六〇〇〇年に渡って人類を苦しめたと言われた天然痘は地球上から根絶された。日本だけでも古今東西、実に多くに人々の決死の尽力が存在し、その前後に多くの悲哀があった事がうかがえる。改めて多くの先人達の尽力に頭の下がる想いである。
くどいが天然痘は現代医学をもってしても有効な治療法のない病である。太古よりすべては人の力によって戦うしかなかった。それゆえに種痘に携わった人々だけではなく、直接闘病した人々や伝染させない為に手配した人々にも頭が下がるのである。
かつて道場主は天然痘に怯えた。
本当に腹立たしい。
自らの臆病さもさる事ながら、悪魔のウィルスにとりつかれた犠牲者に過ぎない、何の罪も無い患者達の変わり果ててしまった容貌に目を背けようとする自分が今でも許せない。
道場主は今までに三度ほど「かつて天然痘に罹ったのでは?」と思われる容貌の人物とすれ違った事がある。顔を合わせた瞬間何の反応も示さなかった自信はない。その人物に対して本当に申し訳ないと思っている。
自己弁護する訳じゃないが、天然痘の痘痕を残す容貌に恐怖したり気持ち悪さを抱いてしまう人々は少なくない。本当に根絶されたとはいえ、何でこんなひどい病がこの世に存在したのか?と思わずにいられなかった。
だが忘れてはならないのは火傷や凍傷、象皮病、ハンセン病、バセドウ病等、人の容貌を変えてしまう疾病は天然痘以外にも存在するということである。
疾病で容貌が変わってしまった人々に奇異の目を向けたり、目を背けたりのは許されざる行為であることを理解しつつ同じ様に見ることはできない現実がもどかしい。明智光秀が婚姻を前に天然痘に罹り容貌が変わってしまった熙子を約束通りに娶り、側室を迎えることなく終生変わらない愛を注いだ事実を前に恥を覚えるばかりである。
幸いにして人類は天然痘に勝利した。
薩摩守にとっては自らが手を下すまでもなく滅びていた。だがかつて天然痘という人類をひどく苦しめた病が存在し、その根絶に多くの人々が尽力した歴史は命ある限り伝えたい。
勿論薩摩守がやらずとも伝える人は数多くいる。だが薩摩守なりの伝え方にしか伝えられないものもまた存在すると私は思っている。
平成一三(2001)年九月一一日にアメリカ合衆国で同時多発テロが勃発し、天然痘テロの恐怖が再燃した。
昭和五五(1980)年の撲滅宣言後、アメリカと旧ソ連の研究所にしか存在しないとされた天然痘ウィルスだったが、旧ソ連の崩壊に際して海外に流出したとも言われ、真実かどうかはわからないが、「天然痘ウィルスを所持している。」と主張するテロリストも存在する。彼等の持つ細菌兵器は馬脳炎とかけ合わせた特性の天然痘ウィルスであり、従来のワクチンが効かず、天然痘撲滅後に生まれて種痘を施されていない世代が存在し、それ以前に種痘を受けた人々にしてもその効果は切れているという人もいる。
皮肉な事に三〇年以上前に根絶されたゆえの恐怖が生じた。
天然痘は復活するのか?
様々な噂が囁かれている。仮にテロリスト達が所持していなくてもシベリアの永久凍土に埋められた天然痘患者の遺体からウィルスの復活は可能だというものまでいる。
私は主張する。
天然痘をこの世に復活させる暴挙に出る者がもし現れたとき、薩摩守はその者を人類史上最悪の罪を為したものとして世に告発するだろう。
万一その罪人が薩摩守の目の前に現れる事があればかなり高い確率でその者の命を絶つだろう。ありていに言えば、「そいつを殺す!」ということである。
勿論、これは殺人予告で、決して許される表現ではないし、もし既にそのような者がいて、名指しで宣言すれば薩摩守は逮捕されることになる。
それを百も承知で、くだらない杞憂で終る事を心から願いつつも宣言するのは、天然痘と戦ってきた多くの人々の歴史を振り返る度に、天然痘を再び世に放つような人間を薩摩守はどうしても許すことは出来ないからである。
テロリストにしても、革命家にしても、細菌兵器の研究者にしても、歴史上の多くの人々の気持ちを無にしてはならないとの気持ちや、人の容貌を変え、見る側にも見られる側にも悲しみを与える病のむごさを知る心が一欠けらでも持つなら………この病を再び世に放つ事だけは止めて欲しいと改めて訴えて筆を置きたい。
平成一六(2004)年五月一五日 蟻田功氏生誕七八年に際して世界の平和と疾病の撲滅を祈念して 道場主
参考文献・参考サイト 講談社文庫
「北天の星(上)(下)」 吉村昭
「日本医家伝」 吉村昭
新潮文庫
「雪の花」 吉村昭
歴史チップス
緒方春朔−わが国種痘の始祖−
他多数
前頁へ戻る
冒頭へ戻る
戦国房へ戻る平成二七(2015)年七月四日 最終更新