第捌頁 何故起きる?「退位強要」

 天皇とは、政治形態がどうあれ、日本において最高の地位であり続けた。
 実権で云えば摂関家や将軍家に奪われ、第二次世界大戦後は日本国憲法の規定で「君臨すれども統治せず」となり、必ずしも最大権力者であった訳では無いが、最高権威者ではあり続け、如何なる政権も皇室を滅ぼすことはなく、実在・血統が記録上確かな継体天皇以来、世界でも稀且つ最長の系統を保っている。

 そんな最高権威者で、同時に法の上では最高権力者であったにもかかわらず、歴代天皇の中には何人も天寿を全うする前の退位を余儀なくされた。
 勿論、一口に「退位」と云ってもその内実・遺志は様々である。病に罹り、死期を悟ったことで後継者に皇位を譲ったケースではほぼ完全に天皇自身の意志で、事実上の終身即位である。
 一方で、政治への情熱を失ったり、後継者争いを防ぐ為だったり、摂関に政権を握らせない院政確立の為だったり、と決して後ろ向きではない「退位」も少なくない。

 だが、本作で見て来たように、自らの意志に反した「退位強要」も決して少なくなかった。勿論天皇が常に最高権力者だった訳では無く、天皇に限らず、征夷大将軍や内閣総理大臣といったその時代における最高権力者の筈なのに事実上の権力者の為にその地位を奪われた者は少なからず存在する。
 本作で無念の「退位」を余儀なくされた七人の天皇を採り上げたが、他にも意に沿わぬ退位を余儀なくされた天皇は何人もいる。中には幼児に等しい年齢で譲位され、成人する前に譲位させられ、自らの意志もへったくれもない「退位」もある。

 そしてかかる権威と権力の乖離による最高権力者及び最高権威者の出処進退は時に政治や治乱を大きく左右した。勿論権力争いで、その煽りを食うのは名もなき兵士や名もなき民である(自らの意志で戦果を求めて破れ散った者の無念など知ったことではない)。
 令和の世では天皇は国事行為のみに従事し、その地位や政権を巡る醜い争いの対象ではなくなっている。しかしながら、令和六(2024)年一〇月二二日現在、今上天皇陛下には男児がなく、皇室典範上弟君である秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承権第一位で、その長男である悠仁親王殿下がその第二位となっているが、秋篠宮様は皇位が巡ってくる頃にはご自身が中利の高齢となっていることを指して継承しない意を示されている。つまり今上天皇の時代は現時点では誰にも分らず、世間には男系を重視して悠仁様を推す声もあれば、愛子内親王殿下を推す声もあれば、昭和天皇に血筋の近い宮家を復活させる声もあり、中には天皇制廃止を訴える者もいる。

 個人的には世界史上稀で、且つ最長の伝統を誇る皇室には今後も我が国の象徴であり続けて欲しいと思っているが、その継承にしょーもない争いなど起きて欲しくはない。
 そんな気持ちから、歴代天皇中で意に沿わぬ退位を余儀なくされた天皇を選出して検証した。実際、最高の地位に在る方が親族のみならず、時には実権を持つ臣下からその地位を去ることを強要される流れには醜いものを感じるし、皇室に限らずトップがその地位を去ることを余儀なくされる例は世に多く、その多くは眉を顰めるものがある。

 前置きが長くなったが、皇室の安寧な継承を祈念し、世の阿呆な権力争いを非難する意味でも最後に「退位」が起きる背景をまとめ、歴史の安定を得る為の学習材料としたい次第である。


退位強要Case1 親の命令
 天皇と云えども人の子である。二親がいてこの世に生を受けている訳で、多くの者は親の意を軽視しない。上述した様に歴代天皇の中には退位はおろか即位する親の云うが儘で、意味も分からないまま即位させられ、意思を示せないまま退位させられた者もいて、本作で採り上げた人物の中では崇徳天皇後深草天皇がこれに当てはまる。
 勿論すべての人間が親に従順な訳では無い。崇徳上皇後深草上皇も父帝に反発し、その崩御後に遺志に反して権威や実権を我が手に取り戻そうとした。逆を云えば、父親の存命中はその牙を隠しており、死後に動いているのが興味深い。やはり儒教の影響もあって、面と向かって親に刃向かう事は憚られたという事だろうか?

 この問題は天皇が終身その地位に在り、崩御に際して予め定められていた皇太子に皇位委が継承されれば問題はなくなる。つまり下手に皇位を譲らなければこんな問題は起こらない。しかしながら、隠居後に権威を取り戻す上皇なら、就任中に権威を握れなかったことを取り戻すかのように絶対者的に振舞い、息子に対して「こいつのせいで皇位を奪われた。」と見做していれば、退位強要に動くことは想像に難くない(例:鳥羽法皇)。

 院政に限った話では無いが、摂政関白や征夷大将軍でもその地位を息子に譲って太閤や大御所となった者が実権を手放さない例は拙房過去作でも腐るほど触れてきた。「孝」は大切な概念だが、「孝」を受ける方がそれを特権と勘違いしては暴走しかねない要素と云えよう。


退位強要Case2 実権なきが故に
 聖徳太子が定めた十七条憲法の第三条に「詔を受けては慎んでこれに従え」とあり、これを遵守するなら、推古天皇がどんな無茶で理不尽なことを命じても朝臣はそれに逆らえないことになる。しかしながら推古天皇は政務を甥の厩戸皇子(聖徳太子)を摂政として一任し、外叔父でもある蘇我馬子が冠位十二階の例外として権威と権利を掌握し続けた。
 その後、馬子の子・蝦夷と孫・入鹿は、聖徳太子の子・山背大兄王を弑逆しても罰せられない程の力を持ち、乙巳の変でもって無理矢理実権は皇室に奪い返された。
 その後も幼帝を補佐した藤原氏が摂政・関白として、軍事の一責任者に過ぎない筈の平氏・源氏・北条氏・足利氏・徳川氏が政権を握り、一時の例外を除けば七〇〇年に渡って天皇は実権から遠ざかった。
 大政奉還によって政権が朝廷に戻ったが、明治・大正・昭和天皇よりも内閣総理大臣を初めとする政治家によって執政される面の方が大きかった。気性の激しい雄略天皇や、皇太子時代からかなりの権勢を振るった天智天皇を例外とすると独裁者タイプの天皇は極めて稀である。

 結局、権威者としては祭り上げられても、事実上の権力が必ずしも伴わず、時には大臣(おおおみ)、摂政・関白・征夷大将軍・執権の方が実権を独占していたことで、場合によってはその皇位を奪われる事すらあった。勿論表向きは自らの意志による退位だが、三条天皇が藤原道長に退位を強要されたのは誰の目にも明らかだろう。
 本来、臣下である道長が天皇に退位を強要するなど、不敬極まりなく、下手すれば反逆である。勿論三条天皇自身藤原の血を引いており、彼にとって道長は叔父であり、岳父でもあったから話は単純ではない。
また、例え天皇に弓引いたとしても、次に即位した天皇に味方されれば、反逆も反逆ではなくなる。もし、保元の乱崇徳上皇側が勝利していれば、後白河天皇はともかく、藤原忠通、平清盛、源義朝は間違いなくその命を奪われていたことだろう。

 早い話、実権を持つ者の、力による路線変更は何時の時代、如何なる権威に対しても起こり得るという事で、力による勝利を得た者は新帝の下で正義を唱える故に罰せられることもない。「勝てば正義」、「勝てば官軍」という考え方は好きではない。偏に薩摩守が弱い人間である故に(苦笑)。
 だが、勝者が力で世を統べて来たのは歴史の実態である。だが、力は決して永続しないし、力で築いた者はより強い力の前に壊されることになる。本作で採り上げた天皇達に退位を強要した者を薩摩守は悪し様気味に記述しているが、結局彼等による政権が今も続いていれば、悪し様に書くことも無かっただろう。
 力ある者にとって、その力で弱い者を支配するのは手っ取り早いし、都合がいい。薩摩守ももし自分が強い人間なら、「勝ったの者が正義!」とふんぞり返って弱者を虐げるような人間になっていた可能性は極めて高い。

 最高権威者である筈の天皇の地位を、力で左右してきた者の姿を「カッコいい」と思うか、「醜い」と思うかは人それぞれだが、その時は良くても、後から見て後ろ指を指されないと云い切れるか否か?皇位を巡る暗闘以外にも顧みなければならない人は多いと思う。


退位強要Case3 短命連発故に
 冷たい云い方をすれば、天皇がしっかり実権を握り、充分長生きして、崩御に際して皇后・中宮の生んだ第一皇子を血統的にも能力的にも誰もが文句のつけられない皇太子として育てた上で引き継ぐという事が為され続ければ良い。
世の政治は安定し、実権を巡る醜い争いも起きず、歴代天皇の中に無念の退位を強要される者も出て来なかったことだろう。

 勿論そう理想通りに事が運べば誰も苦労は要らない。
 古今東西人間の早世・長命は人智ではどうにもならない問題で、皇后に子が出来なかったり、天皇が早世したりすることで幼帝に皇位が継承されることや、妾腹の皇子を担ぐものが後ろ盾の地位を狙って謀叛に等しい武力行使を行った例は枚挙に暇がない。
 だが、そのことを差っ引いても時に思う。

 「何故に平安時代の天皇に早死にした者が多いんだ?」

 と。
 神武天皇を初め、神話の時代の、実在したかどうか各省の持てない天皇の中には一〇〇歳を超えた者もゴロゴロしているが、さすがにこれは伝説だろう。まして医学が未発達で時に疫病も蔓延した古代・中世、幼児死亡率も高く、天皇に限らず早世した人物は決して少なくない。近代ですら孝明天皇は三五歳、大正天皇は四七歳で崩御している。一人一人の天寿を考察すればキリがないだろう。
 しかしながら、第弐頁の冷泉天皇のところでも触れたが、藤原家全盛期の天皇は還暦を超えた者が極めて稀で、三〇〜四〇代で世を去った者が多く、生前も身体頑健とは云い難かった。

 そりゃ、半ば武士を初めとする軍事に携わる者が白眼視された時代だから、皇族が体を鍛えるということも無かったと思われるが、それでも日々食するものは可能な限り新鮮で栄養価の高いものが厳選されただろうし、病気に罹れば御典医も廷内に常駐していた筈である。
 勿論、当時の医師は現代の保健の先生程の医療能力すら持ち得なかったかも知れないが、条件は皆同じで、物資や人員は最優先で可能な限り集められた筈である。にもかかわらず早世した者が多く、そんな健康状態だから早期に退位する者も多く、冷泉天皇三条天皇の様に病気療養を理由に退位を強要された者も出て来た。

 三流刑事ドラマっぽい考え方をすれば、幼帝の外祖父として権利を握ることを企む藤原家が、早々に退位して欲しい天皇に一服盛る……………なんてことも全くあり得ない話ではないだろうけれど、確たる証拠はないし、天皇の妻や母となった藤原家の娘達がそこまで父に唯々諾々と従ったとも思えない。
 単に短命な天皇が続くことを偶然と考え難く思っているだけである。

 その点、昭和天皇は歴代天皇の最長寿を遂げ、現上皇様も年齢的には昭和天皇を超えた。中世以前は「玉体に傷をつけてはならない。」という考えから、外科手術はおろか、時には灸すら天皇の治療に用いることが憚られたことが却ってその寿命を縮めたケースもあるが、その点、現皇室対する医療は充実している。
 退位を余儀なくされた後も上皇として権威を取り戻した例を見ると、長生きは確かに能力の一つで、いらざる継承争いを未然に阻止する要因と云えよう。


皇室と皇位継承の安定を願って
 薩摩守は決して皇室崇拝論者ではない。「天皇陛下万歳!」の一声の元に侵略戦争が正当化され、それを止める声が「統帥権干犯!」とされ、多くの国民が戦争に従軍させられることを喜んだ振りを強要される世の中が再来しない為にも、皇国史観的なものの考え方には否定的ですらある。まして韓国人からの帰化人である薩摩守が皇室万歳を叫んでも信用しない輩はどうしても存在する。
 一方で、確実に記録の残る時代に限定しても世界にも稀な長い皇統を保った天皇家は、世界に誇れる日本国の象徴として存続し続けて欲しいと思う。天皇という権威があることで世界に残る王室との交流や、権威と権力が上手く分けられたことによる利便性も大きい。
 ただ、皇室行事に使われる経費はすべて税金から出ているから、正しく使われているか?過剰に使われていないか?の問題もあり、難しいし、何より皇族に生まれた方々はロイヤルデューティー故の自由の無さが可哀想に思うときもある。

 当面は「君臨すれども統治せず」の象徴天皇制が無難に続いていくことが好ましいと思われる。上述した様にその天皇制が、皇位継承者がどなたになるか?ということで様々な意見が人口に膾炙している。
 意見が様々あることは良い。たった一つの意見が絶対視され、それ以外の声を出す者が国賊の様に云われる世は怖いものがある。しかし、皮肉にも長き歴史と権威故に、皇室に関する意見を唱える者は自説を絶対視し、それに沿わない意見を物凄く敵視するというケースが世に散見される。

 中でも個人的に眉を顰めたのが平成一〇年代後半から令和初期の皇室を巡る世の意見である。当時皇太子だった今上陛下に男児がなく、皇后様(当時皇太子妃)が御病気がちだったこともあって、ネット上には皇太子殿下を次期天皇に相応しくないとし、皇太子妃殿下を悪し様に罵る声が溢れ返っていた。殊に秋篠宮家に悠仁様が生まれるに及んで、四〇年九ヵ月振りの男子皇族誕生に世が沸いたのは良いとしても、皇統を秋篠宮家にシフトすべしとの声が膨大に書き込まれた。

 ところが、上皇様が御退位を決意あそばし、今上陛下が皇位継承することが確実となると、ネット上の意見は一変した。今上陛下は勿論、あれ程悪し様に罵っていた雅子様を礼賛し、逆に内親王殿下の結婚問題から秋篠宮家を悪し様に罵る書き込みが増えた。
 勿論、男系天皇厳守を叫ぶ保守論客も少なくないから、世の意見は決して通り一辺倒ではないし、ましてネット上の意見が世の実態とは思っていない(世論誘導の書き込みを組織的に行っている輩は絶対に存在する)。
 しかしながら、当時のネット世論における掌の返しっぷりには心底顎を落としたし、誠に失礼ながら、今上陛下に早々に男児が複数人生まれていればこんな阿呆みたいな世論が溢れ返らずに済んだと思われてならない。とはいえ、子が授かるという問題はどうしようもない面がある。世界の王族・皇室にも血統が途絶えたことで滅亡したり、傍系に移ったりした例は枚挙に暇がない。

 人は多かれ少なかれ権利を求め、可能であれば権威も欲しい。同時に権力者・権威者が安定していれば何かと安心なのも事実である(内閣に対する批判が頻出する一方で、国際交流・治安安定の為にも長期政権が望まれるのもまた事実)。
 一般ピープルにとって、皇位や大臣位を巡ってやきもきすることはそんなに縁の近い話ではないだろうけれど、自分の都合の為にとある組織のトップの座を狙ったり、トップの首が変わったりすることを望むことは充分あり得る。それ自体は悪いことでは無いが、その目的為に手段を択ばず、悪しき手段に走るとどうなるか?
 本作における天皇の退位強要に「ひどい………。」と思われることで、トップの首を巡る醜い争いに少しでも歯止めが掛かればこれにすぐる喜びは無い。

令和六(2024)年一〇月二二日 薩摩守




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令和六(2024)年一〇月二一日 最終更新