最終頁 「讒言者」は何故生まれる?
第壱頁から第拾頁まで様々な讒言を巡る事件を見て、考察してみた。事の真相や動機がどうあれ、実に醜い。二一世紀の世に在って世界中で凶悪犯に対する死刑でさえ「冤罪だったら取り返しがつかない!」と云う言葉が頻繁に叫ばれる。特に死刑廃止論者・死刑反対派が声高に叫ぶが、これは死刑存置論者・死刑賛成派の方こそ細心しなくてはならない問題だと思っている。
それだけ無実の人間が有罪とされるのは恐ろしく、酷い話である。讒言者はそれを意図的に行っているのである!…………と云っておきながら何だが、讒言者が本当に自分を讒言者と自覚しているかは必ずしも断言出来ないから難しい(苦笑)。
誤りを真実と信じて「本当のことを云っている」と心の底から信じて密告に及んでいる者もいよう。また黒幕に騙される形で密告だけを担ったことで、結果的に讒言者となった者もいよう。
勿論本作で採り上げた事件だけが讒言事件ではない。人類史を紐解けば讒言や讒言と疑わしい言動は嫌になる程出て来る。或いは、真実を訴えても、訴えられた側が己の罪や非を認めず、「讒言だ!」と云い張ったケースもごまんとあろう。
結局、残念な話ではあるが、すべての人が正しいこと、真実のみを口にする訳ではない以上、意図的であろうとなかろうと、今後も人類史に「讒言」は刻み続けられるし、それは政治や軍事の世界のみならず、学校・一般企業はおろか、人間が数人集まれば如何なる社会でも発生し得る。
そんな救いのない讒言の横行を少しでも抑制する為に、讒言にどう処するかを考察して本作を締めたい。
最終考察壱 讒言を為す側と受ける側の両方あって
当たり前の話だが、讒言という人の陥れが起こるには、ある者に「罪有り」と訴え出る讒言者と、それを受けて真実と認めて処罰に走る為政者・最高権力者がいて成立する。為政者に酷なことを云えば、為政者が真実を見抜く目と公正公平な裁きを下す能力を持っていれば冤罪事件は起きない。
まあ、勿論これを個人に求めるのは酷と云うより、無理がある。有史以来一切の過ちを犯さない完璧超人は存在しない。まして為政者が讒言を企画した張本人となると標的となった者にはどうすることも出来ない。
端から疎んじる臣下を、罪をでっち上げてでも消そうとする為政者に関してはもう論じても始まらない。ただ、為政者に「冤罪や讒言を許さない。」という公平公正な気持ちがあれば、まだ数を減らすことは出来よう。
そこで薩摩守が個人的に注目するのが、中国史における漢の高祖・劉邦と明の洪武帝・朱元璋(しゅげんしょう)である。二人とも貧賤の身から立身出世を遂げ、皇帝の位に登り詰め、晩年には成り上がり者の独裁者によくある猜疑心の虜となり、多くの建国の功臣達を粛清した。
正直朱元璋に関しては詳しく知らないのだが、劉邦に関しては様々な書籍に目を通し、功臣粛清の陰には数多くの讒言があり、劉邦崩御後も漢朝初期には数多くの讒言が横行した。詳しく書くと膨大な量になるから端折るが、劉邦の義弟・樊噲(はんかい)が讒言され、劉邦がその処刑を命じた時には史書の読み手としてうんざりしたものを感じ、「身内同然で功臣である樊噲を讒言した奴って、誰やねん!?」と憤りに近い疑問を持った。
粛清の有無や疑念の解消等の結果は違えど、最終的に劉邦は旗揚げ前のごろつきに等しかった時代より生死を共にした蕭何(しょうか)や蘆綰(ろわん)にまで猜疑の目を向けた。
劉邦の様なケースは珍しくなく、貧賤の身やいつ死んでもおかしくない状況から天下の覇者に登り詰めた者は、最初は失う者の無い怖さから死を恐れず、度量の広さを発揮するものの、最高権力者になるとそれ等を失う事を恐れて周囲に猜疑の目を向けた例は古今東西程度の違いこそあれど、歴史の通例と云って良いほどである。源頼朝然り、チンギス・ハーン然り、アドルフ・ヒトラー然り、毛沢東然り、ヨシフ・スターリン然り………。
正直、名前を挙げた者の経歴や性格を見ると個人の資質がどうあれ、「疑いの目を向けられたら最期」としか云い様がない。かかる讒言の悲劇を少しでも回避するには、権力者側は権力者側で讒言が相次いだ時には疑問を持つ傾向を持ち、讒言したくなった側は粛清が相次いだ様にそれが慣例化していないかを疑問に思う傾向を持つべきだろう。
少なくとも、主従の双方に讒言によって人が粛清されることを厭う気持ちがあれば、どちらかに歯止めが掛かれば悲劇の質量は軽減されよう。上記の独裁者・成上げり者に猜疑の目を受けられたり、讒訴されたりした者の全員が殺されたり、有罪とされたりした訳ではないのだから。
最終考察弐 ろくでも無い讒言者の末路を知るべし
問題は「他人を蹴落としてでも自分が出世したい。」と考えて喜んで讒言を繰り返す奴で、しかもそれが最高権力者のお気に入りであるケースである。最高権力者本人が讒言の黒幕であるときも同様と云えようか?
中国史の例で挙げると、秦の二世皇帝・胡亥(こがい)とその師で側近を務めた悪宦官・趙高(ちょうこう)との関係が分かり易い。
先帝であった始皇帝は崩御に際して長男・扶蘇(ふそ)を後継者とする遺言状を残したが、それを託された趙高は丞相・李斯(りし)を抱き込み、胡亥を説得して遺言状を改竄して扶蘇を自害に追いやると胡亥を二世皇帝に据えた。
趙高は胡亥が酒と女に溺れる様に仕向け、李斯と共に政権を掌握すると胡亥の兄達や、本来皇帝に就く筈だった扶蘇に親しかった者達を次々と罪を着せて処刑。これに際して胡亥は師であり、自分を皇帝にしてくれた恩人でもある趙高をすっかり信じ切り、讒言に全く疑問を挟まず、次々と処刑要請を認可した。
この時代、血の繋がった兄弟と云えども母親が異なったり、生育環境が全く別の場所だったりで、身内としての認識が現代よりは希薄でもあるので現代と単純比較は出来ないが、趙高の進言する血縁者の処刑要請に唯々諾々と従った胡亥の在り様には顎を落とさざるを得ない。「それだけ趙高を信頼していた。」と云えばそれまでかも知れないが、少しでも胡亥が身内や功臣への讒言に疑問を持っていたら………と思われてならない。
結局、讒言は皇帝即位におけるもう一人の功労者李斯一族に及び、項羽と劉邦に責められて進退窮まった趙高は胡亥を殺害するに至った。
趙高は始皇帝崩御後の悪政や、それに伴う各地における反乱勃発の責任を胡亥に帰してこれを誅殺し、代わりに人望の有った扶蘇の故・子嬰(しえい)を秦王に立てることで内に対しては自らの責任を回避し、外に対しては秦帝国を秦王国に改めたことで周辺国の帝位を奪わんとする敵意を回避せんとした。
だが、始皇帝崩御後から打ち続いた讒言と粛清の連続で既に秦は末期状態にあった。有能な家臣は既に殺されるか敵に降伏するかしており、生き残っていた廷臣達も、手柄を立てたところで最終的には趙高に妬まれて罪を着せて粛清されるだけであることを誰もが悟っていた。
結局、趙高は体調不良を理由に即位式に出席しない子嬰の説得に訪れたところで殺された。胡亥と趙高による讒言と粛清の連発は貴重な人材を次々と失わせしめ、ありとあらゆる国力を低下させ、最後には胡亥も趙高も碌な最期を迎えられなかった。つまりは、秦朝における誰の為にもならない行為だった訳である。
分かり易い例として秦の例を挙げたが、程度の違いこそあれど日本史における事例も決して例外ではない。それは本作にて採り上げて者達にも当てはまる。秦のように国の滅亡まではいかずとも、政敵を何人も讒言で粛清させた結果、讒言者と黒幕は一時的に栄耀栄華を極めたり、主君の寵愛を欲しい儘にしたりした様に見えて、結局組織を弱体化せしめ、頼りとした主君が世を去った後に失脚したり、ろくな死に方をしなかったりしたものも少なくない。長い目で見れば、
天智系の皇族は天武系に取って代わられた。
藤原氏は外戚として累代の天皇と強い血縁を持ちながら、最大権力者としての地位は長続きせず、その前後も常に他氏はおろか身内同士でも醜い争いが絶えなかった。
清和源氏は長年貴族の犬扱いされ、ようやく武士政権をとっても三代で滅び、それを支えた鎌倉武士は仲間同士で殺し合い、それを制した北条氏の治める鎌倉時代はろくに安定しなかった。
讒言を繰り返して権力を握った者は恐れられはしても、決して好かれることはなかったのである。そして最終的に招くのは自身の失脚と組織の弱体化であったのは多くの史実に共通していると云えよう。
そんな醜い争いへの皮肉と諫止を込めて、漫画『新ジャングルの王者ターちゃん♥』第17巻における、主人公ターちゃんの台詞を記したい。
ターちゃん「人間どもはバカだ。仲間同士で殺し合う。勝っても負けても失うのは仲間なのに。」
最終考察参 讒言発覚後に如何にすべきか
少し上述したが、人間の世である以上、未来においても讒言が完全になくなることは考えられない。人を冤罪に陥れてでも自分が出世したい奴は今後も出て来るだろうし、「事実ではないこと」を訴えたことで讒言者になる者の中には本人的には「完全に事実を訴えたまで」と心底信じて注進する者も出て来よう。逆に讒言されるのを恐れて「先手必勝」的に讒言者となる者も出て来よう。
本当に救いのない話だが、最後に讒言やそれによる事件が起きてしまった際、事後にどうあるべきかを述べて、今後の讒言史への歯止めとしたい。
端的に云えば、讒言と明らかになった際に、処罰が讒言によるものであったことを認め、冤罪で処罰された者への謝罪と名誉回復に為政者が率先して努める事であろう。例え、その時の為政者が事件当時者でなかったとしても、だ。
実際、菅原道真の例に顕著だが、中世日本では「罪なくして無念の死を遂げた者は祟る。」という、所謂、怨霊信仰があり、怨霊(とされた者)に対し、生前の無罪を宣告したり、生前の官位以上のものを追贈したりしてその鎮魂に努めた。
怨霊信仰がほぼ滅びている現代人の目から見れば、「死んだ後になってもなあ……。」と云いたくもなるが、為政者は古代ほど自ら(及び先祖)の過失を認めることに極めて消極的である。勿論、無実の者を罰したことが事実となれば当人にとって大きな恥となる。現代でも裁判で再審請求が滅多なことでは認められないのも、司法関係者が自らの過ちを認めることにとんでもなく消極的であるとうちの道場主(及び法倫房リトルボギー)は見ている。
それを中世の人間が認め、謝罪し、現実的ではなくても贖罪行為(祭神に祭り上げる、高位高官位の追贈、フィクションで活躍させる等)に走ったのだから、これは世界史的にも極めて稀有である。
いずれにせよ、無実の人間がいつまでもやってもいない罪過を公式に被せられ、悪名に苦しむ者は被った側にとっても、被せた側にとっても、それを周囲で見ている同時代の人間にとっても決して幸福なことではなく、場合によっては子々孫々まで遺恨を為す。それ故、讒言による処罰は遅かろうと早かろうといつかは真実を明らかにし、名誉回復が成されなくてはならない。同時に時の為政者(及びその後継者)による反省も必要である。そうでなくてはすべての人々がもやもやしたものを抱え、いつかは自分も讒言で罪に陥ることに怯えながら生きなければならないのだから。
勿論世の中には自分(及びその先祖やシンパ)の非を頑として認めない者もいる。
罪のない人間が讒言で犯罪者にされることがあるように、それとは真逆にやっているのに「捏造・でっち上げだ!」、「讒言だ!」と云って、個人や団体や国家の罪や非を決して認めない者に、言葉で「讒言や冤罪で罰した者に謝罪して、名誉回復と償いに努めなさい。」と云っても、馬耳東風どころか逆ギレされかねない。
極右・皇国史観論者・大日本帝国陸海軍崇拝者は南京大虐殺等の旧日本軍による戦争犯罪を一切認めず、戦争はすべて相手国から仕掛けられたものとし、「旧日本軍は何一つ悪いことをしていない。虐殺事件はすべて米英や中韓による捏造。」と云い張る。オウム真理教の後継団体に属する信者達はいまだに「オウムは潔白。事件は警察によるでっち上げ。」と喧伝し、誰かに何かを云われたところで自説を引っ込める気配は微塵もない。実に厄介な者達だが、ここに救いがあるとすれば、「その様な行動が悪事であることを認めている。」ということである。
噛み砕いて云えば、戦争中と云えども非戦闘員相手に略奪暴行虐殺を加えることを「悪行」と見做す故、そう云う行為をしたと認めることで名誉の失墜を恐れるから、「そんなことはしていない。」と云い張り、証拠を持ち出されても「捏造だ!」、「讒言だ!」と云い張るのである。悪事を悪事と思っていなければ、その行為を非難されても「蛙の面に小便」的に堂々と、悪く云えば平々凡々としていることであろう。
そういう意味では、旧軍隊による戦争犯罪でも、オウムによる凶悪犯罪でも、やったことを認めながら、「当時としては合法。」、「同じ事をどこの軍隊もやっていた。」と云い張る保守論客や、「事件は救済だった。」と云い張っていた元死刑囚・新実智光の方が性質が悪いと云える。
まあ、中には真実を知らずして、自分達が悪く云われることを本気で誹謗中傷と捉えているケースもあるだろうけれど、それならそれで、「中傷」と云い張る内容が事実ならそれが悪行であり、その罪に対する精算は行われなくてはならないことを認識して欲しい。
また、(理由はどうあれ)どうしても我が非を認められず、向けられた非難を「讒言」と云い張るのを辞められないなら、その言葉が示す様に讒言がとんでもない行為であることを認識し、それを行わないでもらいたいものである。
己の讒言を隠す為に、相手の云い分を讒言と云い張る者はさすがに処置なしだが、それはそれで保身と誤魔化しの為に、未来永劫誰かを悪く云い続ける苦難の道を歩み続けることになるのを述べて本作を締めたい次第である。
令和六(2024)年三月一一日 戦国房薩摩守
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令和六(2024)年三月一一日 最終更新