チョット待て!その呪詛おかしくないか?
「日本は怨霊信仰の国である。」と主張する人々がいる。
特に『逆説の日本史』で有名な作家の井沢元彦氏は「日本の史学会は宗教的な影響を軽視ないし無視している。」と主張し日本史上の怨霊信仰に関して言霊と並んで多くの紙面を割いている。
「非科学的」として、「怨霊」の実在を一向に信じない方々でも、平安〜鎌倉時代に掛けての日本(特に皇族・貴族社会に)に「怨霊信仰」が実在したことを疑う学者は皆無である。怨霊を祀り、慰霊する行事は数多く行われており、当時の人々が怨霊に脅え、その鎮魂に努めたのは史実である。
「怨霊」に対する定義は国や時代によっても異なるが、古代から中世にかけての日本の場合、「罪失くして理不尽に罪に落とされ、殺された者」、「政争に敗れて不遇の内に世を去った者」等が怨霊化するとされていた。
当然陰謀と讒言が渦巻きまくった飛鳥・奈良・平安には権力者達に後ろ暗いところがありまくり、地震・洪水・疫病に対して「怨霊の祟り」と捉えて恐れた。つまりは不幸に対して「祟られている…。」と考える「身の覚え」が有りまくったゆえに。
逆にしっかり祀って鎮魂し、喜ばす(名誉回復、官位・神号の追贈、祭神化等)ことで守り神になると考えられた。それゆえ「怨霊信仰」という単語が生まれ、存在し続けた。
だが、「祟り」と考えると、どうもその「対象」がおかしい様に薩摩守には思われてならない。ざっくばらんに云えば「無関係な者が巻き込まれている!」と感じられてならないのである。
例えば、甲が乙を謀殺した後に甲がロクでもない死に方をすれば、「甲は乙にたたられた!」と考えるのは人情として自然だし、多少は溜飲も下がるだろう。だが「祟り」の結果、自然災害や疫病流行が起きたとき、犠牲になるのは「当事者」である甲だけでは収まらない。
勿論、怨霊の存在は科学的に証明されていないし、薩摩守個人的には怨霊の存在を信じていない(本当に存在するなら麻原彰晃や松永太などとっくの昔に祟り殺されているだろうから)ゆえに「怨霊の仕業」とされる歴史上の惨事に対して「怨霊化した」と見られる故人を責めても意味は無い。真に責めたいのは、「怨霊」を生んだ陰謀家と、現実の惨事を「怨霊」のせいにして現実的な手を打たなかった時の為政者達である。
そこで本作では「怨霊」になったとされる人物に注目し、「怨霊」によってもたらされたとされる惨禍に触れ、時代の人々のおかしな対策にツッコミを入れつつ、歴史の真の因果応報、真の責任というものに迫りたい。
第壱頁 大津皇子……呪殺する相手が違うって!
第弐頁 長屋王……藤原四兄弟だけで充分でしょ?
第参頁 早良親王……都ごと逃げ出す執念深さ
第肆頁 菅原道真……呪詛期間長過ぎ………
第伍頁 平将門……いや、アンタ「反逆」しているし
第陸頁 崇徳上皇……最強怨霊、被害も甚大且つ長期なり
第漆頁 後醍醐天皇……祟る前に我が身を振り返れや
最終頁 本当に「祟りたい」人達
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戦国房へ戻る令和三(2021)年六月七日 最終更新