暴言二、時代背景の変遷を考えろや!
現少年法は終戦直後−正確には昭和23(1948)年7月15日に公布された。
大正11(1922)年に制定された旧少年法は18歳未満を少年と定義し、死刑適用限界年齢は16歳以上としていた。但し、戦時中は戦時刑事特別法があり、少年法上の少年であっても裁判上は少年扱いせずに裁くことも可能だった。
昭和23(1947)年、日本を占領統治していたGHQはアメリカ合衆国シカゴの少年犯罪法を参考に少年法の制定を日本政府に命じた。当時は第二次大戦後の混乱期で、食料が不足する中、生きていく為に窃盗や強盗等をする孤児等の少年が激増し、また成人の犯罪に巻き込まれる事案も多かった。
それ故これらの非行少年を保護し、再教育することを重んじ、少年事件の解明や、犯人に刑罰を加えることを目的としなかった。
この考えを否定はしないが、終戦から既に77年が経過している。はっきり云って、少年法に関して云えば、成立時と現状で少年を取り巻く背景が大きく異なっていることを一顧だにしていないと云わざるを得ない。
■終戦直後とは家庭的状況が異なる!
「時の流れと共に正義の概念は変わる。」との考えに俺は否定的なのだが、ある程度の増減・左右はあって然るべきだと思っている。それは時代背景が移り変わることで、罪や罰に対する軽重もまたある程度は変遷すると考えるからである。同時に、犯罪に至る過程の背景的要因も同様だろう。
俺でさえそうなのだから(苦笑)、法や歴史の専門家はもっとそう考えるだろう。
話を分かり易くする為に敢えて極端な一例を挙げると、江戸時代には武士による「斬り捨て御免」があり、「十両盗めば首が飛ぶ。」と云われた。
まあ、「斬り捨て御免」も時代劇に描かれるような単純なものでは無く、滅多に行われなかったし、斬り捨て損ねた際のリスクは(却って武士の名誉を自分の手で汚したとして)大きく、実際に無罪放免となった場合でも「人を殺めたことに変わりはない。」として30日間の謹慎を命じられたと聞く。
そして厳罰派の俺でも人を殺めていない以上、死刑にするべきではないと考えている(勿論、再犯だったり、再起不能な重篤被害を与えたり、といった場合は例外と思っているが)。まして窃盗に対して「首を刎ねろ!」と云う程時代錯誤な人間ではない(←凶悪犯の処刑に釜茹でや火炙りを用いても良い、という時代錯誤は抱えているが)。
ここで話を現行少年法に戻したい。
平成・令和になって多少の修正が加わっているものの、「処罰」より「更生」を重んじると云う少年法の基本理念は終戦直後の成立時より変わっていない。ただ、その当時の触法少年が如何なる存在だったのか?を把握する必要はある。同時にそれが現代にそぐうのかと云う考察も必要だろう。
終戦直後、日本国内はひどい状態にあった。全都道府県、空襲による被害を全く受けなかったところはなく、東京・大阪は焼け野原となり、広島・長崎のおける原子爆弾による惨禍は云うに及ばずである。
当然、上述のした様に、生きる為に犯罪に手を染めたり、姑息な大人の犯罪に巻き込まれて片棒を担がされたりした浮浪児も決して少なくなかった。
「衣食足りて礼節を知る。」と云う言葉があるように、例え人の物を盗んででも飢えをしのがないと明日にも餓死するかも知れない状況の浮浪児に、「人の物を盗んではいけないよ。」と諭しても、「それどころじゃない!」としかならないだろう。
勿論すべてがすべてそうだと云うつもりはないが、終戦直後の日本にはどう生きて良いか分からない、善悪の基準を知る術すら持たない、飢え死にしない為に手段を選んでいられない、いった切羽詰まった状態の少年少女が数多くいたのである。
謂わば、終戦直後の少年法はかかる状況下にあって、善悪を知りようもなく、生きる為に犯罪に手を染めるしかなかった者を触法少年に有り勝ちな背景として成立したのである。
では、高度成長期を経た以降の戦後日本はどうか?
余程特別な状況下を除けば、「法を犯さないと明日にでも飢え死にしかねない………。」という未成年はまずいないだろう。勿論例外はある。とんでもなくネグレクトな親を持ったために本当に未成年が餓死に追いやられるケースは確かに存在する。そうなると家から出ることすら出来ない幼児・乳幼児は餓死を免れないが、小学生以上の自分の意志で家の外に出られるものなら、万引きや窃盗で飢えをしのぐことを考え、それが昂じて強盗を働くケースもあり得るだろう。
だが、そこまで追い込まれた者なら、少年じゃなくったって弁護士は情状酌量を訴える。法が成立した当時と時代背景が変遷しているのにそのままの内容で法を残したり、同様の運用を続けたりするのは少年法に限らずナンセンスと云えよう。
終戦直後の「盗まなければ今日にでも飢え死にするかも………。」という状況の少年少女が食べ物を万引きしたケースなれば、怒りよりも同情が上回る者も多いだろうし、そんな状態で法を犯したのなら、生活環境が整った後ならまず同様の罪を犯さないことが見込まれる。
ところが、諸外国から「飽食日本」と呼ばれるような昨今、別段食うに困っている訳でもないのに、「スリルを求めて」や「親や教師を困らせようと思って」や「単にやってみたかったから」といったふざけた動機で窃盗や強盗に走ったガキに対して、終戦直後の浮浪児と同じ同情が出来るだろうか?
心の広い方なら、「こんな風に考えてしまうのは周囲の環境が悪いに違いない………可哀想に……。」と捉えるかもしれないが、多くの者―取り分け被害者にしてみれば「ふざけんな!!」の一言だろうし、くだらない動機で残虐なことが出来る手合いとなればこの世からの抹殺を願っても全くおかしくない。
それでも「未熟な未成年を罰するより、更生を!」という考えを重んじるなら重んじるで良いが、少年が少年法の成立した時代と同様と考えずに更生の在り方を考えて欲しい。
「食うに困ってやってしまった…。」と「面白そうだからやった!」を同じように裁き、更生へ導くことが本当に可能だと考えているなら、そいつの思考回路は本当におかしい!少なくとも運用の基本となる法そのものが前提を間違っているようで正しい運用が行えるとは俺には思えない。
■ガキどもは以前より遥かに情報を得ている!
終戦直後の日本ならずとも、「盗んででも食わないと今日にも死ぬかも知れない………。」という状況下にあれば、相当追い込まれており、TV・ラジオ・報道・インターネットに触れるのが難しいケースも多いだろう。
それこそ少年法が成立した終戦直後にはTV放映もネットもなかった。犯罪に手を染め、逮捕された際に自分のやったことが犯罪とは知らなかった未成年もそれなりにいただろうし、多少の自覚や罪悪感を持っていても、「そこまでひどいこととは思わなかった………。」と感じていた者も少なくないと思われる。
それと比較して現代はどうだろう?
余程特殊な状況にない限り、義務教育を受けられなかったり、報道を初めとする一切の情報が遮断されていたり、と云ったことは無いだろう。
つまり、触法少年にとって「それが悪いこととは知らなかった………。」というシチュエーションは極めて考えにくい。勿論とんでもない親を持ったことで極端なネグレット状態に置かれ、義務教育すら遮断されたケースは皆無ではないだろうけれど、そういうケースこそ終戦直後同様の少年法の運用で良いと思う(その代わりにそのふざけた親を厳罰に処すべきだ!)。
結果、情報社会にあって、クソガキどもも頭の良し悪しに関係なく昭和時代のクソガキよりは遥かに(自分に都合のいい)情報を入手している。
一例を挙げれば、昭和時代に道場主の馬鹿がいじめに遭った時、担任や生活指導の先生方はいじめっ子を殴ってその再発に歯止めを掛けてくれた。
勿論、これは体罰で、当時でも決して厳密には適法ではなかったが、社会はそれを受け入れていた。だが、現代では教諭達にとって職を失いかねない批判を生む。ふざけたことにいじめを行い、いじめっ子にひどい暴力を振るう奴ほど教師の体罰に対して死ぬほど文句をほざく。まあそういう自分勝手な奴だからいじめの急先鋒に立つのだろうけれど。
実際、道場主をいじめた奴の一人はある先生に、まだインターネットの無かった当時に、「廊下に立たせるのは「授業を受けさせない。」と云う体罰になるんやでぇ。」と自分に都合のいい情報を入手し、それを持ち出して罰を逃れよとしていた。
独り者で子育てをしていないから現代の教育事情はよく知らんが、野比のび太やあさりちゃんの様に「廊下に立ってなさい!」は行われないらしい。
まあ、これは一例であるが、クソガキならずとも誰だって自分に都合のいい情報は持ち出し、都合の悪い情報でそれが世に浸透していなら可能な限り無視する。
当然少年法が、自分達の処罰を目的にした法でないことを多くの未成年が知っている。
少し恥を晒すと、女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きるまで、道場主の馬鹿は少年法の存在は知っていても、その理念は知らず、「死刑は無い。」、「名前が報じられない。」、「大人よりは処罰が甘い」程度の認識しかなく、少年院に対しても「少年専用刑務所」と捉え、処罰されるものだと思っていた。
勿論重大犯罪の場合は家庭裁判所から差し戻されて刑務所に入ることもあるし、18歳以上なら死刑も有り得るが、家庭裁判所から差し戻される様な罪状は大人なら少なくとも懲役10年以上の実刑を食らいかねない凶悪犯罪だ。
それゆえ、女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きた際に、少年法が(少なくとも凶悪少年犯罪者にとって)如何に激甘なものかを知った際には顎を落とした。
まあ、ガキの頃の道場主が無知だったのは間違いないにしても、名古屋アベック強盗殺人事件や神戸連続児童殺害事件や光市母子殺害事件といった世を震撼させた凶悪少年犯罪が起きる度に少年法の実態を知って激甘振りに驚愕する声は度々聴かれた。
そして同時にこの激甘振りはクソガキどもに、「少年法があるから、悪いことをしてもこの程度で済むんだ………。」との、馬鹿な安堵感を与えもした。
勿論、「少年法があるから安心!」と云うのは思い切り誤った認識だ。
少年法による保護の下、実名が晒されなくてもネット上にデジタルタトゥーとなって流布し続ける可能性は高いし、少年院や刑務所に入れば間違いなくその時点で住んでいたコミュニティーには知れ渡るし、中には司法の処罰が激甘なことに納得がいかず私的報復に出る遺族が出てくるかもしれないリスクは生涯ついて回る。
少年法は確かに触法少年の未来を守る方針ではいてくれるが、確実に守ってくれるわけではないし、守られて堪るかとも思う。
ただ、少年法成立時の浮浪児よりは、現代のクソガキの方が遥かに自分に都合のいい情報を(それが本当に正しいのかを吟味もせずに)保持している。
それによって浅薄な考えで軽挙妄動の果てに凶悪犯罪に手を染めているクソガキが生まれていることを立法・司法双方の関係者には忘れないで欲しい。
名古屋アベック強盗殺人事件の主犯は取り調べの場で、「自分は未成年だから死刑になりませんよね!」と嘯き、裁判を舐めた態度を取って一審で死刑判決を下された。
それに驚いたクソガキは慌てて態度を改め、被害者遺族に謝罪し出し、二審で無期懲役となってそれが確定した。
裁判の結果には大いに納得がいかないが、それ以前にクソガキに正しい知識があれば犯罪に手を染めない可能性や、手を染めても歯止めがかかった可能性や、かかるふざけた態度が多少なりとも改められることで遺族の心の傷が少しはマシなものになっていたのではないか?と思うと本当に遣り切れない………。
■「知らずして」・「止むを得ず」やったことと、「処罰されない」・「面白半分」としてやったことを一緒にするな!
殆んど前二項で述べているな(苦笑)。改めて述べると、大雑把な云い方になるが、少年法が成立した終戦直後の触法少年は生きる為に止む無く犯罪に手を染めたり、もっとひどい大人の犯罪者に知らず知らずの内に従属させられていたりで、ひどい時にはそれが罪との教えられていなかったケースも多かった。
それに引き替え、現代では食うに困っている訳でのなく、充分な知識を持ちながら、それを都合よく解釈し、「面白半分」や「やってみたかった」と云うどう逆立ちしても同情も共感も出来ない動機での凶悪少年犯罪が横行している。
勿論、中には現代にあっても終戦直後の触法少年と同じような境遇に置かれていて、「やむなく」、「心ならず」、「知らずして」犯罪に手を染めるケースがないとは云わないが、そういうケースなら少年法の理念を重んじて良いだろう。但し、「被害に遭った者にはそんなこと知ったこっちゃない。」と云うことを認識した上でだが。
ただ、被害に遭った場合でも、再起不能状態にまで及んでいなければ、相手に酌むべき特殊な事情があり、事後に然るべき謝罪や賠償に努めていれば徐々に許すことも出来るかもしれないが、「知った上の犯罪」、「ふざけた動機での犯罪」でその後の反省や贖罪も皆無となれば、軽微な被害でも加害者を「根っからの矯正不能な悪」と見做し続け、到底許すことは出来ないだろう。
少年法擁護者の方々は、心底その理念を重んじたいなら、事前事後の教導こそ重んじ、触法少年にしっかり被害者と向い合せるべきだろう。それを無視して「更生」と云っても丸で説得力は無いからな。
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令和四(2021)年六月一四日 最終更新