最終頁 本当に「祟りたい」人達

祟れるか、否かの不公平 いつものことながら、拙作で採り上げる基準は独断と偏見である(苦笑)。
 冒頭で述べた様に日本の歴史は「怨霊信仰の歴史」でもあり、「怨霊になった」とされた人物は他にも史上に大勢いる。また、怨霊化する(正確には死後に「怨霊になった」と見做される)か否かは後決めなので、時代や周辺人物の捉え方により細かな差異があり、場合によっては、怨霊化してもおかしくない人物が怨霊化しなかったり、怨霊化しそうにもない人物が怨霊化したりしたケースもあるだろう。

 そこで「怨霊」の定義を見直したのだが、基本は「無念や怨みを抱いて死んだ人の霊」である。中でも、政争や陰謀により罪無くして死を強要された者ほど怨霊化した(くどいが正確には怨霊になったと見做された)傾向がある。
 それに照らし合わせると、本作で採り上げた者達の中にも、怨霊化したことに納得出来る者もいれば、納得し難い者もいる(←勿論これも薩摩守の独断と偏見である)。具体例を挙げるなら、後醍醐天皇怨霊化するには生前のわがままが過ぎるし、平将門は(理由はどうあれ)実際に朝廷に反旗を翻したことで戦死しているので「三大怨霊」にまで祀り上げられるのは如何なものかと思う。

 逆の視点で見れば、直接的な戦闘・殺害が頻発し、陰謀や理不尽が横行した鎌倉・室町・戦国時代はもっと怨霊化する者が多発してもおかしくないが、「無念の死」が頻発し過ぎたためか、或いは犠牲者に罪無きものが殆どいない為か、怨霊化した者は稀有である。斎藤道三、織田信長、松永久秀に謀殺・虐殺された人々は思い切り怨霊化しそうなものなのだが。

 やはりこれは「死者に対してどう振る舞ったか?」「人智の及ばない出来事が実際にあったか?」怨霊化するか否かのネックになっているからだろう。
 怨霊信仰でよく云われるのが、政争の敗者となって死した者に対し、陰謀の仕掛け手である加害者が被害者を祀ったり、フィクションの世界の勝利者としたりすることで慰霊に努める行為である。逆を云えば、加害者サイドに一片の罪悪感も無く、慰霊行為が皆無だったり、天変地異が起こらなかったりすると、「あの方は怨霊になられた……。」と人口に膾炙することは無く、怨霊の中に名を連ねないこととなる。
 個人的な感傷且つ推論だが、父親の後を継いだだけなのに謀反に倒れた大友皇子(弘文天皇)など、天武天皇を祟りたくて仕方なかったことだろう。もしかしたら実際には「大友皇子の祟り」と見られる出来事はあったかも知れないが、藤原氏がそれを『日本書紀』に載せず、記録から抹殺したことは充分有り得るだろう。

 勿論、これ等は文化・価値観・歴史的背景から出来た結果論なので、これに対して薩摩守が異論を唱えても始まらない。だが、怨霊信仰は怨霊信仰という歴史の一面として捉えつつも、正しい人物評や業績評価を誤ってはならないと思う。

 同時に、現代に照らし合わせるなら、麻原彰晃や松永太の周囲には怨霊がうじゃうじゃしている筈だろうし、動物の世界に目を転じるなら猫だけが「七代祟る」という「権利」を持つのもおかしな話である。また、加害者側が「理不尽」と思っていないから日本政府・日本軍の陰謀で命を落とした無辜の異民族が怨霊化しないのも筋が通らないと云えよう(阿弖流為やシャクシャインには「祟る権利」(?)があってもおかしくないが、当時の日本側は謀殺に一片の罪悪感も抱いていない)。

 理不尽に殺された人々の無念は同じだと思うし、それを無視することはしたくないものである。



もし、「祟り」が本当なら 一言でいえば、「関係のない者を巻き込むんじゃねぇ!!」である。

 怨霊はある意味神にも等しいほど人智を越えた力を持つと見られたので、祟りを為す際に、天災(風水害・旱魃・地震)や疫病流行を為したと見られた。だが個々の項目でも触れたが、これ等の災厄で命を落とした人々の殆んどは政治にも陰謀にも関係ない。
 特に長屋王早良親王菅原道真怨霊が為した疫病流行では大勢の人々が病死した訳だが、彼等の死因を作った藤原四兄弟藤原時平には「ザマぁ見ろ。」を云えるが、パンデミックに巻き込まれた一般ピープルにとっては「巻き添え」でしかない。「何で儂らが……?」と思いながら息を引き取って行った人達の方こそ怨霊化したいところだろう。

 一方で、祟りは「肝心の標的」を外していることもある。大津皇子なら持統天皇を、長屋王なら聖武天皇を、早良親王なら桓武天皇を、崇徳上皇なら後白河天皇を祟り殺して然るべきだが、これ等の天皇達は天寿を全うした。
 勿論、怨霊は科学的には否定されている存在である。薩摩守の云う「理不尽」は「怨霊が存在し、祟りを為した。」という薩摩守自身が信じていないことを無理矢理仮定した感想であるゆえ、理に叶う方がおかしいと云えなくもない(苦笑)。
 だが、「理不尽」に対する怒りの声は、それがフィクション的な存在であっても大切だと思う。そうでなければそれこそ怨霊によって罪無く殺された人々の霊を誰が慰めるのか?ということになろう。
 負の連鎖はどこかで断ち切られなばならない。



祟られない為に必要な事 単純に考えれば、被害者に対して罪悪感を抱かず、人智の及ばない出来事が起きなければ「怨霊」は史上に登場しない。

 だが、想像して欲しいが、これを読んでいる方々の周囲にいる「罪悪感を一切抱かない人間」に貴方は好意・好感を抱けるだろうか?薩摩守は無理である(苦笑)。
 また天変地異や疫病流行を誰かのせいにしても始まらない。責めるなら事後に適切な手を打たずに犠牲を拡大させた為政者であろう。

 一方で、人間には、自分の大切な人の突然の不幸に対して何かを責めずにはいられないという悪癖がある。
 阪神大震災東日本大震災の折には「人災じゃないのか?」との声が囁かれ、津波で多くの児童に犠牲が出た小学校の避難における判断ミスを巡ってはどちらにも味方し難い裁判が続き、某都知事(←名前出しているのと同じやな(笑))は「天罰」とほざきやがった(←彼にしては珍しく、すぐに謝罪していたが)。
 そう考えると怨霊は同情すべき存在であっても、その仕業は納得し難いし、現在に至っても日本人及び日本社会は「怨霊」を生み出す土壌が変わっていないことが分かる。

 相も変わらず回りくどい書き方をしているが、「無実の犠牲者」を出さないことが「怨霊」を産まない唯一にして最良の手段(?)だろう。
 同時に、天変地異・疫病流行に対して誰かのせいにせず、適切な善後手段を施すことだろう。
 勿論、口で云うほど簡単ではないのだが。それが出来てこそ、真に「歴史に学んだ」と胸を張って云えることだろう。


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令和三(2021)年六月八日 最終更新