独断と偏見5.本当に必要な者のための「再審請求」

■最後の助命手段・再審請求
 最高裁判所にて死刑判決が下される(または、死刑を不服とする上告が棄却される)と、死刑が確定する。一応、それに対して異議申し立てをすることが出来るが、それで死刑判決が覆った例など見たこともない。
 そんな経緯を経て死刑囚となったものが死刑を免れる為に取り得る最後の手段が「再審請求」である(←執行前の病死や、恩赦で免れるのは自己の意志で行うものではないのでスルーしています)。

 つまりは、死刑に服することを受け入れられず、自らを無罪とする新証拠を以て、裁判のやり直しを請求する行為で、無実にして死刑囚になった者にとっては最後の、且つ重要な命と名誉の回復手段である。
 他にも「恩赦」という免罪はあるが、天皇陛下の即位や皇族の御成婚といった国家的慶事でもなければ行われないことで、ン十年に一回ぐらいしか機会がない上に、凶悪犯罪では対象とされないことが多い。
 加えて、「一度下った裁定を覆す。」ということに対して司法の腰は物凄く重い。三審制をもって、時に十年以上もの時間掛けて確定した判決が申請一つでホイホイやり直されるようなら最高裁の判決は軽々しいものと見做されるだろう。
 実際、「これはどう見ても冤罪だろう………。」、「こんな証拠で死刑を課すなんて‥……。」と思われる案件でも再審請求はなかなか受け入れられない狭き門である(平成31(2019)年9月10日現在、再審請求によりやり直しで死刑が否定されたのは4件)。

 また、被害者遺族にとって、何年も掛かってやっと確定した判決が「間違いでした!」ということはそうそう受け入れられないのが実情・心情である。勿論死刑囚が真犯人でありながら、テメーは死にたくない一心で行っている再審請求なら、これほど「卑怯な悪足掻き」もそうはない。

 俺は死刑存置論者だが、存置論者だからこそ、冤罪問題は廃止論者以上に重視しなくてはならないと考えている。
 そして冤罪で死刑判決が確定された者にとって、再審請求が大切な法的手段であることを無視してはならない。



■乱発・頻発が招く、「卑怯な執行逃れ」との色眼鏡
 一方で、実際にやっていながら自分は死にたくない一心で乱用する奴を見ると、執行の逃れに悪用される卑怯な手段・行為に見えかねない(←まあ、「殺っているけど、死にたくなくて再審請求している。」と正直に言う死刑囚などいるまいがな)。

 そして真偽はどうあれ、再審請求を行っている死刑囚は呆れるほど多い
 前頁も書いたが、被告の罪や罰を少しでも軽くするのが弁護士の責務である以上、弁護士は(少なくとも担当する案件においては)死刑に徹底的に反対することになる。一審で死刑判決が下り、被告が刑に服するつもりでいても弁護士は間違いなく控訴する。
 それに対して被告が控訴を取り下げて死刑が確定した例も有るが、そんな時でも弁護士が再審請求を行って死刑を取り消させようとする例すらある。

 結果、死刑囚の大半が再審請求中となっている。また、万一再審決定となると、無実の者を死刑囚にしているとの可能性が高まる故、死刑執行は停止されることになる。
 そしてこの原則に照らし合わせるなら、再審請求に対して受け入れるか却下するかが審議されている間は死刑の執行は行わないのが筋となる。実際、請求中の死刑執行は見送られ、執行されるにしても却下された後に行われた例が多い。
 だが、これはあくまで「傾向」で、再審請求中の死刑執行が法的に認められていない訳ではない。そして余りにも執行逃れの為の再審請求が多過ぎると見られたゆえか、平成29(2017)年以来、再審請求中の死刑囚に対する執行も行われ出し、オウム事件の死刑囚に対する死刑執行は多くが再審請求中であるのを意に介さない形で行われた。

 これは決して望ましい事ではない。
 再審により無罪になるかも知れない者が、それを受け入れるか否かが判然としていない間に処刑されるのだから、再審制度の無視に等しい。ただ、そうなってしまったのも、「執行逃れ」を目的としているとしか思えない再審請求が多過ぎる故だろう。
 実際、松本智津夫元死刑囚の弁護を行った弁護士は、執行の逃れの為に再審請求を繰り返していることを明言していたし、井上嘉浩元死刑囚の弁護を担当した弁護士は、一回目の再審請求中に死刑が行われたことを、(幾度もの請求の果てに再審が行われた例を挙げて)抗議していたが、死刑確定から八年が経過し、最後の被告だった高橋克也受刑者の刑が確定し、東京拘置所から移送された翌日になって最初の再審請求を行っていた。
 一応、言い分としては「死刑になりたくないからではなく、事実は異なることを明らかにするため。」となっていたが、それ以前にも再審請求は出来た訳で、上記のタイミングは、執行が濃厚となった時点での「如何にも」としか言い様がなかった。

 全部が全部そうでなくても、ここまであからさまな執行逃れや駄目元の再審請求が多くては、本当に冤罪が濃厚な、無実な人間を救う為の再審請求までもが、「どうせ、コイツも執行逃れじゃないのか?」との色眼鏡が生まれるのも無理ない話と映ってしまう。

 そりゃあまあ、弁護士にとっては自分が担当する被告が一番大事だろうから、他の死刑囚を巡る情勢がどうあろうと、死刑囚を救うために再審請求を繰り返すのも無理ないのだろうけれど、乱発・頻発が再審請求と真剣に向い合わせない傾向を生んでいるのを忘れず、少なくとも薄弱過ぎる証拠や、何度も却下された証拠を「新証拠」としての再審請求は慎んで欲しいものである。



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令和三(2021)年二月八日 最終更新