終章 「延命」される理由とその他の「生存者」

 死とは悲しいものである。凶悪犯罪者や極悪独裁者や殺戮者的暴君の中には死んだり殺されたりして清々する奴もいるが、そう思わずにいられない奴が存在すること自体悲しいことである。
 本作で取り上げた人達もその非業の死を大いに悲しまれ、同情された。同時に非業の死を遂げた背後には直接的に、間接的に彼等の死を望む者もいて、それゆえに死に追いやられた。

 そこでこの終章では非業の死を遂げた筈の人物が、「何故に生きていることにされてしまうのか?」という謎に、人が歴史上の人物を見るときに何を思うのかに触れて本作を締めさせて頂きたい。
 「非業の死」、「同情される強い要因」という二大要素があるとき、生存伝説は生まれ得るのである。
 生存伝説が囁かれた者の中には死体が見つかっていない、見つかっても損傷が激しくて本当に本人か判別不能、というものも多いが、中には明らかに遺体が確認されているのに、「全くの別人として生きている。」と云う信じ難い生存伝説さえある。
 偏に、生存伝説は「想い」が生むものであることが云える。
 勿論、薩摩守が本作で採り上げなかった中にも死後に生存を囁かれた者は大勢存在する。
 薩摩守が採り上げなかったのは研究不足もある(苦笑)が、「同情」よりも「生存を恐れられた」故に「生きているのでは?」と囁かれた者もいて、そういう人物は意図的に採り上げなかった。
 ともあれ、死後に生存が囁かれた人物には以下の者達がいる。
氏名死因生存が囁かれた要因
お市の方自害(羽柴秀吉に攻められ、夫・柴田勝家とともに)同情
石田三成刑死(関ヶ原の戦いで敗れて捕らえられて)佐竹家の恩義
島左近戦死(関ヶ原の戦いにて黒田隊の銃撃に倒れる)遺体不明・武威を恐れられて
淀殿自害(大坂夏の陣で敗れて息子・秀頼とともに)同情
豊臣国松刑死(大坂夏の陣後、捕らえられて)家格高揚

 正直、生存を恐れられたり、打算の為だったり、同情の主が権力者だった場合、生存伝説は色褪せる。

 一方で、伝説や噂ではなく、意図的に死んだ人が(多くは一時的に)「生きている。」と断言されてしまうこともある。
 戦時中、或いは実戦続行中の為に大将の死が漏れては敗北が必至となる場合、戦後処理が終わるまで、或いは次世代政治体制が整うまで、君主や大将の死が伏せられるケースである。
 この場合、事が落ち着けば死を隠す必要はないので、信用回復の為に死を隠した事実そのものが公表されることも珍しくない(江戸幕府の将軍は大抵、死が数日間伏せられ、公表時に正確な逝去日も知らされた)。
 例外的に君主の死を最後の最後まで誤魔化し続けた伝説もあるが、主だった所では以下の例がある。

氏名死因隠蔽された理由隠蔽手段
武田信玄病死上洛続行の為影武者(武田信廉)
豊臣秀吉病死戦争中の為緘口令
徳川家康(※一応、伝説)戦死戦争中の為影武者(世良田次郎三郎元信)
井伊直弼暗殺彦根藩の名誉と大老の面子を守る為重傷・面会謝絶の隠蔽工作(位牌の上ではいまだに襲撃の二七日後に死んだこととされている)。
徳川家茂病死戦争中の為緘口令
山本五十六戦死士気低下防止の為緘口令(大本営発表)

 はっきり云って、やり方も、考えもせこい(笑)。
 生存の理由が、「希望」と「陰謀」ではスケールも好感度も大違いである(笑)。
 生存伝説は、時として、対象者が神になったり、他国の始祖となったり、あり得ない程の遠方に行ったり、等と荒唐無稽なものとなり、それゆえに学界では一笑に付されながらも語り継がれてきた。
 それは、一言で云い表すなら「判官贔屓」によるところが大きいのだが、もう少し詳細に語ると、
 か弱き者に同情する心、
 権力の横暴に対する許せない気持ち、
 心から誰かのために戦った人物に対する敬意

 といった人間の素晴らしい心に起因するからだろう。

 人間、薄っぺらな同情は相手に失礼なこともあるが、真に相手のことを理解し、敬意を抱いて、「生きていて欲しい!」との想いを寄せることは、肉体的には死んでも、名前と敬意で相手を活かすことが出来ることが分かる。
 同じ「生存伝説」でも打算やすうっぺらい同情によるものは実に華がない。
 個人的な希望を述べるならこの「生存伝説」、決して伝承の寄せ集めとは思って頂きたくない。

 「生存伝説」とは「荒唐無稽な噂話」や「都市伝説」などではなく、人が人に敬意を抱いて、短く終わってしまった命でも名を万世に轟かす、人間の素晴らしき心根の表れなのだから。

 そしてそのような心根を持って生きることの重要性を理解していれば、罷り間違っても日常生活の中で人を殺めるようなことはないだろう。
 人が人を殺める経過には「戦争」と「犯罪」と「過失」と「死刑」がある。
 戦争は個人レベルではどうにもならない面もあり、過失と犯罪は共に防がれなければならない。そして残る死刑…………薩摩守は死刑存置論者だが、どんな凶悪で残忍な大量殺人に対しても脊髄反射で「殺せ!」とだけは叫びたくない。
 裁判をやる前から「死刑確実」と云いたくなる犯罪に対しても死刑判決・死刑執行とは真剣に向かい合いたい。

 

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令和三(2021)年五月二〇日 最終更新