局面拾弐 戦後各種法令……流出銃の規制を目指して

武装解除後の日本
 第二次世界大戦の敗北により大日本帝国陸軍・海軍は武装解除・解散させられ、新たに公布された日本国憲法にて軍備と軍隊と戦争が否定され、所謂「職業軍人」は(建前上)いなくなった。
 これにより制服警察官が携行する拳銃や、機動隊員、狩猟関係者を除けば武装する者はいなくなった(職務上武装する者とて、職務に無い場合の武器携行は厳しく禁じられている)。

 だが、世の中すべての人間が法令を遵守する訳ではない。違法を承知の上でこれらの武器を所有せんとする者は後を絶たず、殊に終戦直後は敗戦の混乱の中で旧日本軍から盗まれた軍用銃が大量に出回った(海外でも、中国における国共内戦にて中国共産党軍が使用したのは旧日本軍が残した武器だった)。
 当然、行政はこれらの銃器を所持することを禁じ、その摘発・回収に務めた。法による規制を列記すると下記の様になる。


 昭和二一(1946)年六月一五日 銃砲等所持禁止令施行

 昭和二五(1950)年一一月三〇日 銃砲刀剣類等所持取締法施行

 昭和四〇(1965)年 銃砲刀剣類等所持取締法銃砲刀剣類所持等取締法に改正


 これらの経緯を経て、戦前からの軍用銃を回収しつつ、民間人が銃を持つことへの禁忌は社会的にも価値観的にも浸透した。
 殊に昭和四七(1972)年二月に起きた連合赤軍によるあさま山荘事件までは政治の在り様を巡って過激派によるテロや学生運動に伴うデモ・暴動・警官隊との衝突も珍しくなかった。あさま山荘事件でも解決直後には彼等の思想に共鳴していた人々の中には五人で機動隊に頑強に抵抗したことを称賛する声もあったが、事前に同志達を多数殺害していたことが発覚(山岳ベース事件)したことで武器を持っての紛争はますます白眼視されることとなった。

 昭和末期以後、日本で合法的に銃器を所持するのは警察関係者、自衛隊関係者、狩猟関係者、その他特別な許可を得た者に限定されることとなった。
 違法に所持する者となると、上記の職以外の者及び、法の定める許可を得た者以外となるが、よくあるケースを挙げれば「や」の付く自営業や、悪しき趣味や好奇心が昂じて違法に海外から入手した者等が該当する。

個人の武装について
 上記では主に戦後の銃規制に関連する経過に言及した。だが勿論銃だけが武装ではない。銃砲刀剣等取締法ではその名前の通り刀剣類も規制されているから過去の武士の様に帯刀・佩剣することを認められている者は銃携行者以上に存在し得ないが、工作や工事や調理や農作業を目的とした刃物・工具・農具も使い様では立派な殺傷能力を持ち、自衛にせよ、悪事にせよこれを武器とした例は枚挙に暇がない。
 それどころかある程度の重量のある資材や置物も充分鈍器の代わりになる。こうなると凶器になり得る物を法で規制しようにもキリがなく、とことん規制すれば何も持てなくなるし、悪事を目的に暴力を働く者はそもそも規制を守らないだろうし、素手で暴れることもあり得る。

 こうなると最終的にはモラルの問題となる。
 平成の一時期、某ドラマの影響で少年達の間にバタフライナイフを所持することが流行した。多くは俳優への憧れや、自己を強く見せる為の見栄によるものだったが、中にはこれを犯罪に用いる者も現れ、栃木県では女教師が中学生に刺殺された。
 当時、凄惨な少年犯罪が続発したこともあって流行や憧憬は嫌悪や懸念に転じた。

 勿論調理用の包丁や建築作業用の大工道具を殺傷や器物損壊に用いる者がいる一方で、人畜の殺傷に用いる銃砲刀剣を正しく使い、生業や治安維持に役立てる者も多い。実際、警察官の殆んどは一度も(訓練を除いて)発砲することなく定年を迎えると云う。

 残念ながら正当防衛や犯罪者を鎮圧する為に武器を用いざるを得ない時は存在する。官民問わず完全な非武装が成立するには人類がかなり精神的に進化するまで不可能な話だろう。
 だが、つらつら思う。
 武装が当たり前の時代が千何百年あったことに対し、日常的に銃や刀を帯びることが忌避される歴史は百年にも満たないことを鑑みれば、如何に武装せずに済むかを考察出来る現在はまだ遠い恒久平和の世への一歩をようやく踏み出そうとしているのかも知れない。
 この考察が正しくとも、間違っていたとしても、現代は重要な時代である、と。


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令和二(2020)年一〇月三〇日 最終更新