暴言一、盗みも殺しも一緒にするんじゃねぇ!

 少し話が逸れるが、菜根道場の道場訓に「極論に正論無し」というものがある。道場主の馬鹿はどんな聖人君子・貴き教え・善行も称賛一辺倒を慎むし、どんな極悪非道の人非人・悪しき因習・悪行も批難一辺倒をしないように努めている。
 それゆえ、どんなひどい犯罪に対しても「処罰より更生」を云う考え方は拙サイトが嫌う極論に映る。勿論、一口に少年法・更生と云っても、年齢や犯罪内容によってはガキでも死刑は有り得るし、大人だって罪状では懲役にならず執行猶予がついたり、書類送検で済んだりすることもあるから、少年法に対して「全く処罰を考えていない!」と云うつもりはない。それこそ曲論だ(苦笑)。
 だが、それでも私的感情では、「そんなひどい犯罪でも、「まず更生!」か?」と眉を顰めることが度々ある。
 この「暴言」では、あらゆる犯罪を少年法の理念の下、「処罰」を避ける傾向を下記にて批難している。



■殺しても、「更生」??
 ガキに限らず、「更生」を叫ぶのは、罰に対する務め(罰金なり懲役なり)を果たせば、少年院を退院(刑務所なら出所)した者にはその後の一般ピープル=「善良な一市民」としての人生があるからで、出た後のことを考えるなら「更生」は大事だ。
 ただ、忘れてはならないのは、殺人や、一生不具を負わされるような重篤な傷害、一生心を傷つける強姦に見舞われた側は、加害者が何をしたところで被害以前に戻ることは出来ない。
 端的に云えば、「殺されたらそこで終わり」なのである。被害者に未来がないのに、(少年であっても、そうでなくても)加害者の未来だけを見据えた「更生」に対しては、

 「はぁ?!何云ってんの?!人の未来を奪っておいて、テメーの未来だぁ?!寝惚けんな!!!」

 と云いたくなる(と云うか、道場主の馬鹿はしょっちゅう口にしている)。

 そりゃあ、触法少年がそれまでの人生において酷い親から良識も狂う虐待を受けた果てに思い余ってやった行為や、余りに物事を知らなさ過ぎてしでかしたことや、とんでもなく追い込まれての果ての蛮行で、且つ反省を深め、悔悛の情が強く、贖罪の意を色濃く示すようなケースなら、「死刑にしろ!」とまでは云わない。
 ただ、かかるケースであれば、成人であっても情状酌量の余地として考慮されるだろうし、触法少年にその責を求めるのが可哀そうだと云うなら、ひどい境遇を生んだ親を死刑にして欲しい。それも否定するなら、誰が責任を取ると云うんだ?!被害者は全くの泣き寝入りだ!!

 そりゃあ、殺人にだって様々な状況が千差万別なのだから、殺人よりも軽微な窃盗・軽度の傷害・器物損壊ならば触法少年の成長過程に起因する未熟さやあんまりな境遇から、知らずに、重大さを理解せずにやってしまうケースは充分有り得るだろう。そんなことまで「更生よりも処罰を!」などとはいくら俺でも云わない。

 ただ、殺人を含む重大犯罪まで同様に叫ぶのは納得がいかない!
 殺人だって過剰防衛や切羽詰まっての状況におけるものや、とんでもない脅迫から従属的に関わったものならまだしも、面白半分だったり、複数を殺めていたり、身勝手極まりない動機に起因するものに「更生を!」と叫ばれても、「どうしても「更生」を叫ぶにしても、その前にやることがあるだろうが!!」と叫び返すことにある。

 繰り返すが、殺された側(もしくは「殺された」に匹敵する被害を受けた側)に未来は無く、その遺族もそれ以前とは同じ境遇・心情には戻れない………。「更生」の重要性を無視しろとは云わないが、窃盗や器物損壊等と同様には殺人犯の「更生」を軽々しく口にしないで欲しい。
 同時に、「更生」を訴えたり、それを支援したりする方々は、殺人等に対して「更生しました!」と云っても生半可なことでは信用されないのも忘れないで欲しい(それを踏まえた上で、触法少年の贖罪を含む更生に本気で尽力されている方々には敬意を抱くが)。
 俺的には、女子高生コンクリート詰め殺人事件の様な極悪非道な罪を犯した後に構成して人間の心を取り戻したとしたら……………とても、生きてはおれない………。



■大人なら万引きでも実名が曝されるのに?
 犯罪者の裁判で課された刑罰を果たした後の更生が大事なのに大人も子供もない。更生したくても世間から、「前科者」、「少年院・刑務所を出ている。」、「またやるんじゃないか?」との疑念や色眼鏡的視線に心折れる者もいることだろう。
 それゆえ、未熟さゆえに法を犯してしまった少年の更生の為に、少年の身元を類推出来るような情報を報じることを禁じた少年法第61条の理念そのものはよく分かる。


少年法第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のときに犯した罪により控訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。


 そのことを踏まえた上で、少し逆説的な見方をするが、それが大切なのは未成年だけではない。大人だって、刑務所を出た後に周囲の人間に自分の前科が知られているのと、知られていないのとでは生き易さが違うだろうし、更生への意欲の保ち易さも違うだろう。

 となると、敢えて極論を云えば、「更生」を第一に考えるなら大人の犯罪者だって氏名を報じるべきではない。実際、殺人のような重大犯罪だってすべてが報道される訳ではないから、出所後の前科が周囲に知られるか否かには運不運も大きく左右しよう。
 それゆえマスコミの報道姿勢が重要なのだが、可能性だけで云えば大人であれば、不法侵入や軽度の傷害や寸借詐欺でも実名が世に晒される可能性がある。それがガキなら殺人でも実名が伏せられる。
 確かに余りにひどい殺人(例:女子高生コンクリート詰め殺人事件光市母子殺害事件名古屋アベック強盗殺人事件等)であればマスコミの独断(「独善」と云うべきか?)で実名が報道されることがあるが、圧倒的多数は報道されない。
 軽度の犯罪でマスコミに名前が記された成人犯罪者の中には、「何でガキなら殺人でも晒されないのに、俺は下着泥棒で??」との想いを抱いたことのある者も少なくないと思う(全く同情しないが)。

 何でもかんでも名前を晒せとは思わないが、大人でも軽微な犯罪であれば名前を伏せ、ガキでも重度の犯罪であれば周辺社会のことを考えて名前を出すべきで、年齢ですべてを断じるのは(実名報道か否かに限らず)考え物であると訴えたい。



■罪状に対する刑罰の軽重的乖離
 まあ、早い話、罪に対して罰が見合わなさ過ぎているとのことだ。少年法の理念を重んじ、「更生!」を叫ぶ者達は処罰自体に否定的だから、罰の軽重を論じ合っても詮方ないが、18歳未満だと死刑の可能性はなくなることや、かつては15歳未満が刑事罰に問えなかったことを受け入れて尚、「やったことに対する報い」は著しくバランスを欠いていると云わざるを得ない。何よりその不公平さが被害者を成人犯罪以上に苦しめる。

 例えば、成人であれば刑法199条に基づき、殺人に対する罪には下記の罰が課せられる。


刑法第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。


 普通に考えて「死刑」と「懲役5年」は大違いで、そこには極力死刑を避ける為に悪用されているとしか思えない「永山基準」や、情状酌量の余地によって量刑は大きく増減する訳だが、傷害や詐欺でも懲役5年以上食らうケースはごまんとあるから、大人でも「罪と罰が見合ってないぞ!」と思わされるケースは枚挙に暇がない。
 勿論、これは罪に対して罰が甘過ぎるケースだけではなく、厳し過ぎるケースもあり得よう。ただ、これが少年犯罪となると甘くならざるを得ないだろう。俺もそれがガキの未熟さやひどい境遇に因るものならば、ガキが親や境遇を選べないことを加味する必要はあると思っている。まあ、それを考慮に入れて「大甘やんけ!」と云いたくなるケースが大半なののだが………。

 ただ、数々の少年犯罪が起き、余りに被害者が蔑ろにされたり、余りに加害者であるクソガキに対する罰が甘過ぎたりで世論が沸騰したことに多少の変化があったことは認められる。
 令和4(2022)年の法改正により、18歳、19歳にも選挙権が与えられ、大人として遇されるのに伴って、当該年齢の触法少年も罪状によっては実名報道が可能になったのはその最たるものだろう(実際に実名報道するか否かは報道機関の独断に委ねられているのだが)。
 光市母子殺害事件の裁判経過や、犯罪被害者の会の尽力で以前よりは凶悪少年犯罪に対する厳罰化は進んでいる。女子高生コンクリート詰め殺人事件と云う陰惨極まりない事件のリーダーがたったの懲役20年(既に出所)だったのに対し、石巻殺人事件の被告は死刑となった(令和4(2022)年6月13日現在未執行)。
 偏に、光市母子殺害事件の判例が少年事件の死刑判決へのハードルを下げたと云える。そしてそのことを懸念したからこそ、O・T死刑囚(旧姓F)の死刑が濃厚になった途端に死刑廃止派の弁護士が21人も手弁当でO・Tの弁護に駆け付けたのだろう。まあ、荒唐無稽極まりない弁護で逆にOを死刑判決に追いやり、死刑判決へのハードルを下げる方に貢献してくれた訳だが(嘲笑)
 真剣に思うのだが、もし俺が死刑廃止論者だったり、少年法厳罰化反対派だったとしたら、あの弁護団には「何て馬鹿な弁護で何て馬鹿な判例を作ってくれやがったんだ!」と叫んで臍を噛んだことだろう。

 恐らく、女子高生コンクリート詰め殺人事件光市母子殺害事件でのO・Hの死刑確定を受けた後に起きた事件だったら、少なくともリーダーとサブリーダーは死刑を免れなかったことだろう。
 O・Hのケースを受けて、変遷して尚この程度なのだから、これ以前の凶悪少年犯罪における遺族が、罪と罰の酷いアンバランスに苦悶した度合いは想像を絶すると云えるだろう。



次頁へ
前頁(冒頭)へ戻る
法倫房へ戻る

令和四(2021)年六月一四日 最終更新