Vier.「人類発展の貢献者」と「マッド・サイエンティスト」の分かれ目

 最後に考察したいのは、好む・好まないに関わらず悪の組織と関係してしまった博士の在り様である。

 前頁の最後でも少し触れたが、「力」は基本「諸刃の剣」である。それがどんな力であれ。それゆえ、GODの組織力や、目的の為に手段を選ばない在り様と優れた科学力が結びつくと狂い虫RS装置なんてとんでもないものが生まれることになった。
 もし、GODが世界を征服(或いは当初の予定通り日本を壊滅)し、狂い虫RS装置がその能力を発揮していたら、青田博士南原博士は後世にその悪名を残すこととなっていただろう(釈明しようにもその頃には殺されているだろうし)。

 勿論、あらゆる力は善用すれば「人類の進歩」に繋がる。まあ狂い虫なんぞは研究を除けば、悪用しか出来ない気がするが……。だが、GODにいては「力」はまず人を傷付けたり、物を破壊したり、心を殺すことに使われることになるだろう。
 GODの力となった博士には、組織力や研究資金に目が眩んで嬉々として協力したであろう宮本博士川上博士の様な例もあれば、娘の命をたてに意に沿わぬ開発を強いられた南原博士の様な例もあれば、どっちとも云えない例もある。
 これはGODだけの話ではなく、『仮面ライダー』の緑川博士や『仮面ライダーストロンガー』の正木洋一郎博士は明らかに協力を嫌がっていたが、『仮面ライダー(スカイライダー)』のドクター・メデオやドクターXは喜んで協力していたとしか思えない。
 宮本川上・メデオ・X達は自分の所属する組織が悪の組織であることは充分していただろうから、これはもう「研究のために人の道を踏み外した」としか思えない。
 一方で、南原博士や正木博士は、悪に強いられた研究でも、いつか自分の研究が余の為に役立つことを願っていた。

 ここに現実・フィクションを問わず、悪の組織と付き合うことになった博士の在り様の問われるポイントがあるとシルバータイタンは思う。

 正直、自分自身や家族の命をたてに服従を強要された場合、協力は仕方ないことと思う。誰だって死ぬのは怖い。シルバータイタンは死ぬのがめちゃくちゃ怖い人間だから特に思う(苦笑)。
 だが、善の為の力だって悪用できる様に、悪の為の力だって善用は可能だ。「毒は使い様によっては薬にもなる。」といったところだろう。

 ここで結論を云えば、

「常識を失っても、良識を失わないこと。」

 と述べたい。
 科学の発展の為には、既存の考えに捉われない発想が必要となる時もあるだろう。また何かの犠牲によって思わぬ発見や確証が得られることもあるだろう。それゆえ、心ならずも非常識に走ったり、人の道を踏み外したり仕掛けることはあるだろう。
 だが、「常識」を失っても、せめて「良識」があれば、悪への暴走にも歯止めは掛ると思うし、最後の最後には善に戻り、その研究開発は「人類の発展」に貢献するだろう。だが、「良識」を失って、研究の為に手段も倫理も顧みなくなったら、それは科学を利用しているつもりでも科学に利用されている「マッド・サイエンティスト」でしかない。

 本郷猛(藤岡弘)の恩師・緑川博士は心ならずもショッカーに加担し、愛弟子の体を人間ではない身体にしてしまうという大罪を犯した。だが、その愛弟子をすんでのところで脳改造前に救ったことから、自身は殺されても仮面ライダー1号という救世主を世に送り出した。  この例だけですべてを語るのは乱暴かもしれないが、ここに科学万能と人間回顧が微妙な対立を見せた昭和仮面ライダー期の命題があり、それを様々な例を持って最も端的に表してくれたのが、『仮面ライダーX』である、とシルバータイタンは考える。

平成二七(2015)年八月一日 特撮房シルバータイタン





独善論
 ここから先は、この作品を通じて、シルバータイタンが……というよりは菜根道場道場主が抱いた想いである。
 はっきり云って、独善ですし、手前勝手ですし、個人的な想いでもありますので、興味のない人は読む必要はありません(そもそも特撮房自体、読むも読まないも個人の自由ですが(苦笑))。

 本作を制作し、「悪の組織」と「科学者」を考察し、科学者が「人類発展の貢献者」となるか、「マッド・サイエンティスト」となるかを考えていた際に、1つの想いがむくむくと心中にも鎌首をもたげて来ました。

 それは『戦争必要論』・『植民地支配賛美論』への大いなる弾劾の想いでした。

 よく歴史を紐説く際に、「戦争が人類の発展に貢献して来た!」とか、「植民地支配があったから支配された国は発展した!」と叫ぶ人達がいます。
 結果論的にそのような側面が存在したこと自体は認めています
 ナチスや731部隊の人体実験はその後の医学貢献に寄与したでしょうし、冷戦時代の米ソの核開発競争は戦後テクノロジーを大いに発展させましたし、その前後の歴史でも、「敵国に勝とう」、「敵国に負けまい」とした念や試行錯誤から科学、化学、医学、生物学、芸術、文化の発展がしあったことは否定出来ません。
 しかし、その発展があったからと云って、その過程で犠牲になった人のことはそれで良かったのでしょうか?

 想像してみて下さい。
 この文を読んでいる貴方やその家族や大切な友人・知人・恋人が戦争や植民地支配で惨殺されたり、不当な抑圧を受け、命を落とした果てに、それを基に何らかの発展があったとして、「ああ、犠牲になって良かった…。」と思えるか?
 俺は絶対に思えない!!

 百歩譲って、戦争や不当な支配を行った者が、「済まない……人類の発展の為に犠牲になって欲しい…………本当に申し訳ない……」と思いながら、実施した行為の果てに発展があったなら幾ばくかの理解は出来ないでもないですが、それでも世の発展より自分の命の方が大切だし、そんな罪悪感や贖罪の意識を持ちながら侵略戦争や人体実験や植民地支配に臨んだ者等、ついぞ聞いたことはありません

 前述した様に、確かに結果としてその後の人類の発展に大きく寄与した者が生まれたケースは多々あります。医学、化学、宣伝は悪名高いナチスに習った者も少なくないですが、それは「結果論」であり、「副産物的」なものです。

 植民地支配も同様です。
 日本の日韓併合、欧米のアジア・アフリカ諸国への植民地支配は確かにそれらの国々のインフラを整備し、交通網や識字率や平均寿命を向上させました。ですが、それは「植民地に住む国民を想ってやった」というよりは、「新領土・新権益地という自国の利益開発の為にやった」という面の方が遥かに強いものでした。
 朝鮮総督府を置いて、朝鮮半島を支配し、発展させたのは、「アイヌを占領して作った北海道」のために北海道開発庁を置き、「琉球王国を滅ぼして作った沖縄県」のために沖縄開発庁を置いて開発に取り組んだのと全く同じで、100%『自国』のために行ったことでした。
 それゆえ、植民地や保護国にされた人々が、支配中の発展を享受しているからと云って、「支配した国に感謝しろ」というのはとんでもない暴言と云わざるを得ません

 現実、フィクションを問わず、そして善悪を問わず国家や組織にも理想があります。その時代の価値観で「悪」とは夢にも思わず、戦争や暴力的支配に加担し、完遂した後には「新たな善」として存在したこともあるでしょう。
 結果として生じた発展や平和は享受すればいいでしょうけれど、その過程において発生した犠牲を顧みず、独善を叫ぶだけでは、いつの日かより大きな力に潰されたときに「悪」とされることを、侵略者や支配者は知るべきでしょう。
 同じ力がぶつかりえば、手段を選ばない分、「悪」の方が有利です。しかし力も、独善も、支配も、決して長続きはせず、それ以上に正義は不滅だから、最後に正義は勝つと信じて、駄文を締めさせて頂きます。
 御拝読感謝します。

平成二七(2015)年八月一日 菜根道場道場主




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令和三(2021)年六月一〇日 最終更新