リトルボギーの少年法論

 オッス!菜根中央署特命捜査課のはぐれ刑事・リトルボギーだ!
 何?態度が悪い?まあそう固いことを言うな(お約束)。
 今回の論題はタイトルにある様、少年法だ。

 日本国の法律に少年法と云うものがある(同様の概念の法律は何処の国にもあるが)。
 その目的は、人として未熟な未成年が触法行為に及んだ際に、処罰するのではなく、保護・更生を重んじたものである。
 これは、基本概念として、少年犯罪が未成年の「未熟さ」に起因したものであるとしていることにある。

 確かに幼少期の家庭を初めとする環境は人格形成に大きく影響し、大人でも人格に問題がある人物は親による教育を初めとする環境に問題があり、それを引きずっているケースは少なくない。
 まして、感受性が強く、喜怒哀楽の激しい未成年となればその影響は大きく、触法少年のみならず、世間から不良とのレッテルを貼られている少年少女の環境には同情すべきものがあることが少なくない(裕福な家庭で経済期・物質的に何不自由なくても、人間関係で心を病んだり、闇を抱えていたりすることは充分あり得る)。
 勿論すべてを環境のせいにするのは適切ではない。環境が悪くても悪の道に走らない者もいれば、健全な環境にあっても悪の道に走る者もいる。

 いずれにせよ、若者の未熟さ、別の云い方をすれば更生可能性を重視し、無闇に罰するのではなく、教育し直すことを重んじて、触法少年は刑務所ではなく少年院に送致され、報道機関において実名を記されることもなく(※令和に入って、18歳以上は凶悪犯罪に限り禁止対象ではなくなった)、悪質として刑務所に送致される場合でもその量刑は同様の罪を犯した成年よりも減刑される傾向にある。

 未成年に限らず、更生を重視する姿勢を批判するつもりはない。
 未成年でなくても、死刑や終身刑でない限り罪人もいつかは娑婆に出て来る。例え処罰が甘かろうと、極悪な人格を保持したままであろうと、娑婆に出てきた以上は然るべき人権が尊重され、今度こそ法と秩序に従った社会人として生きて貰わなければならない。
 また、現行の日本国の少年法に限らず、古今東西、未成年者に対する処罰は成年のそれに比して軽いものとなる傾向が強いのは共通である(それゆえ未成年が成年と同等の権利が認められることは殆ど無い)。

 かように少年法の理念とその存在は大切な物である。
 だが、現行の少年法は触法少年達の更生と未来を重んじてきた一方で、触法少年による犯罪被害者に二重三重の苦しみを与え、同様の罪を犯した大人に課せられる刑罰に比して余りにも大甘であり、残忍極まりない悪に対してその報いが小さ過ぎることをメインに様々な批判・非難を生み、俺自身、少年法なんざ廃止しちまえ!!」と声を荒げてしまうことが時々ある。

 実際、「子供のやったことだから。」の一言に代表される未成年の悪事に対する危機感極少さは、クソガキほど付け上がらせ、少年犯罪の深刻さを過少視させ、より重大な犯罪への芽を野放しにしているように感じられる時がある。
 俺も不良刑事・三白眼も生まれていきなりおっさんになった訳ではなく、少年の頃があった。俺達は二〇歳になる直前に、「明日っから、悪い事したら「少年A」じゃすまなくなるよなぁ(笑)。」と云って、笑っていたが、勿論これはジョークの話で、警察や裁判所の世話になるような身の覚えなど全くなかったから、未成年の頃から「加害者として少年法に安心。」という概念など皆無で、「被害者になった際に、少年法によって泣きを見る。」という想いの方が強かった。
 ついでを言えば、二〇歳になった時に俺が思ったのが、「もう今日から、酒を飲んでも違法じゃないんだ!」と云うものだった(笑)。

 少し具体例を挙げるが、俺が少年法に対して嫌悪感を抱くようになったのは、女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きたときだった。
 当時高校生だった俺は、今以上に法律に対する知識がなく、少年犯罪に対して、

「未成年が重大な罪を犯しても死刑にならず、氏名が公表されず、刑務所ではなく少年院に入れられるが、罰そのものは受ける。」

 と思っていた。
 それゆえ、あんな凄惨な事件(←ネット等でその詳細は簡単に調べられるが、とてもまともな神経で最後まで平然と見られるものではない)を犯した連中があの程度の裁き(最も罰の重かった主犯でさえ懲役20年)で終わったことに顎を落とした。
 正直、「少年法は悪人を守り、被害者の無念を一顧だにしないとんでもない法律。」としか思えなかった。感情論を書くと、犯人である四人の鬼畜に対して、「四匹とも遺族の手による公開処刑で八つ裂きにしてしまえ!」との想いを抱いた。
 勿論、これは暴論である。この意見を以て、「残虐人間」との誹りを受けても文句を言うつもりもない。ただ、この暴論通りの酷刑を課したとしても、それを支持したことで「この残虐人間目!」との誹りを受けたとしても、「四人のやったことに比べれば可愛いぐらいだ。」という感覚は今も変わっていない。

 そんな凄惨な事件から30年以上が経過した。
 その間も少年犯罪は続発し、凶悪なものも後を絶たない………が、大人の犯罪が撲滅出来ていない以上、少年犯罪や少年法だけの問題ではなかろう。
 いずれにせよ現実として陰惨な事件が続いた結果、少年法にも若干の改変が見られ。少年犯罪に接する社会の在り様も変遷した。実際、単純比較では触法少年にとって少年法及びその運用は厳しくなっていっている。
 当然触法少年の擁護・更生・保護を目指す立場・意見の者は「改悪するな!」と叫ぶが、触法少年の処罰・厳罰−時には死刑を求める立場・意見の者は「まだまだ手ぬるい!」と叫ぶ。

 勿論俺は後者だ。改正を経て、少年法の理念や基本姿勢の意義を認めつつも、少年法がある故の怒り、悲しみ、問題と捉えるところは俺の中で殆ど変わっていない。
 本作ではそんな少年法とそれに対する世の動きを検証しつつ、俺の想いを披露することで世の中への問題提起としたい。勿論、俺の言は感情に任せたものであることは認めるので、次頁以降のサブタイトルは敢えて「暴言」と銘打たせてもらった(苦笑)。
暴言一、盗みも殺しも一緒にするんじゃねぇ!
暴言二、時代背景の変遷を考えろや!
暴言三、大甘が犯罪を誘発してる現実を見んかい!
暴言四、被害者置き去りをどないかせい!
暴言五、処罰が甘いから、阿呆な私刑が横行すんじゃい!
暴言六、様々な意味でガキを軽視するな!
暴言七、法の下の平等は?!尊属・卑属との偏見は本当になくなったのか?!
総論 では、どうすればいい?


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令和四(2021)年六月一四日 最終更新