独断と偏見1.「裁判なしで!」、「弁護不要!」の暴論

■必須の存在・弁護士
 まず大原則に立つが、弁護士抜きで裁判は決して開廷されない。すべては公正且つ公平な裁判が行われる為である。
 確かに世の中には弁護士を付けることすら勿体なく感じる程の凶悪犯罪もある。そもそも日本の裁判は時間が掛かり過ぎるので、一日一時間一分一秒でも早く死刑に処されて欲しい凶悪犯罪の裁判で、尚且つ被告が真犯人であることに全く疑いの余地がないケースだと、裁判自体が極悪人の悪足掻き・時間稼ぎにしか映らず、裁判や、被告側弁護といった過程を無視して死刑判決が下され、即座に執行されることを望みたくなる。

 だが、衆人環視下での現行犯逮捕でもない限り、被告が無実である可能性は皆無ではないと考えなくてはならない(例え、被告が「間違いなく俺が殺ったんだ!」と主張したとしても、真犯人を庇っていることや、自暴自棄で罪を被っている可能性は0ではない)。
 また、敢えて極論を上げるが、被告人が複数の殺人事件を犯したとして起訴されたとして、罪状的に死刑が免れない場合でも、もしその内一つでも殺っていないなら、それに関しては無罪判決が下されなければならない(残る罪状で死刑が免れないとしても)。
 変な話、被告が十件の殺人を犯しているとすれば、うち一件がそいつの犯行でなくても、「そのまま死刑になればいい。」と考えたくもなるが、かといって真面目な裁判を放棄すれば、その一件の罪を犯した真犯人を見逃すことになる。
 冤罪事件とは、無実の人間が裁かれるという問題だけではなく、真犯人を見逃すことになるという事実も目を逸らしてはならない(勿論比重としては前者の問題の方が大きい)。

 「推定無罪」の原則に全面的な賛同は出来ないが、感情の暴走でまともな弁護が阻害されることがあれば(実際にはないが)、中世の魔女狩りがいつ起きてもおかしくない世の中になりかねない。

 単純比較もどうかと思うが、中世の魔女狩りや宗教裁判においては被告に有利な弁護は一切許されず、凄惨な拷問の果てに必ず有罪になった。当然感情的な根拠なき疑惑や偏見、誹謗中傷の為に多くの無実の人々が虐殺されたことは想像に難くない
 現在世界のキリスト教圏において死刑が廃止されているのも、そんな歴史の汚点に対する反省もあるだろう。それ自体は悪い事ではないが、極端から極端に走っている感が否めんな、個人的に…………。
 いずれにせよ、弁護を認めないという感情の暴走が同じ危険を内包していることを忘れちゃあならねぇな。

 不良刑事三白眼かく語りき
 予備知識も全くない状態で適当なことを書いていきますので、たぶん突っ込みどころは満載だと思いますがよろしく。

 大概何に限ったことでもなく、物事を決める際は明確な目標を定めて、そこに向かって近づけるようにするわけですが、当然その過程で「ああでもない・こうでもない」といった試行錯誤は発生するんだろうな…ということは容易に想像がつく。

 その結果、やはり「死刑」は誤りというのなら、それはそれで尊重すべきかと…(誰も好き好んで死刑なんかにしたくない)。
 但し、「鬼畜のような連中がいない」という場合に限られるが…。



■誰しもが容疑者となる可能性が有ることを忘れるな。
 警察の捜査に誤りがあることも有れば、何者かに嵌められることも有ると云うことだ。
 残念ながら一度掛かった疑惑が完全に拭われるのは不可能に近い。真犯人が捕まっても尚、「本当はやったんじゃないの?」と見られるケースもある。

 例えば、「甲」という容疑者がいて、「乙」という真犯人がいて、事件とは無関係に甲を嫌って偏見の目で見る「丙」がいたとする。
 甲が逮捕され、捜査の過程で無実の人間が裁かれることに良心の呵責を感じた乙が自首して甲の無実が証明されたとしても、単純に甲を嫌う一心と偏見で、「裁判では乙の罪とされたけど、本当は甲がやったんじゃないの?」と思うことは普通にあり得る。

 この例えで納得出来ない人は、刑事ドラマで開始10分以内に自首した者が現れたときに、「真犯人を庇ってんじゃないの?」と疑ったことがないかを思い出して欲しい(笑)
 別にふざけてこんな例えを出しているのではない。実際に刑事ドラマで事件発生直後に自首する者が現れた展開で、そいつが犯人だった例は皆無と云って良い。そしてそれゆえにその展開は半ば「常識」と化し、今後刑事ドラマで同じように初っ端で自首する者が現れたら、多くの者が同じ目で見るだろう。
 それこそ「偏見」なのだ。

 ともあれ、この例えは然して重要ではない。要は、清廉潔白に生き、犯罪に一切手を染めず、「犯罪者」に決してならない人間でも、「容疑者」・「被告」にはなり得ることが分かってい頂ければ充分だ。
 そして疑いが掛かり、「容疑者」となった段階で、人は多くを失う。
 時間、周囲の信頼、社会的地位、場合によっては職も失い、無実が証明されたとしてもそれ等を全く取り戻せないケースも決して稀ではない。
 特に性犯罪だと、無実であっても重大な社会的制裁を受けかねない。それゆえ現実に無実でも「罰金程度で済むなら……。」と示談に応じたり、線路上に降りてまで逃走したりする者まで続出している。

 それゆえ、弁護士は世に欠かせない存在で、無実が証明された人に対してその人を事件以前と同様に受け入れる世間となるには、法曹関係だけでなく、人そのものがもっと偏見を排し、より正しい見識を持たなくてはならないのだが…………。

 まあ、「無罪」が必ずしも、「無実」とは限らないから、世間の偏見をなくすのは難しいのだが‥……。
 いずれにせよ、「裁判抜きで!」、「こんな奴、弁護不要!」と叫ぶ人は、自分が「容疑者」となって、同じ様に叫ばれてもそれを受け入れられるかを考えて欲しい。
 真に批判されるは、「弁護士」でも、「弁護活動」でもなく、

 ・余りに長過ぎる裁判(←時間が経ち過ぎると、真犯人逮捕が不可能となることから、検察も遺族も世間も容疑者を有罪にしないと気が済まなくなる悪しき傾向が生れ易い)
 ・とんでもない内容の弁護(←「独断と偏見3」で触れる)
 ・「無罪」を頑なに受け入れない世間の偏見風潮

 の三点だろう。

 死刑事件ではないので、詳細には触れないが、この問題を詳らかにしている好例が、平成20(2008)年2月1日に起きた大阪市営地下鉄痴漢でっち上げ事件だ。
 某大学生 M・F (当時24歳。実名を出したいところだが、一応刑期を終えているであろうからイニシャル表記に留める)が、交際していた女と共謀して会社員を痴漢にでっち上げ、示談金をせしめようとした事件だ。
 幸い、共謀が稚拙ですぐに会社員の男性の無実は明らかとなり、Mと女は逮捕された。また濡れ衣を着せられかけた会社員も、家族や勤め先で厚い信頼があったことからまだ痛手は軽微で済んだらしい。
 これが、濡れ衣を被せられたのが、周囲にド助平であることを認識されまくっている道場主の馬鹿だったら、果たしてどうなって………ぐげげげげげげげげげげ……(←道場主のリビルト・カナディアン・バックブリーカーを食らっている)。

 ただ、確信犯的にでっち上げを行い、法学部生で法的知識も豊富で、(真偽は不明だが)父親が京都府警のお偉いさんで味方されるとも見られていたMは、「弁護士が来るまで何も話しません。」と居直り、シラを切り通そうとしたらしい。
 結局懲役5年6カ月の有罪(求刑は8年)となり、事件は解決した。警察も会社員の男性に謝罪したと云う。

 ただ、これは無実がしっかり証明され、そもそものでっち上げ者が逮捕されたケースで、そこまで真実が明らかにされず、有罪になったり、罰金の支払いに応じたりしたケースは少なくないだろう。
 一方で、実際にやっていて、服役や罰金を済ませても、「俺はやっていない!」と叫び続けている者がいてもおかしくないし、そもそも捕まらずに犯行を続けている者もいるだろう。

 そうそう、Mの「弁護士が来るまで何も喋りません。」の発言、所謂黙秘権は、Mがでっち上げ野郎だったことが分かっているからムカつくが、それでも公正な裁判や、上記の主張をする以上は認めなければならないのだから、皮肉な話だ。

 それだけ、「万一」や「冤罪」や「不当な取り調べ・量刑」を防ぐ為には弁護士は欠かせないと云うことなのだ。


 不良刑事三白眼かく語りき
 まぁ、だから弁護士に限らず法曹関係者にはクソ難しい試験を課して、高い給料を与えているわけなのだが…。
 「李下に冠を正さず」が基本だが、それにしても限界があるわな。


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令和五(2023)年九月二一日 最終更新