限りませんが)、ストーリー上の謎を明かさなければならないので、話はシリアスに終始しがちで、レギュラーメンバーの中にはそのアイデンティティが発揮され辛くなるものも多くなる。つまりは目立たなくなる訳だが、「三枚目」はそれが顕著と云えよう。
 「常に必須」と云う訳ではないが、話のエッセンスとして欠かせず、主人公・悪役・チョイ役に為せない役割を為す「三枚目」は改めて注目されるべきであろう。



誰にでもある長所と短所
 特撮ファンが主人公に抱くのが「憧れ」なら、「三枚目」に抱くのは「親しみ」であろう。
 現実の世界にはヒーローはなく、ヒーロー並みに憧れとなる完璧超人はかなり稀有である。それどころか架空のヒーローとて完璧であればある程自分との距離が遠くなり、寂しさを感じる。
 そんな現実場離れしたストーリーの中、ヒーローの側にいる「三枚目」は現実味ある一般ピープルで、我々の替わりにヒーローの側にいてくれる存在なのかも知れない。

 詰まる所、「三枚目」は現実味をストーリーに与えてくれる訳で、現実の人間同様長所も短所も見せてくれる。全般的には短所をコミカルに示し、時に長所を発揮して意外性ある感動を与えてくれる
 そう、短絡的に見ると「三枚目」とはついついカッコ悪い存在として見かねないが、現実の人間同様、短所しかない「三枚目」は存在せず、「三枚目」はちゃんと長所を持っていてワンパタな「短所」と、意外性ある「長所」で番組を盛り上げる、というこれまた主人公には為し得ないエッセンスを                                                                                         もたらしてくれるのである。そしてそれは現実世界における「三枚目」的な人物にも当てはまるだろう。



現実でも持ちたい人を見る目
 かように、如何なる人間も一面的な味方をしていてはその人間の本質を見誤りかねない。「長所は短所」と云う言葉がある様に、誰だってその人間だから持ち得る長所・短所があり、得てしてそれらは表裏一体で、行き過ぎればろくなことにはならない。
 「三枚目」も、悪役も、基本となる個性やアイデンティティは確かになるのだが、それだけを見ているとその人が本当に持つ美点・面白味・学び得る教訓を見落とし、作品への堪能度も大きく落ち込むことになるだろう。

 幾度か触れたように、「三枚目」は完璧超人ではない故にリアリティある存在である。それ故、彼等を一面的な目でしか見ないことは、現実世界における人間に対しても能力・容姿・表面上の言動だけに目を奪われて、所謂「人を見る目」を曇らせ、対人関係に大きな損失をもたらすものと考える。
 勿論、これは同時に特撮番組に出て来る「三枚目」を楽しむ度合いを大きくも小さくもすることにも通じるだろう。

 「三枚目」とは実に興味深く、学ばされる存在であることを本作の制作を通じて思い知らされた気がする。本作を通じて「三枚目」に限らず、万事に対して閲覧者諸兄の見る目が肥える一助となれば、制作者としてこれにすぐる喜びはないし、「三枚目」を演じた俳優諸氏も喜ばれることと思う。

令和3(2021)年11月17日 特撮房シルバータイタン




前頁へ戻る
冒頭へ戻る
特撮房へ戻る

令和三(2021)年一一月一七日 最終更新