暴言七、法の下の平等は?!尊属・卑属との偏見は本当になくなったのか?!

 くどいが、少年法は成長し切っていない未成年がその未熟さゆえに犯してしまった罪に対して「処罰」ではなく「更生」を図ることを目的としている。
 未成年を一概に「未熟」と見ることには全頁にも触れたように疑問に思うところもあるのだが、ここではチョット歴史的な動きも見据え、未成年を「未熟」と断じる少年法の在り様と、すべての法の基礎となる日本国憲法との対比を行ってみたい。



■「法の下の平等」とどう向き合うか?
 この文言に忠実に従うなら、そもそも「未成年」と云う単語が法において意味を成さない。
 だが、生まれたばかりの赤ん坊に納税や勤労の義務を課すのはナンセンスだし、老齢で働けなくなった者、疾病により三大義務を果たせない者もいるので、「平等」を重んじつつも、その概念を未成年の在り様とどう重ねるかが難しい。

 身も蓋もない云い方をすれば、「法の下の平等」は努力目標であって、お世辞にも厳格に重んじられているとは云い難い。
 戦前の日本では皇国史観や儒教思想が強く、立憲君主制国家にあって「君主」を重んじる度合いの強い大日本帝国憲法の下、「平等」とは云い難い社会だった。
 士農工商の江戸時代に比べればマシだったかもしれないが、貴族院・華族が存在し、「臣民」として天皇及び帝国への忠誠が絶対とされ、議会の権限や国民の権利は日本国憲法におけるそれよりも大きく制限されていた。

 ただ、これは時代的な流れもある。
 人類の約400万年の歴史を振り返れば、文明社会が築かれ出したのすら数千年前で、人類史全体の1厘に満たない。そこから帝政・王政による秩序が生まれた歴史すら長く見ても約3000年、一般ピープルの権利が声高に叫ばれ出してから300年にも満たない。
 1649年にイギリスで起きたピューリタン革命(清教徒革命)は絶対王政を敷くチャールズ1世を斬首せしめて市民革命の端緒となったが、当時のイギリス人に王制を潰す気は更々なく、続く名誉革命では大人しく退位したチャールズ2世を殺めなかった(イギリス人は血を流さずして達成したことを取って、『「名誉」革命』としている)。
 横道に逸れたが、人類史にあって一般ピープルの自由と権利が重んじられだした歴史は決して長くなく、当然穴も多い。
 ただ、それ以前にも法や秩序が無かった訳ではなく、王権神授説や宗教の教えや民族的思想による倫理観がそれらを支えたため、注目され出した頃の人権には制限も多く、それまでの歴史における法秩序の基盤(文化・宗教・学問・倫理)が大きく影響した。

 つまり、現行の日本国憲法における人権に関する規定もまだまだ人類史的には未熟である可能性は鬼のように高い。それゆえ日本国憲法は「主権在民」・「基本的人権の尊重」を三本柱に加えながら、国務大臣や市町村の首長が持つ権限は大きく、基本的人権にも「公共の福祉に反しない限り」と云う条件が付き、他にも様々な事情で個人の権利に制限が加わることがある。

 「概念に対して法整備が追い付いていないから。」と云えばそれまでだが、追いつく努力は必要だろう。それゆえ「糞甘過ぎる!」としか思えない少年法も一応は多くの人々が望んだ厳罰化を反映し出している。
 18歳以上を成人と同様として選挙を認める一方で、重大犯罪に限ってとはいえ18歳以上の触法少年の名前や写真を報じることが違法でなくなったのもその表れだろう。
 従来の少年法の理念を頑なに重んじる方々の中には一連の改正を「改悪」とし、氏名の報道が可能になったことで「更生が妨げられる!」との声も上げているが、悪名が広まって生き辛くなるのは成年だって同じで、「18歳以上」に限ってとはいえ、権利(選挙権)を重んじるとともに責任(氏名公表による厳罰)を課すのも、「法の下の平等」に近付いていると云えるだろう。

 完全な平等を達成するには気の遠くなるような歳月が必要と思われるが、一歩でも近づく努力はすべての人々に続けて欲しい。


■「尊属」の概念は否定された!では「卑属」は?
 人間が「法の下」に決して平等ではないことを示す概念として、「尊属」と「卑属」という考え方がかつて存在し、現在では削除されたが、かつて刑法の下記の条文があり、殺人事件の裁きに適用されていた。


刑法第200条 自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す。


 つまり、尊属−両親・祖父母と云った系図上本人の上位に位置する者を「尊属」とし、その存続を殺めることは子・孫といった系図上本位の下位に位置する者である「卑属」を殺めるよりも罪深い行為として、尊属殺に対する罰は死刑か無期懲役しかなかった。
 この尊属殺と云う概念はは昭和48(1973)年の最高裁におけるとある(加害者の方が)悲惨な尊属殺事件での判決において「違憲」とされ、被告女性は執行猶予付きの判決となった(※この裁判にかけられた尊属殺人事件はその概要が悲惨過ぎる上、関係者が存命である可能性が高いので詳細は伏せます。知りたい方は「尊属殺重罰規定違憲判決」等をキーワードとして、自身による検索をお願いします。)。

 すべての法律の基となる日本国憲法に違うとされたことで、尊属殺は不当なものとされ、平成7(1995)年の刑法改正時に刑法200条は削除された(←勿論違憲判決後から死文化していたが)。
 これ自体は良かったと思っている。
 世の中には本当にひどい親が残念ながら存在する。実際、虐待の果てに乳幼児を死に至らしめる事件は後を絶っていない。「正当防衛」に親も子もないから、酷い虐待から身を守る為の反撃や、日常的な虐待から思い余っての殺害まで「死刑か無期懲役しかない」は俺だってひどいと思う。

 ただ、尊属殺が否定されたのは良いとして、「卑属」に対する問題はまだ深刻に残っていると俺は思っている。
 尊属に対する殺人が厳罰対象とされていたのは恐らく「孝」を重んじる儒教の影響だろう。目上の身内に敬意を払い、尽くす「孝」の概念は否定しないが、行き過ぎると「目下の者を軽く見る」と云う弊害を生む。「卑属」と云う云い方などその最たるものだろう。
 尊属に対する殺人が厳罰対象とされたと云うことは、卑属に対するそれは厳罰回避対象とされたであろうことは想像に難くない。正直、刑法200条が有効だったのは道場主の馬鹿が生まれる前なので、その時代に卑属に対する殺人に如何なる判例が多かったかを俺は寡聞にして知らない。
 ただ、幼児虐待に対する激甘判決例を見ると、「卑属殺人を軽く見る傾向はまだ残ってんじゃぇのか?」と思われてならない

 幼児虐待………特に母親の彼氏に虐待されて、酷い時には死に至らしめられるひどい犯罪が後を絶たないが、反撃の術をもたない無力な乳幼児を面白半分にいじめ殺してしまう罪など、かつての尊属殺よりひど過ぎる!
 にもかかわらず虐待死による判決はとんでもなく激甘だ!!!
 とある虐待死裁判の判決理由に目を通すと、殺意を否定し、「血の繋がった我が子が死んだことで被告もまた傷つき、それ相応の罰を既に受けている。」という訳の分からない擁護論で大幅に減刑されていた…………………………………………………………………………そりゃあ少年犯罪じゃないが、こんな激甘判決ばかりじゃ幼児虐待がなくなる訳ないわなぁ(嘆息)。

 少しどころから、大幅に少年法の問題から外れたが、未成年を未熟な存在としてその処罰に否定的になるなら、その未熟な未成年が被害者になった犯罪こそ厳罰化を図るべきではないだろうか?
 未成年と云う存在を守るには、未成年が加害者になった場合だけではなく、被害者になった場合も考えなければ片手落ちと考えて、俺は尊属・卑属の問題に触れてみた。

 もし、少年法で未熟な存在である未成年の保護を訴えながら、未成年が為す術なく無残な犠牲になった犯罪の厳罰に反対するのだとしたら……………俺はそいつを「単なる国家権力嫌い」と見做さざるを得ない。
 少年法による未成年の保護を重んじる方々には、そんな未成年が被害者になった際の厳罰に反対しないで欲しい。



■「弱者」と見做した軽い罰はそ奴の為にならず
 結局、未成年を未熟な存在としてその保護を叫ぶにしても、行き過ぎれば未成年を取るに足らない存在と見て、軽く扱うことに繋がりかねないと云うことを俺は云いたい。
 まあ、少年犯罪に対して、厳罰よりも少年法による触法少年の更生に尽力されている方々は、俺の「軽く扱っている」と云う意見に猛反発するだろうけれど、本当に少年の為を想うのなら、例え罰を与えるものでは無いにしても、相当重いものを突き付けなければならない。
 そもそも少年院にぶち込まれるほどの犯罪をやらかしてしまったことが如何に甚大な事柄なのか、心の底から更生した者ならその直視は相当に辛いことになる筈だし、その辛さを知らずして本当の改心が生まれるとは俺には到底信じられない。

 外野から見た結果論だが、少年犯罪で少年院に入ったものの再犯率を見たり、梅川昭美や山地悠紀夫の例を見たりすると、「本当に彼奴等を軽く扱わず、己のやったこととしっかり向き合わせたのか?」と疑ってしまうのが正直なところだ。
 勿論、更生プログラムには成功例だって多いことだろう。「再犯率5割」と述べたが、再犯しなかった5割は軽犯罪すら犯していないのである。

 確かに触法少年は「未熟」な存在かも知れず、その「未熟さ」は「弱さ」でもあるだろう。ただ強さ・弱さには様々な面があり、ただただ「弱者」として腫物を触るように遇して厳しさを欠くのは触法少年の更生を妨げ、決してそ奴等の為にはならないし、新たな犠牲者を生みかねないことを述べておきたい。



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令和四(2021)年六月一四日 最終更新