局面玖 廃刀令……事実上の士族廃止

出来事廃刀令
内容帯刀の禁止
年代明治九(1876)年三月二八日
キーパーソン山縣有朋
影響士族身分の崩壊
前史 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が大政奉還を行ったことで、源頼朝以来七〇〇年に渡った武士の世は終わりを告げた。
 といっても、旧勢力である武士と、新勢力である朝廷とのその後の関係は単純ではなかった。

 長く政治から離れていた朝廷がいきなり辣腕を振るえるわけもなく、倒幕に尽力した薩長土肥と云った雄藩は勿論、将軍家からして新政府にて如何に大権を掴むか?或いは、既得権益を失うまいか?で様々な暗闘や駆け引きが繰り広げられた。
 大政奉還を受けたとはいえ、朝廷や公家に自前の武力がある筈もなく、薩摩・長州を中心とする雄藩の力を必要とし、同時に旧幕府勢力が武力を盾に新政府内や地方に有力な存在として居座るのを阻止する必要があった。
 結果、薩長藩閥は新政府の中核として自分達以外の武士の力を殺ぐことに走った。

 王政復古の大号令によって征夷大将軍は廃止され、明治二(1869)年にはすべての藩に版籍奉還をさせ、二年後の明治四(1871)年には廃藩置県によって大名から知藩事となって各地に居座っていた元藩主達に家族の身分を与えて東京に住まわせて知事と入れ替わらせた。
 これにより国庫から手当てを与えられて生活を保障された家族はいいとしても、問題は新たに士族となった武士達にあった。

 新政府の方針で薩摩・長州・土佐の元藩士達で国軍が編成され、そこに入れなかった他藩の武士達は失業軍人となってしまい、新たな職を求めて不慣れな生業に従事することとなり、「不平士族」、「士族の商法」と云った歴史用語が生まれた。
 これらの政策が次々と打ち出されたのも、国民に旧勢力の権威を忘れしめさせ、新たな権威に馴染ませる為で、その為に武士の権威や立場を次々と消していくことだった。



武装解除 武士に武士であることを捨てさせるのに手っ取り早いのは武士のシンボルである「帯刀」・「二本差し」を禁じることにあった。
 江戸時代には「名字帯刀」が一種の特権や権威であった様に、大小二本の刀を差して闊歩することが武士のステータスでもあった(逆に世に称賛される功を成した者は武士でなくても「名字帯刀」を許されたことがあった)。

 勿論、武士を冷遇したからといって国の軍備が軽んじられた訳ではない。むしろ欧米列強に追い付き追い越せとばかりに軍備は拡充されたと云って良い。ただ、旧特権階級である武士に委ねられなくなったのみである。
 明治新政府は国軍を創設し、それ以外の武装を禁じつつ、武士のステータスを奪うべく、明治九(1876)年三月二八日に廃刀令が発布された。

 少し話が逸れるが、ここで武士が何故に日常的に「大小」を携行していたかについて触れておきたい。

 要は戦場での戦法が形骸化したものである。
 大河ドラマなどでは猛将・豪傑が太刀を振るって群がる雑兵を次々切り倒すシーンが展開されるが、甲冑を纏った敵兵を一頭の元に切り倒すのは一文字流斬岩剣(©『魁!!男塾』)でも体得していないと不可能である。

 実際、一騎打ちが主流だった鎌倉時代以前、武士は太刀で撃ち合って相手を組み伏せた側が小刀でもって鎧の継ぎ目や露出させた急所を刺すことで勝利と首級をものとした(余談だが、組打ちの為の武術が相撲の元祖である)。
 それゆえ戦場で武士は組打ち用の太刀と、とどめ用の小刀の二本を装備し、それが武士のシンボルとなった。

 ちなみに西洋でもプレートメール(板金鎧)やチェインメイル(鎖鎧)はグレートソード(大剣)でも斬れる訳ではなく、純粋な切れ味では、西洋の剣は日本刀に及ばず、「叩き切る」というイメージの武器だった。
 それゆえ、重みで相手を骨折させ、倒した相手の鎧をめくり上げて小剣などで相手の命を奪った。
 結局、鎧を着こんだ相手を一撃で倒すにはメイスの様な鈍器や、軍馬の突進力を利したランスチャージ(馬上槍突撃)に委ねられた。

 これにより、既に士族という新しい身分は与えられても本来の職務であった軍務からも阻害された武士は日常のスタイルも否定され、身分やステータスとしての「サムライ」は消滅し、旧勢力の武装は解除されるに至った。



後世への影響 単純に云えば日常的な武装が忌避される傾向を産んだと云えよう。
 廃刀令によって身分や職務はおろか、武士が武士らしく振る舞う日常スタイルまでも禁じられたことには当然士族は反発した。
 江藤新平や西郷隆盛の様に一時は倒幕に尽力し、新政府内で重きを成した者の中にも旧勢力対する余りの冷遇に嫌気が指して(それだけが理由ではないだろうけど)下野した後に士族反乱に身を投じた旧士族は数多く存在した。

 だが佐賀の乱を起こした江藤新平は敗れて晒し首となり(お勧めしないが、江藤の曝し首写真はネット上で閲覧可能)、廃刀令の翌年である明治一〇(1877)年に西郷隆盛が西南戦争に敗れたことで、
 不平士族の反乱はすべて鎮圧された。
 これにより、武士の世は完全に終わりを告げ、日常時や非番時にまで武器を携行する職業は日本から消滅した

 令和を迎えた現在、非番時にまで日常的に武器を携帯する職種は無い。
 自衛官も警察官も業務外では銃器を携行せず、私服刑事や麻薬取締官などは危険が懸念される現場に行くとき以外は業務中でも銃を持たない。
 云わば、廃刀令は非番時にまで武装する職種を否定し、現在に至っていると云える。



キーパーソン概略
 特になし。


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令和三(2021)年五月一二日 最終更新