リトルボギーの弁護士論

 オッス!法倫房リトルボギーだ!何?態度が悪い?まあそう固いことを言うな(お約束)。

 菜根道場BBSで散々っぱら主張しているが、俺は死刑存置論者で、人殺しは原則として死刑になるべきだと思っている(←勿論情状酌量による減刑を無視するつもりはない)。
 殺人事件を初めとする数々の凶悪事件における裁判経過を見ていて、刑事裁判全体でも死刑判決どころか、死刑求刑すらも全体としては稀で、被害者が一人だったり、被告の犯罪傾向が軽微だったり、幼児虐待の果ての致死だったりした場合はまず死刑にならないことに憤懣やる方ない想いを抱いている。

 それゆえに凶悪犯罪や、大甘判決に対して、「死刑にしろ!」と叫ぶことも多く、殊に地裁での死刑判決が高裁や最高裁で減刑された際には激昂した例も数え切れない。同時にそんな折、ついつい敵視してしまう存在に弁護士というのがある。

 勿論、弁護士は裁判においてなくてはならない存在である。
 人間は多かれ少なかれ固定概念があり、それが過ぎれば偏見となる。そしてそれは裁判官とて例外ではない。それゆえ検察と弁護の双方が立ち、それぞれに味方した意見陳述が為され、公平公正な裁きが下されねばならず、日本国憲法でも第38条第3項に「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。 と定められている。
 そしてそこまで規定されていながら、冤罪が完全になくなることはないとされている。

 その冤罪から無実の人間を守るのも弁護士(だけじゃなく裁判官や、本来警察にとっても)の大切な仕事である。
 だが、人間弱いもので、俺自身、個々の案件に対して、弁護士を応援することもあれば、唾棄したくなる程の嫌悪感を抱くこともある。

 そこで本作では、極力冷静な観点に立って(←どこまでそう出来るか極めて怪しいが(苦笑))、弁護士というものを法倫房風に考察してみたい。



考察概要
独断と偏見1.「裁判なしで!」、「弁護不要!」の暴論
独断と偏見2.嫌でも「被告に味方しなければならない業務的義務
独断と偏見3.本気で死刑を回避したいなら「暴論はよせ
独断と偏見4.本気の反省を訴えての「減刑を目指せ
独断と偏見5.本当に必要な者のための「再審請求」
独断と偏見6.弁護士会は身内に大甘か?


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令和元(2019)年九月一〇日 最終更新