独断と偏見6.弁護士会は身内に大甘か?

■懲戒請求に意味はあるのか?
 政界でも、警察でも、教育関係でも、一般企業でも、基本的に俺は「自浄作用」というものを信用していない。
 基本、人間とは「身内」に甘いと思っているからだ。警察官が不祥事で捕まっても、名前が出ることが稀なように、政治家が自分と同じ党に所属する政治家の暴言・失言を庇いまくる様に、内部調査の報告書が殆ど黒塗りで「公表」というのもおこがましいケースが多発している様に、いじめで裁判になった加害者の親がほぼほぼ我が子の非を認めない様に…………ふぅ………残念ながら枚挙に暇がないな(苦笑)。
 勿論、俺自身も例外ではない。まあ、身内に甘いのは人間の性(さが)の様なものだから、後は程度の問題となるが、俺が見ている限り、弁護士の世界程身内に大甘なのも珍しい。

 それをクローズアップするキーワードがサブタイトルにつけた「懲戒請求」を巡る動きだ。

 懲戒請求とは、司法警察職員や弁護士、司法書士などに対して懲戒処分を請求する手続きで、弁護士法第58条に規定されている。
 弁護士として、職権を濫用して私腹を肥やしたり、弁護士としての職分に反する行為を行ったりしたものを処罰する弁護士自治の一環で、その意義は重要な物と云える。
 ただ、請求に対する弁護士会内部の動きは外部には不透明で、請求に対して実際に懲戒が行われる割合は2.3%と云われ、地方の弁護士会が懲戒しなかった場合は日本弁護士連合会(日弁連)に異議申し立てを行えるが、再審査に至る割合はたったの、1.2%らしい。

 勿論、請求内容が不当な物だったり、事実に基づかないものであったりした場合は却下されることも有るだろう。実態が分からない以上単純な肯定も否定も出来ない。
 ただ、それでも法曹の素人なりに「ひでぇ‥‥…。」と思わざるを得なかったのが、「独断と偏見3」でも触れた光市母子殺害事件と、宮崎県個室マッサージ店強姦事件における懲戒請求騒動だ。

 特に「懲戒請求」の存在を前者で知った人も多いのではないだろうか?
 平成18(2006)年、光市母子殺害事件の最高裁(一回目)で、弁護側が「ドラえもん」を初めとする世間一般の良識・常識では理解不能な弁護を展開し、それまで認めて、反省を深めていた(と思われる)殺意や強姦の意まで否定し出したことに世の人々は激昂した(勿論、道場主の馬鹿や不良刑事三白眼もだ)。
 そして最高裁が、判決を高裁に差し戻し、差し戻し審が始まった三日後の、平成19(2007)年5月27日に、弁護士でタレントでもあり、政治家にもなった橋下徹氏が「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求を掛けて貰いたい。」と呼び掛けたところ、7558通の懲戒請求が寄せられた。この数は前年度において全弁護士会に寄せられた全請求数の6倍以上という膨大な数だった。

 この懲戒請求騒動における橋下氏の言動には、懲戒請求が内容によっては弁護士から逆に訴えられることもあることに触れていなかったり、自身は請求を行わなかったり、と責任上問題も散見されるが、いずれにせよ、結果としてすべての弁護士会は「弁護士の職責を果たすためで、懲戒事由に当たらない。」とし、対象となった弁護士は誰一人懲戒されなかった。

 云い出しっぺの橋下氏は「7000通も集まったのに、何の意味も無いんだ…。」とこぼして懲戒制度を批判していたが、俺的にも弁護士会が膨大な数を鬱陶しがらず、真摯に請求と向かい合った上で下した判断なのか、極めて疑わしいと思っている(←例の弁護団に対する悪意から来る偏見の可能性は認める)。
 勿論、7000通が、7万通だろうが、70万通だろうが、請求内容が「暴論」であったなら数は問題ではない。だが、弁護内容のみならず、最高裁初公判日を欠席したりするなど、あの弁護団は相当問題があると俺は今でも思っている。
 感情の暴走的に急増した「暴論」に付き合う必要はないし、弁護士会が本当に寄せられた請求書を一つ一つ精査した上で「問題なし」としたのなら、それはそれで仕方ないが、「何故にこれほどの数が集まったのか?」という問題に真剣に向き合ったのだろうか?

 もう一つの宮崎県個室マッサージ店強姦事件を巡る懲戒請求だが、俺的にはこっちの方が光市母子殺害事件の弁護団以上に懲戒に値すると思っている。これも前述したが、被告側のT弁護士が行った示談交渉は完全な脅迫だ。懲戒よりも逮捕・起訴の方が相応しいと思っている。
 勿論、この動きは世人、取り分け強姦被害者の心のケアに取り組む人達の激し過ぎる怒りを買い、活動家の元に2万名分の署名が集まり、懲戒請求が行われた。

 しかし、それに対する宮崎県弁護士会の回答は、「全体として、適切な弁護活動の範囲を逸脱しているとまでは云えず」弁護士としての品位を失うべき非行があったと認めることは出来ない」で、T弁護士に対する懲戒を行わない旨を議決した。
 一応、盗撮の非は認めたらしいが、それでも前述の台詞が出てくるのだから、顎を落とさずにはいられなかった…………。
 当たり前の話だが、示談は成立せず、被告は懲役11年の実刑が確定し、ビデオは没収された。ビデオ没収の時点で、盗撮やそれをちらつかせての示談(というより脅迫)が否定された訳だが、それでも宮崎県弁護士会は自分達の云い分が正しいと思っているのだろうか?


 もう、これは「身内に甘過ぎる。」としか映らんだろう?


 不良刑事三白眼かく語りき
 それこそマスコミの仕事やで。



■自分達の弁護手段を減らしたくないからか?
 光市母子殺害事件宮崎県個室マッサージ店強姦事件における弁護活動の様なとんでもない活動が真っ当な弁護活動と認められるなら、今後同様の事件が起きたとき、被害者や遺族は事件の直接的な被害のみならず、弁護士からのとんでもない言動によって二重に傷つけられることを懸念しなくてはならなくなる。

 弁護士の責務は被告を守る事であって、原告を責めることではない。
 弁護によって、原告の受け入れ難い事実を判決として認めさせたことによって、原告が傷つくのは仕方がない。だが、「勝つ為に手段を選ばず」、「勝てば官軍」的な弁護では勝訴や減刑を勝ち取れたところで、原告側に重大な遺恨をもたらすだろう。
 勿論その遺恨を理由に原告が私刑的な報復に出ることは許されない。報復の結果、犯罪に及んだ原告は被告になり、罰せられるが、原因となった遺恨は別の弁護士によって「情状酌量」の材料とされることになるだろう。

 そんな阿呆みたいな負の連鎖を生まず、被告の勝訴・減刑を胸張って世間に主張出来るものにする為にも、常識・良識に反する弁護活動は厳に慎まれなければならないだろう。
 本来「懲戒」はその為にある筈だ。そしてその為に「手段」が減るのは止むを得ない事だろう。
 だが、とんでもない内容の弁護活動が弁護士仲間によって全く懲戒されないのを見ると、「懲戒を行うことで、弁護手段が減るのを恐れているのか?」との勘繰りや邪推が俺の脳裏に鎌首をもたげてしまう。

 少し話は逸れるが、光市母子殺害事件が数ある少年犯罪や殺人事件の中でも群を抜いた知名度を持っている。それには様々な要因(被害者遺族の積極的な活動、余りにふざけた被告の獄中書簡、被告の糞親父による暴論・愚行の数々、etc)があったが、結果、この事件は少年犯罪の弁護を行う者にとっても、大きく注目する所となった。
 少年犯罪としては極めて稀ながら死刑が求刑された。少年法でも18歳以上は死刑求刑の対象となることが定められているが、事件当時「18歳1ヶ月」だった被告に死刑判決が下されることは、今後の少年犯罪裁判における死刑のハードルが大きく下がることを意味するのは多くの人間の目に明らかだった。
 実際、俺は弁護側とは別の意味で注目した。勿論、死刑のハードルが下がることに期待してだ。この光市母子殺害事件の後に女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きていたら、少なくともリーダーのM・HとサブリーダーのO・Jは死刑になっていたことだろう。

 そしてこれに危機感を覚えたのだろう。
 F被告(当時)の最高裁(一回目)における弁護に、実に21人もの死刑廃止派の弁護士が集まった。勿論Fにそれだけの弁護人を雇える金はなく、21人は手弁当で集まった。
 それだけ、世間の注目度的にもこの事件で死刑になるか、回避されるかは後々の裁判に対する量刑を大きく左右されると見られたのだろう。そして21人はF死刑から救うためだけではなく、後々の少年事件裁判で死刑判決を下りにくくするためにもこの事件の弁護に尽力したのだろう。
 何せ、日本の裁判は良くも悪くも判例尊重主義なのだから(検察にしても、判例上「死刑は無理!」と思ったら、原告の意向も聞かず死刑を求刑しないし、判例上「死刑確定!」と思ったら、原告が「死刑にしないで!」と懇願しても死刑を求刑する)。

 そんな危機感から来る焦りでもあったのか、弁護内容は前述した様にとんでもないものだった。
 俺の親友の一人(死刑廃止論者である)は、21人の弁護士に対して、「最高裁で差し戻された以上、差し戻し審ではより厳罰になるのは決まったも同然なので、無期懲役より厳しい罰―死刑を回避するためには通常と異なる弁護となるのは止むを得ない。」と同情的な目を向けつつ、弁護内容そのものは「阿呆や。」と云っていた。
 勿論、親友は死刑判決に反対だったし、今でも執行されないことを願っている。それゆえ彼は死刑案件に対して弁護側に味方し、検察に否定的な論を述べることが殆どなのだが、死刑判決を回避して欲しいからこそ、彼は怒りで死刑判決を誘発したとしか思えない件の弁護内容に対して「阿呆や。」と云っていたのである。

 どうやら、21人は、死刑判決のハードルを下げまいとして、集い、弁護し、その結果、逆にハードルを下げてしまったようだったな(苦笑)。



 「身内や職責の立場を守りたい。」との想いは否定しないが、本当に守りたいなら世人を納得させることを少しは考えて欲しいものだ。それゆえ、弁護士会における弁護自治は大切だし、懲戒も大切な人事だろう。
 自浄作用を否定しておいてなんだが、真面目な話、光市母子殺害事件の弁護団にしても、宮崎県個室マッサージ店強姦事件T弁護士にしても、懲戒請求は弁護士仲間から出て然るべきだったと思う。

 弁護士は「被告」の味方であって、決して「悪人」の味方ではない。
 しかし、いくら「被告」の味方をする為とはいえ、被害者や裁判官を愚弄しているとしか思えない弁護や、脅迫としか思えない示談交渉を行っていれば、「悪の味方」との誹りが世に急増するのは自明の理で、O・T死刑確定もT・Kの懲役11年(←通常、強姦の量刑は懲役5年程)確定も、弁護士の余りに非良識な活動が招いたとしか思えん

 真に弁護士の品位と社会的地位・名誉、弁護活動の意義を守る為にこそ、とんでもない弁護活動には弁護士仲間こそが、「自分達の首を絞める行為」との危機感をもって、自戒すべきであろう。
 世になくてはならない弁護士と、弁護活動を守る為にも。



 不良刑事三白眼かく語りき
 あ〜あ、弁護士にならんで良かったわぁ
 …お後がよろしいようで。


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令和五(2023)年九月二一日 最終更新