総論 では、どうすればいい?

 世の中には様々な意見があり、時に対立する。
 どんな意見・法律・思想にも賛否両論あり、それゆえ犯罪に対する対処にしても必ず反対意見は叫ばれる。
 ただ、世の報道を見ていて、反対意見に対して腹が立つことが多いのだが、多くの者は対案を出さない。「じゃあ、リトルボギー、お前はちゃんと対案を出しているのか?」と云われれば俺自身必ずしも出来ている訳ではないから、そこはエラソーには云えない。
 ただ、本作にて少年犯罪及び少年法に対して様々な意見を出した責任として、現行少年法に対してどうすべきと考えているかを最後に述べてはおきたい。



対案1 厳罰化するなら………
 はっきり云って、数々の改正を経たとはいえ、俺はまだまだ少年法は甘いと思っている。ただ、少年法に限った話ではないが、法と云うものはただただ厳罰化すればいいものでは無いということを法の素人なりに理解はしているつもりだ。

 『論語』で有名な孔子は、苛法と厳罰によって人を縛ろうとすれば人は法の抜け道を探し、恥じることを知らないが、徳によって治めれば恥を知ることで自ら襟を正すと説いている。
 実際、始皇帝によって天下統一を果たした秦は一切の例外を認めない行き過ぎた法治主義で数々の離反を招いて滅亡し、その後を治めた漢も法治を厳格にすればするほど却って人々の順法精神を損なわせるという悪循環を生んだ。

 それゆえ少年法に対してもいたずらに厳しくしろとは云わないが、触法少年を心の底から反省させる意味でも、被害者の無念に応える意味でも、やはり少年法はまだまだ厳罰化が必要と考えている。
 そこで出したい案は、

 「未成年であっても、少年法の適用外とする基準を設ける」

 と云うものだ。
 詰まる所、「未成年が犯した。」との一言ですべてを少年法で対処しようとするから、「こんなひどい事件なのに「少年」と云うだけで………。」と云う無念極まりない声が生まれるのである。

 もう少し具体的に踏み込めば、罪状(重度の傷害や強姦以上の罪)、環境(特に食うに困っていない)、成熟度(義務教育が妨げられておらず、充分な良識を知識として持っている)、を加味し、少年法による教育・指導で更生すれば済む話じゃない。」と判断されれば通常の刑法で裁くと云う風にしろと云う話だ。
 実際、少年法の手に余る程にひどい犯罪があり、大人顔負けの犯罪は大人同様に裁くのでなければ、「未成年」を「特権階級」と勘違いして、犯罪への躊躇をなくすクソガキが出ないと誰が云い切れようか?

 「ガキと云えども、余りに酷ければ大人と同様に裁かれかねない………。」という恐れの余地は必要だろう。



対案2 保護・更生を優先するなら………
 どんなひどい罪を犯した者であっても、「処罰」をせずに、「更生」を重んじると云うなら、

「責任をもって「更生した!」と云い切れるまで絶対少年院を出すな!出した後に再犯が起きれば司法がそれに責任を持て!」

 と俺は云いたい。
 「暴言三」や「暴言五」でも触れたが、犯行時に未成年だったために少年法で裁かざるを得ず、少年院での更生プログラムを受けたにもかかわらず、退院後に凶悪犯罪を再犯し、第二、第三の犠牲者が出てしまった例は存在する。
 勿論、一番悪いのは更生しなかった元クソガキだが、第二、第三の被害者にしてみれば、「最初の事件で死刑か無期懲役にしてくれれば………。」と云う想いはどうしても抱いてしまうし、再犯に対して前科を裁いたり、更生を教導したりした者が責任を取る訳でもない。
 三菱銀行人質事件を起こした梅川昭義は少年院退院時に当時の担当者からサイコパス振りが根深く、とても更生したとは云えず、再犯の可能性が高いことが述べられていた。だが、その不安に対して何の手も打たれず、いたずらに再犯を生んだ………。

 きつい云い方になるが、判決に定められた服役期間が過ぎたら更生していようといまいと退院させてしまうのが問題ではないだろうか?
 模範囚なら満期前に仮出所が認められるなら、服役態度が悪い者は満期どころか刑期延長も図られるべきだろう。勿論早く出たい一心で真面目な振りをするだけで腹の内では再犯や被害者への逆恨み報復を企んでいる者だっているだろうから、裁いた裁判官や更生に尽力した少年院に再犯時の責任を持てと云うのは酷な気もするが、誰も責任を持たないのは問題があるし、責任を持たないのならより万全を期せる更生プログラムを課し、プログラム終了時点で充分な更生が見込めない者は無期限の延長を辞さず、これらを経ても尚、更生せずに凶悪犯罪をしでかした際には容赦のない厳罰を下す…………………ここまでやってようやく、「更生の為に全力を尽くしている。」と云え、それでも残念ながら再犯が起きた際は、純粋に元クソガキだけを責めることが出来よう。
 本来、弁護士も触法少年の更生指導に尽力する教官の方々も世の中になくてはならない立派な職業の方々で、出来得るなら批難対象としたくないのである。


対案3 双方とも必要と云う話……でも今のままじゃ駄目!
 対案1で厳罰優先論と対案2で更生優先論を論じてみたが、双方を論じたのは、現状を鑑みて、どちらもが中途半端で、厳罰化も更生プログラムの厳格化も必要だと俺は考えている。

 現状の18歳未満を決して死刑にしないことを受け入れるとしても、女子高生コンクリート詰め殺人事件神戸連続児童殺害事件の様な極悪非道な事件をしでかしたクソガキはどんな低年齢でも無期懲役にするぐらいの厳しさを認めなければ被害者はただただ相手が低年齢であることに戦慄かなくてはならない。
 そして「更生!」と叫ぶなら、「更生した振り」が上手い者、どうあっても矯正が叶わない者の存在を考慮しても、再犯率を20%以下になるようにしてくれなければ、「頼りになる更生プログラム」とはとても云えない。

 さて、独断(と云うか独善)と偏見で少年犯罪・少年法及びその運用に対して様々な意見を展開した。いつものように批難口調の辛口意見が多くなったが、まだ少年犯罪・少年法に対しては、政治家・識者・論客・マスコミ・文化人・その他多くの人々が問題提起し、他の法律や司法問題よりはまだ改善が重ねられた方だと思っている。
 最後にもう一度述べておくが、成長過程にあり、様々な要因から未熟な状態に置かれた未成年が切羽詰まった状況や極端に良識の育っていない状態で為してしまった犯罪に対して処罰より更生を優先する少年法の理念を俺は決して全面否定したい訳ではない。
 だが、様々な事情を減刑の為には訴えるのに、罪に見合う厳しい罰を与える話になると「未成年」の一言で殺人の様な凶悪犯罪まで更生を優先することに異を唱え、更生を優先した結果多くの被害者遺族が二重三重に苦しんでいる状況を無視するなと訴えたいのである。

 一切の例外を認めない、すべてを一つの条件の下に片付ける、では被害者の憤懣やるかたない感情を逆撫でし続け、そんな被害者の苦しみと向き合わずして真の更生も真の償いも成し得ないことを少年法擁護者にはしっかり見据えて欲しい。
 また、死刑や終身刑でない限り、すべての犯罪者は娑婆に出てくる日が見込める訳で、出てくる以上更生して貰わなければならないことに成年も未成年もないことは少年法擁護派も厳罰派も双方が重視すべきであることを訴えて、本作の筆を置きたい。



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令和四(2021)年六月一四日 最終更新