菜根版戦闘員VOW

終章に代えて 雑魚からの脱却


 ヒーロー番組の戦闘員を中心に名もなき戦闘員達の悲喜劇を見てきた。滑稽でもあり悲惨でもある数々のドラマがあるが、現実の世界では「数」は様々な局面で勝敗を握る重要なユニットであることに変わりはない。

 では何故現実とTV番組では逆転してしまうのか?答えはTV番組ではアイデンティティを持たせられる配役の数に限界があるからである。
 そして現実の世界には個々の人間に力の強弱があろうと、個性のない人間はなく、人間は全員が異なる存在なのであり、それを一つの旗頭の元に纏め上げたリーダーが数の脅威を確立できるのである。

 人間だけではない。同じ一万円札を一万枚持っていてもそれを使う人間により、金は増えもすれば減りもし、生きもすれば死にもするのである。金でさえそうなのだから、人間なら何をかいわんやである。
 まして人間にはどの人にもその人にしかないものがある。それが出せるか出せないかで、人間は精鋭にも雑魚にもなるのである。
 悪徳政治家を助けることもあれば、権力の座から引き摺り下ろすのもまた一般民衆である。最後にシルバータイタンは初め雑魚でありながら、雑魚を脱却した例を3つ紹介して終わりの言葉に代えたい。
 力が問題なのではない。社会に生きるものとして、雑魚となるか精鋭となるかは優れたリーダーを正しく選ぶことと、あなたの衆愚に流されない心がけなのである。


1. 地球人の反撃(ウルトラマンタロウ&仮面ライダーBlackRX)
 ヒーロー番組において、地球人が地球外の組織に屈した例が、代表的番組である「ウルトラマン」と「仮面ライダー」でそれぞれ一つづつある。だが、この屈辱は後に地球人が強くなる肥やしとなり、それは番組中に歴史を越えて表れていたのである。

 「ウルトラマンA」の第1話で異次元からやってきたミサイル超獣ベロクロンの前に地球防衛軍が全滅させられたのは前述した通りである。結局、この番組で地球人の戦力はウルトラ兄弟の為の噛ませ犬的存在に終わった。
 だが、ウルトラシリーズは最初の「ウルトラQ」を見ればわかる様に、地球の平和を地球人自らの手で守ることに端を発していたわけで、当然地球人はこのまま終わらなかった。

 ウルトラマンAを苦しめた異次元人ヤプールは「ウルトラマンタロウ」の代に突如甦り、宇宙大怪獣べムスターを地球に派遣した。ベムスターは「帰ってきたウルトラマン」で宇宙ステーションを呑み込んだ様に、ZATの宇宙ステーションをも呑みこんでしまった(勿論乗組員全滅)。地球人にとって二度目の屈辱である。
 しかもヤプールの改造を受けていたベムスターは前回敗れたウルトラブレスレットと同じ威力を持つZATの回転鋸攻撃をものともせず、タロウも一敗地にまみれた。

 だが、同朋を大勢殺されたZATの執念は尽きず、べムスターが腹からエネルギーを吸収していることから、ベムスターの腹に凝縮したエネルギーの塊、「エネルギーA爆弾」を放り込み、更に起爆剤の役目をする「エネルギーB爆弾」を撃ちこんでベムスターを木っ端微塵にすることを計画した。

 A爆弾と一人の熱血青年・海野(大和田獏)の顔面密着攻撃の前に旗色の悪くなったベムスターの助太刀に超獣サボテンダーを派遣したヤプールだが、サボテンダーにはウルトラマンタロウが迎撃した。
 最後の手段としてヤプールが放ったのはミサイル超獣ベロクロンだった。そう、かつて地球防衛軍を壊滅させた強者である。ZATは青色吐息のベムスターをまず置いといて、ベロクロンに攻撃を加えた。

 結果はタロウがサボテンダーをストリウム光線で倒し、ほぼ時を同じくしてZATがベロクロンに一方的な勝利を収めた。一太刀の攻撃も浴びることなくである。
 タロウはベムスターに投げ飛ばされた青年海野を助けると、スカイホエールを見上げ、ベムスターを指差した。機中の荒垣修平副隊長(東野英心)はタロウに敬礼すると「ベムスターのとどめを刺すのだ。」と下知した。
 臨席の北島隊員(津村隆)が「エネルギーB爆弾発射!」といってボタンを押すとB爆弾はベムスターの腹から突入して先に腹中に入り込んでいたA爆弾を起爆し、ベムスターを木っ端微塵に粉砕した。
 ZATはかつて地球人に屈辱を与えてくれたベムスター、ベロクロンの二大怪獣を立て続けに倒したのである。しかもベロクロンに対しては丸で敵にあらずが如きの一方的大勝利だった。

 シルバータイタンはウルトラシリーズの戦史的観点からも、この勝利を正義のチームが挙げた数少ない勝利の中でも最も偉大な勝利であると信じている。見事に江戸(「帰ってきたウルトラマン」、「ウルトラマンA」)の仇を長崎(「ウルトラマンタロウ」)で討ったわけである。地球人は弱いままではなかったのである。
 その後、正義のチームにはやはり前座としての役割が振られつづけたが、ある程度は仕方がない。いつもいつも勝っていてはウルトラ兄弟の出番はなく、番組は成り立たない。要所要所で勝てばいいのである。

 「ウルトラマン」の最終回でゾフィーが、「ウルトラセブン」の最終回でキリヤマ隊長が宣言したように「地球の平和は地球人自らの手で」の概念はしっかり受け継がれ、「ウルトラマン80」の最終回ではUGMがマーゴドンを倒した。これでいいのだと思う。


 仮面ライダーの世界に目を転じてみよう。仮面ライダーの歴史の中で、人類(正確には日本人)は一度だけ悪の組織の前に膝を屈した。それは「仮面ライダーBlack」でのことである。

 悪の組織ゴルゴムは二人の世紀王候補を生まんとして、その一人であるブラックサンには逃げられ、仮面ライダーBlackを誕生させてしまったが、もう一人の候補は長い時間がかかったもののシャド−ムーンとして甦らせることに成功した。
 ゴルゴムの指揮権を掌握したシャドームーンは配下の三大怪人に東京を襲わせ、日本政府に宣戦を布告した。その後幾多の戦いを経て、ビシュム・バラオムの二大怪人を失うものの、自ら出陣して、創世王の助力を得たことと、ライダーがシャドームーンの正体が兄弟同然親友であることから戦いに躊躇いがあることにつけこんで、ライダーの抹殺に成功する。
 仮面ライダーに勝利したことからゴルゴムは日本の支配を宣言したのだが、この直後の日本人達は余りにも情けなかった。

 政府・警察・自衛隊に動いた気配はなく、日本から逃げた人達(ライダーの親友も例外ではなかった。勿論見捨てたわけでは無く、ライダーに請われての選択だが)やひたすら神仏に加護を求めるものはまだ良い方で、一部の連中はゴルゴムに媚びた。
 子供達のヒーローごっこはゴルゴムが正義となり、ライダーが悪役となった。数人の青年達が、命惜しさに自らを「ゴルゴム親衛隊」と称し、怪人の餌となる子供達を捕まえてゴルゴムに献上しようとまでした。
 クジラ怪人の協力を得て蘇生した仮面ライダーBlack・南光太郎は市民の様子に愕然とし、自分が親友と戦うことを躊躇ったために多くの人々に屈辱の生活を強いたことを激しく悔いて、シャドームーンとの再戦を誓った。

 さて、地球人、つまり日本人達のこの体たらくの根底にあったのは絶望感だった。守護神・仮面ライダーを失い、ゴルゴムの前に命を惜しんだことから、抵抗することさえ放棄してしまっていたわけである。
 そこへ仮面ライダーがその勇姿を現した。前述のゴルゴム親衛隊は大怪人ダロムとコウモリ怪人に騙されてクジラ怪人を捕えたが、助命の約束をあっさり反故にされ、コウモリ怪人に殺されるところを仮面ライダーに助けられた。しかもこのとき自分たちが捕えた筈のクジラ怪人までもが体を張って彼等を救ったのである。
 大怪人ダロムはライダーに倒され、クジラ怪人とライダーに重傷を負わされたコウモリ怪人は逃走した(その後死亡)。これで改心しなければ嘘である。
 青年達は詫びながらクジラ怪人の介抱に努め、リーダーである女はライダーに、ライダーある限り勇気を持って戦うことを誓った。その後、ライダーの復活を耳にした民衆は歓喜の声を挙げて隠れ家から飛び出した。その姿に南光太郎は次こそシャドームーンに負けられないとの思いをより一層強くした。

 結局、この後一般民衆は何をしたわけでもなかったが、侵略者に対する地球人の己が世界を守らんとする意志の高鳴りは後番組である「仮面ライダーBlackRX」で見られた。
 仮面ライダー以外にも多くの人達がクライシス帝国との対決意志を明らかにしたのだ。そこには個々の強弱など丸で関係なく、ただただ強い意志があったのである。それは何より敵であるクライシス帝国にもはっきりと伝わっていた様である。

 第19話でクライシス帝国はエレニウム鉱石という資源を手に入れるために人工太陽を作って、東京の気温を上昇させて日本政府を脅したが、それに待ったをかけたのは一人の科学者・相原博士(石山律雄)で、人工太陽を破壊する磁力砲を発明していたのだった。
 博士と磁力砲を厄介と見たクライシスは博士の長女と長男を誘拐して磁力砲の引渡しを迫った。
 クライシスを信用できないと云った光太郎に対し、博士は一人の親の立場として子供達を見捨てる行動を取るわけにはいかず、光太郎の隙を見て、約束を反故にされるのを覚悟の上で、人質交換に臨んだ。
 果たしてクライシスは物の見事に約束を反故にしようとしたが、そこへRXが駆け付けた。
 ライダーと怪魔ロボットクロイゼルが戦う隙に人工太陽を破壊しようとした博士だが、クロイゼルのために足を負傷させられ、弾き飛ばされた磁力砲に手が届かなかったが、そんな父の心意気が通じたのか、長女が危険も省みず磁力砲に走り、見事に父に手渡し、人工太陽は破壊された。
 余談ながらこのよき父・よき科学者を演じた石山律雄氏(現在は石山輝夫)は普段は時代劇や刑事ドラマで悪役をしまっくている人物である(大抵狡賢い自分で手を下さない役所)。
 しかし、この博士役はそんなイメージをふっとばす好演で、俳優としての石山氏の好演も勿論、一市民の精一杯の奮闘が上手くストーリーとして構成された必見の回である(この際断言してやる)。

 また第29話、第30話では人間の生活の源である水を掌握して、人々を枯渇で苦しめ、水を盾に服従を強い、成功直前までこぎ付けたが、怪魔異星獣ムンデガンデに浄水場管理所長の父を殺された少女・的場響子がその怨みを注がんとして訓練して得た超能力により水を呼び出すのに成功するや、人々はクライシスへの忠誠を忽ち拒絶した。

 更に第35話ではクライシス帝国は怪魔コンピューターを使って警視庁のコンピューターに侵入。将来、クライシスにとって邪魔になるであろう人間達に次々と濡れ衣を着せていくと云う作戦を取った。
 濡れ衣を着せられた人物には南光太郎は勿論、大学教授や弁護士、政治家と云った連中も含まれており、クライシスが一般人の敵意と云うものを軽視していなかったことが覗え、一般人が侵略者に対し、断固とした拒絶の意を持っていたことが明らかにされている。

 続く第36話ではプロボクサー沢田(小沢一義)がヒーローを崇拝する子供達の心理を逆手に取ったクライシス帝国の洗脳作戦を阻止せんとするライダーに協力を求められ、一度怪魔異星獣バルンボルンが化けたグレートマスクに敗れた敗残の身を奮起し、「本来なら許されないこと」としていた細胞合体までしてRXと共闘した。
 子供達の夢を守ろうとしたRX・沢田も、利用しようとしたクライシス側も如何に大衆性を重視していたかがわかる。
 ちなみに全くの余談ながら、第15話の石山律雄氏同様、この回の小沢一義氏も普段は悪役(殆どチンピラ役)が多い。それでも子供達の夢を守るために奮闘する役を与えられた小沢氏はカッコイイ(見た目はチンピラと大差ないのにである)。小沢氏の演技力とストーリーの構成の良さが見事にマッチした好例と云えよう。

 そして第44話では日本政府とクライシス帝国の間で高官同士の秘密会談が行われ、、「Yes?or No?」と尋ねるマリバロン(恐らくは降伏勧告だろう)に対し、総理大臣は全く迷いを見せず、はっきりと「No」の形に口を動かしたのだった。
 前番組である「仮面ライダーBlack」では国会議事堂内にまで乗り込んできた大怪人達にいいようにいたぶられ、その後ゴルゴムがライダーを破った際に何の動きも意志も見せなかった政府が今回ははっきりと拒絶の意を明示したのである。
 簡単なことのように見えてかなりの進歩である。そしてその意志通り、僅かな出番とはいえ、地球防衛軍もクライシスと激戦を交えていた(負けてばかりだったが、この際そんなことは問題ではない)。


 結局最終的に怪獣を倒し、悪の組織を壊滅させるのはウルトラ兄弟であり、仮面ライダー達である。だが一般民衆だって生きているのである。
 力がないのは仕方がないし、不可能をやれとは云わない。一度敗れた相手に対し、過去の教訓から勝利を得たのが偉大なのであって、一度甘んじた支配を再び繰り返さず、はっきりとした意志を示したのが立派なのである。
 驚異的な侵略者に対して、一般人一人一人の力は余りにも無力である。しかし、断固とした意志と飽くなき戦意の前に怪獣は倒れ、侵略者は数々の作戦を破られた。無力な筈の一般人によってである。
 そう、強固な意志を持って決然と戦う人々は弱き存在ではあっても決して雑魚ではないのである。



2. ホテルヨーロッパの社員達(ミンボーの女)
 ミンボーとは「民事介入暴力」の略称である。暴力団が民事紛争に当事者の形で介入して金品を強請り、脅し取る行為で、人の弱みに突け込んだり、「やくざは怖い」という先入観を利用し、でもって巧みに金銭を出すことによる解決を選ばせるわけである。

 巨匠・故伊丹十三監督のこの映画ではミンボーの実態とその自衛法をホテル・ヨーロッパを舞台に強請り・たかりにやってくるヤクザとの戦いを描いたものである。
 このドラマの初め、ホテル・ヨーロッパの従業員達は余りにも雑魚であった。早い話、皆が皆ヤクザを恐れていたのである。
 サミット開催の開場候補から外されたことを知ったホテル・ヨーロッパの支配人・小林(宝田明)はその原因がホテルを徘徊する暴力団達にあるという指摘を外務省の友人(津川雅彦)から受け、フロント課課長(三谷昇)とヤクザの追放の方法を相談し、暴力団追放の特別班の編成を決定した。

 その特別班の人選の際に、「重要な任務を授けたいと思う。我と思わんものは一歩前え!」と云う課長の言葉に全員が前に出たが、「任務はヤクザの撃退だ。」と云った途端に全員が後ずさった(笑)。
 本来ならその任にある警備課長達は高齢や新婚や家庭のローンを理由に遠回しに拒否した。逆に若干名志願する者もいたが今度は支配人の方でその有能性ゆえに彼等を思いとどまらせる、と云う「話しがあべこべ(フロント課長)」状態になった。

 結局「金やるから奴等つけ上がるんですよ。」と大口を叩いたことに突け込むように経理の鈴木(大地康雄)と相撲部出身と云う理由で新人ベルボーイの若杉(村田雄浩)の二人に「総支配人特別補佐」と云う肩書きを与えて予算も与えずヤクザ問題の処理に当たらせた。
 しかし、やりたくてやったわけでもなく、命令されて強制的に任に就かされた二人はヤクザに対して完全に及び腰で、騒動の度に駆り出されては因縁を付けられ、金銭による解決を選んでしまい、回避すればしようとするほど別の騒動を生んで、また金を出してしまうという悪循環に陥った。

 命令した総支配人も、された鈴木も双方がブチぎれたが、課長が間に入って両者を宥め、「これまでの出費はやむを得ない授業料ということで目を瞑っては頂けないでしょうか。この度の事は必ず二人の教訓になっています。我々もこの二人に嫌な仕事を押し付け過ぎました。今度はフロント課全体でバックアップ致しますのでどうか二人にもう一度チャンスを…。」と双方の顔が立つ様に提案した(いい人ですなぁー、流石元ZATの副隊長)。
 総支配人も課長の顔を立て、「君がそこまで云うのなら。」と云って二人の続投を命じると同時に、プロを一人つけた。それがミンボー専門の女弁護士・井上まひる(宮本信子)、この映画の主人公である。

 井上はミンボーと戦う心構えとして、鈴木と若杉の二人にミンボーの実態を教えた。つまりミンボーは暴力団は怖いという一般人の先入観を利用し、その脅威をちらつかせる事で金品を脅し取るのが目的で、決して暴力を振るわないから恐れず毅然と拒絶することが大切であることを教えたのである。
 暴力団が暴力を振るわないなどとはピンと来ないものがあるが、その言葉や威勢と裏腹に彼等は懲役も逮捕も恐れているのである(懲役は服役中に家族の生活費や弁護士料などから年二千万はかかり、強請り・たかりの為に暴力を振るうのは愚の骨頂なのである。当然その間「シノギ」ができず、組の稼ぎを減らすことになるので、上層部からも睨まれる)。
 更に井上は法的に戦う為にホテル内にVIPルームを作らせ、カメラと隠しマイクをセットし、虚栄心が強く、弱い者には強いが、強い者に丸っきり弱いヤクザの実態を説き続け、暴力団との交渉の基本として、「ヤクザのアジトに行かないこと、出来ればヤクザより多い人数で応対すること。」を説いた。
 二、三の交渉を交えるうちに鈴木、若杉も慣れ、実態を知ることにより恐れを薄れさせた。

 その間、小林支配人がヤクザの罠にはまって少女ホステス(朝岡実嶺)に対する淫行の汚名(勿論でっち上げ)を着せられたり、新館工事中止の脅しを受けたりもしたが、二人は恐れを見せず、処分を行政や司法に委ねるとヤクザ達に宣言し、また脅しの映像や録音を元に暴力団達にホテルヨーロッパに直接交渉したり、営業を阻害したりすることを禁じる仮処分の命令を裁判所に出させることに成功した(勿論井上の尽力によるところが大きい)。
 また、脅しに対してどうするべきかという役員会議において会長(大滝秀治)の前で鈴木・若杉・フロント課長の三人が立て続けに自らの首をかけて戦い抜くことを懇願し、支配人も「もし作戦が失敗に終わりスキャンダルになりそうになったら、遠慮なく私を斬り捨ててホテルを守ってください。」と云って辞表を預けた。

 もっとも、元々井上弁護士を雇ったのはこの会長であり、及び腰だった鈴木・若杉達の変わり様に満足していた彼は「なんてこった。ヤクザとやりあううちにすっかり交渉が上手くなりおって。」と云ってホテル全体での共闘を宣言した。
 業を煮やしたオロチ会の伊場木(中尾彬)はチンピラ(柳葉敏郎)に井上弁護士・若杉の抹殺を命じた。井上弁護士は刺されて重傷を負ったがチンピラはその場で若杉に叩きのめされ、逮捕された。
 性懲りもなく裁判所の命令を無視して脅しに来た連中は強気に出る鈴木・若杉に頭に血が昇り、逆にわざと弱気に出た支配人に調子に乗って付けこんで、あからさまな恐喝を行ってしまい、裁判所命令無視の通報を受けて駆けた付け、待機していた明智刑事(渡辺哲)達によって全員恐喝の現行犯で逮捕された。
 しかも先に逮捕されたチンピラが殺人未遂を伊場木が教唆したことを既に自供していた為、一度は逃走しようとた伊場木は待ち構える機動隊とマスコミを目の当たりにして観念し、何事もなかったかのように堂々とした態度で連行された(精一杯の強がりですな)。

 オロチ会の失敗は初めビビリまくっていた鈴木・若杉を最後まで甘く見ていたことにある。更に相手が脅しに屈しなくなったのを井上弁護士一人の力と見て、二人の成長を見ていなかったことにもある。
 確かに初めの二人は体の震えも止まらず、怯えているのが見え見えで、井上が交渉に参加した直後も井上に任せっきりだった。
 しかし工事中止を脅してきた段階で交渉は殆どこの二人が行っており、仮処分の命令を出したことに因縁を付けた来た際に若杉が堂々と正論で対処した段階で彼が雑魚でなくなっていたことに気付かなかったのが愚かとしか云いようがなかった。
 逆に若杉に「押しかけて来るならどうぞいらしてください。どうせ群れになってやってくるんでしょう。ヤクザなんて一人じゃ何も出来ない半端者の集まりなんだから!!」とやり込められていた。
 彼等が更に阿呆だったのは最後の交渉時にも見られる。井上弁護士を病院送りにしたことでホテル側の戦力・戦意がダウンしたという全くの見当違いのもと、伊場木は若頭(我王銀二)、入内島(伊東四郎)他三名を伴い、裁判所の命令を無視してホテルに押しかけた。
 勿論若杉の戦意は落ちるどころか燃え上がっていた。それに気付かぬ伊場木は鈴木・若杉の応対に「今日はあの小生意気な女弁護士がおらんだけでもまだましや、これ、評価したるで。」などと抜かしていた。
 怒り心頭の若杉は伊場木に掴みかかろうとしたが鈴木に止められた。この段階でまだ脅しが通用すると思っていたとしたらオロチ会も目出度い物である。
 「士、別れて三日、刮目して相対しべし。」という三国志で有名な呂蒙の云った言葉がある。人というものは三日会わなければどう成長しているかわからないので、よく目を凝らして見る必要があるという意味で、人を見る上での教訓となる言葉なのだが、オロチ会の奴等は知らなかったに違いない。

 さて、ここだけを見れば、鈴木・若杉の成長物語であって、この二人だけが雑魚から脱却したように見えるが、ホテルヨーロッパの従業員達が全体として雑魚から精鋭に成長していたのが最後の最後に見られるので紹介と共に考察したい。
 一命を取り留め、何とか歩ける様になった井上弁護士が若杉に付き添われてホテルにやって来たとき、既にヤクザ達はホテルから消えていた。
 驚く井上に若杉は「張り合いないでしょ。」と軽口を叩く始末だったが、そこへまたもやヤクザがやってきたのであった。しかも大親分クラスで二十人からの子分を引きつれていた。
 鈴木は余裕の表情で、「じゃあ、断ってきちゃおう。」と名刺を取り出すやドアマンがそこらにいた従業員達に手招きした。

 突然大挙して眼前に立ちはだかった従業員達にヤクザの子分たちは「何や御前等は。」、「どかんかい!」、「何の真似じゃぼけぇ!」などと罵声を浴びせたが、当然従業員達は平然とし、鈴木は名刺を大親分に渡してホテルの約款上暴力団関係者の利用を遠慮してもらっている旨を告げ、親分の御忍びなら目を瞑れるが、これほどあからさまにそれとわかる格好の面々でのロビーの闊歩を黙認できないことを説明し、丁重に引取りを促した。

 ここからである。ヤクザの三下達は相変わらず罵声を浴びせ、ホテルの利用を強要したが、そこへ他の従業員達が集結しだしたのである。
 初めからいた面々に加え、総支配人、会長、その二人の側近、厨房のコックから清掃係やベルボーイに接客係に至るまで、役職を問わず人が集まって、ヤクザ達の前で壁を成したのである。
 集まったからといって彼等は何をするわけでもない只黙って無表情で毅然と対峙するだけなのだが、何故かこれには静かながら物凄い迫力があったのである!!
 迫力があるといっても威圧的な嫌なものではない。毅然としすぎて突け入る隙のない迫力なのである。
 集まった面々は大地康雄を除けばそれほど人相の悪い顔はない。別段厳つい表情をしているわけでもなけりゃ、各々の役職上の制服・作業服をきているだけである。
 勿論BGMの勇ましい太鼓の音や、照明の効果によるところもあるのだろうけれど、それだけで三宅祐司や三谷昇の顔までもが迫力を持つとは思えない。
 大親分は失笑を漏らすと踵を返した。子分達はある者は一瞥をくれ、ある者は上着を振るい、ある者は馬鹿にした笑みを浮かべ、ある者は指鉄砲を向けたり、と様々に虚勢を張ったが、そのまま全員が引き上げた。ヤクザが退散すると鈴木が指を鳴らしたのが合図であるかのように従業員一同から歓声が上がり、大団円となった。

 これはシルバータイタンの推論に過ぎないがこの迫力はやはりストーリーが作ったものだと思う。
 ヤクザに怯えていた筈の人々が一人一人毅然とし、一切の怯えを廃した変貌ぶりが無言の迫力に拍車をかけた。恐らく、冒頭から見ずに最後の対峙だけを見たのならたいして迫力はなかったのではないかと思う。巨匠・伊丹監督の名采配の賜だろう。実に惜しい人を映画界はなくしたものである。

 また、この映画の上映開始直前に監督がチンピラに襲撃されたのは余りにも有名な話しだが、成る程、この映画の内容からミンボーの実態が知られるとさぞ、ヤクザのしのぎはきつくなることだろう。
 だが、必然と云うか当然と云うか監督が襲われた事により、、「そんなにヤクザに都合の悪いことが描かれているのか?」と却って大衆の興味を引き、多くの人々が映画を見ることになった(シルバータイタンもその一人)。
 阿呆なチンピラは目先の不都合に短慮を起こして監督を襲ったが、業界上層部はさぞ「阿呆なことしおってからに…。」と臍を噛んだ事であろう。一番の雑魚は監督を襲ったチンピラだったのかもしれない。業界的にも、人間的にも、精神的にも。


 様々な形で戦闘員と云うものを見てきたが、結局の所TV番組であることや主役でないこと、アイデンティティを確立できる登場人物の数に限界があることなどから、数の多い戦闘員ほど、名もなき存在ほど雑魚化すると云う結論が出た。
 しかし一方で有能な指揮者のもとにつく事や、決然たる意思を示す集団であることに務めることで、精鋭と化することが出来る、強きこと必ずしも精鋭ならずとも、弱きこともまた必ずしも雑魚ならず、との結論も得た。
 この世に同じ人間は二人といないのである。しかし同じ人間はその在り様で精鋭にも雑魚にもなるのである。そこに個人の能力の優劣・強弱は些細な問題でしかない。
 そこで考えて欲しいのはあなたが雑魚になりたいか?と云う問題である。余程意志を失った人間でない限り「No」と答えるだろう。だが、自己の意思を持たず、価値観も倫理も時の流れ任せで考えることや決断を放棄した人間を私は「精鋭」と認めることは出来ない。
 為政者にとって愚かな一般大衆で一生を終わったとしても、飴と鞭だけで操られる単純な存在でいたくない。
 「大衆は豚だ!」と云われれば腹も立つし、反発もする。「選挙に行かず、家で寝てろ。」などとは総理大臣といえども云われる筋合いはないのである。
 劣等人間だろうと何の能のない弱い人間だろうとこの世に私という人間は二人といないのである。それだけは生涯捨てまい、とこの書を書き上げて今より一層切実に思うのである。
 自分のことを嫌いでしかたのない人間、思い通りに生きている気がせず日々虚しさを募らせている人間も多いことだろう。道場主もそうである。だが、この世に一人しかいない自分自身を決して粗末にして欲しくない。
 身近なものを大切にすることから協調や調和が生まれ、その時にこそこの世は人が人を認め合い、精鋭も雑魚もなく、「戦闘員」を必要としない世界になるのだと私は信ずる。

平成一三(2001)年九月一〇日 菜根道場道場主・菜根道人



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