最終頁 不幸な歴史を繰り返さない為に

考察壱 日露・日ソ間の不幸に泣くのは日本人・ロシア人のみにあらず
 江戸時代から昭和時代まで、日露・日ソ間に起きた不幸な出来事一九例検証した。約二〇〇年チョットの歴史によくまあここまでろくでもない事件が連続したものである。
 勿論、二〇〇年の中には両国間に正式な国交のなかった時もあるし、交戦中だった時もあるし、充分な検証が困難なことを踏まえた結果、平成以降の出来事には触れていない。

 となると、日露・日ソ間の不幸な歴史の続発は必ずしも定期的なものではなく、日本日本で江戸幕府→大日本帝国日本国と国家体制が変わり、ロシアロシアロシア帝国ソビエト連邦ロシア共和国と国家体制が変わり、双国の在り様によって不幸な事件が連発した時期もあれば、殆ど関わり合わなかった時期もあった。
 いずれにしても単純ではない。

 一口に「不幸な歴史」と云っても、
 どちらに非があるか?………日本に非が有ることもあれば、ロシアソ連に非があることもあれば、双方ともに非があったケースもある。
 責任の所在は?………個人の悪行もあれば、国家的な悪行もある。
 解決しているのか?………令和の世には無関係な事件もあれば、今尚両国の交流の足枷となっている問題もある。

 ただ、誤解しないで頂きたいのは、本作は事件の犯人探しをしているのでもなければ、何者が(国家・組織・個人)を論おうと云う訳でもない。不幸な歴史を繰り返さない為に何が原因で何が今後に必要なのかを考察し、重んじたいのが主題である。
 勿論、様々な利害や国家の威信が絡み、ロングヘアー・フルシチョフごときに解決案が出せれば日露の政治家は苦労しない。日露に限らず国家間に利害が絡めばトラブルが起きないことなどあり得ない(トラブルが起きないとすれば、余程接点が無いか、利害関係が皆無かである)。

 最も注目して欲しいのは、結局のところ国家間のトラブルで割を食うのは力なき一般ピープルで、同時に二国間トラブルが他の国・他の民族を巻き込むことも稀ではないという事である。
 そもそも大日本帝国ロシア帝国が領土・領海・勢力範囲を巡って衝突を繰り返したのも、双方が国外に勢力を伸ばさんとしたためである。早い話、双方とも他国を侵略したからである
 昨今、第二次世界大戦敗北による劣等感を排し、国際社会における自国の優位を確立したいが為に大日本帝国が国外に為した非をことごとく否定したがる者が少なくなく、かかる思考に取り憑かれた者達は大日本帝国が侵略国家であったことを血眼になって否定している。同時にロシア共和国にも自国への誇りやアメリカ合衆国とためを張って社会主義諸国の筆頭に立った時代への郷愁からソビエト連邦の為した侵略・悪行を否定するロシア人もまた少なくない。
 だが、ある程度の能力を持った近代国家で他国を侵略したり、他国を滅ぼしたりした事のない国などほぼ無い。日本は琉球王国を滅ぼしているし、アメリカはハワイ王国を、ロシアソビエト連邦を構成する過程でバルト三国や中央アジアの国々を制圧し、中国が満州・ウイグル・チベットにやっていることを見れば言わずもがなである。韓国・北朝鮮だって古代には耽羅国(現・済州島)を滅ぼしている。

 云い出せばキリがないから日露間に話を戻すが、日露が衝突したのは日本は江戸時代より蝦夷・千島列島・樺太に勢力範囲を広げ、ロシアはシベリア・カムチャッカ半島・サハリンに勢力を広げた結果、双方は千島列島・樺太を巡って時に衝突し、時に対立し、時に妥協した。そして両国が力を持つに及ぶと勢力圏を巡る対立は朝鮮半島・満州に及んだ。
 そしてそれによって日露両国は土着の民を巻き込んだ。北海道・千島列島・樺太南部・カムチャッカ半島にはアイヌ人が、樺太中部にはニブフ族が、樺太北部にはウィルタ族が先住していたが、日露間の勢力争いに巻き込まれ、争いに勝利した側に取り込まれ、これらの民族は族滅の危機に瀕している(「純粋なアイヌ人などもういない。」とほざいた某国会議員は、その台詞が「日本人アイヌ人を滅ぼしました。」と宣言しているのも同然なことに気付いているのだろうか?)。
 更に日清戦争以降、第二次世界大戦終結に至るまで日露・日ソ両国が争いの場としたのは両国国土以上に満蒙・朝鮮半島・中国といった第三国で、これらの国々は様々な悪影響を受けた。

 日露・日ソ両国が周辺国に為した害を認めたくない方々は、米ソ対立で日本がどれ程苦汁を舐めたか歴史があるかを振り返って欲しい。「無い!」と云い張るなら貴方はアメリカ様の奴隷に違いない

 個人と個人の関係でさえ、完全な友好を確立し、相互間に何のトラブルも起こさないのは不可能に近い。それが国家間となると不可能と云い切って云い(良いことではないが)。それゆえ何か事件が起きる度に躍起になって相手国を詰ったり、敵対的な態度を取ったりしても全くのナンセンスである。
 勿論、完全な正論が我にありと信じ、それが全世界に堂々と主張し得る者ならそれは主張すればいい。だが国家の面子や利害に固執して認めるべきを認めず、引くべきを轢けず、折れるべきをおれず、害を通すだけでは結局国家が如何なる理を勝ち取ろうと禍根を残し、その煽りを食うのは両国の一般ピープルで、巻き込まれる周辺国の一般ピープルで、引き摺られるのは何の日もない筈の未来の両国民なのである。

 過去に両国間に起きた不幸は消しようがないし、その解決は両国民がより賢明となることで時間を掛けて解決を図るしかないが、本作で採り上げた数々の事件において、両国に如何なる非が有ろうと、未来の両国民に同じ苦しみを味わわせていい理由には決してなり得ないのである。



考察弐 国家と国民を同一視するべからず
 朝鮮民主主義人民共和国という国家がある(日本政府は国家承認していないが)。この国は過去に日韓を初め、多くの外国人を自国に拉致し、その日本政府に対して拉致を認め、五人の被害者を帰国させたものの、それをもって「解決済み。」と云い張り、拉致問題以外にもミサイル発射や核実験を繰り返し、日本に対して敵対的としか云いようのない言動を繰り返している。
 そんな北朝鮮を好きか?と問われ、「はい、好きです。」と答える日本人は皆無に等しいと思われる。中には朝鮮籍からの帰化人や、朝鮮人の配偶者を持っていることで北朝鮮に好意的な人もいるかも知れないが、国家としての北朝鮮の在り様に日本国の立場で好意的になれる要素を見いだせる者なら見出してみやがれと云いたい。

 では、北朝鮮を「反日的なろくでもない国家」と認定するなら、北朝鮮の人民もまた同様なのだろうか?悲しい話だが、そう見る人は少なくないだろう。だが、ロングヘアー・フルシチョフはこの国家と国民を同一視する姿勢には反対する。
 確かに首領に対する敬意や忠誠心を明示しないと命の危機すらある北朝鮮の人民は日本及び日本人に対して敵対的な姿勢を示さない訳にはいかないだろうし、実際に過去の歴史から本気で敵視している人も少なくない事だろう。
 しかしながら、自由な意見を述べられず、閉鎖的な社会に閉じ込められているに等しい北朝鮮の人民一人一人が必ず日本に敵対的とどうして云い切れようか?

 日本人サイドでも同様である。
 正直、拉致被害者の家族に「北朝鮮を好きなれ。」と云うのは無茶な話で、ある国の人間に酷い目に遭わされればその国に関するすべてを敵視しかねないのは自然な話である。だが日本人の全員が朝鮮人と接点や利害関係を持っている訳ではなく、北朝鮮政府のやることに憤りを感じたとしても、政治にも軍事にも関係なく日々の生活にいっぱいいっぱいの北朝鮮一般ピープルを憎む理由としては薄弱であろう。

 ここで話を日露の交流史に戻すが、確かに日露・日ソ間にも不幸な歴史は相次いだ。
 殊に対日参戦真岡郵便電信局事件等では令和の世にも生存する被害者遺族の中にソ連ロシアを敵視する人がいてもおかしくないし、悲しい記憶からロシア人に対して好意的になれなくても無理はない。
 だが逆の立場に立てば、もし大津事件関東軍特種演習演から日本を嫌うロシア人から、「お前はヤポンスキー(日本人)だからろくでもない奴に決まっている!」と面罵されたらどんな気分になるか想像して欲しい。

 極めて個人的な立場で物申す。
 在日韓国人からの帰化人である道場主ではあるが、北朝鮮の日本人拉致は過去の日韓併合を持ち出しても正当化出来ないし、日韓基本協約で過去の遺恨を互いに捨てるとした筈の韓国がいまだに日本に対して謝罪・賠償を求め続けていることには思い切り眉を顰めている(←いくら恨みが消せないからと云って、国家間における約束を履行しなければ国際的な信用を勧告は大きく失いかねないことを日韓双方の関係者は何故指摘しないのだろうか?)。
 だが、日韓・日朝間に如何に不幸な歴史があろうと、俺は二つの朝鮮を責めないし、日本人として謝罪もしない(自国の非を頑として認めん奴は非難するがな)。だって、俺個人は何も悪いことしてないし、何の被害も被っていないから(笑)
 別の云い方をすれば、ロシア・韓国・北朝鮮に限らず、国家間に如何に悲しい事件があっても、過去の人間がやったことに対して俺に謝罪や賠償を求められても応じる義務も義理もないし、何の害も被っていない俺が謝罪や賠償を求めるのも変な話なのだ。

 勿論、各事件によって直接の被害を被った者が事件の下手人や責任者を怨み、憎み、謝罪や賠償を求めるのは全く自然な話である。
 実際、目を覆いたくなる様な陰惨な事件に対してその責任者には「死ね!」と云いたくなる(実際には令和の世には生きていないが)し、旧ソ連時代に同連邦が日本に為した害の責任は同国の権力体制からもヨシフ・スターリンしか考えられず、彼奴の悪行・自国民及び他国民への仕打ち・猜疑心は最大限の非難を抱かざるを得ず、スターリンは近現代史においてロングヘアー・フルシチョフが最も憎む人物である。
 スターリンに限らず、個々の事件に対する責任者はその悪行と責任の大きさに応じて然るべき非難・批判を浴びるべきだが、個人に帰する度合いが多きれば大きいほど一般ピープルまで一緒に批判するのは的外れとなろう。

 確かに国家と国民を別個に見るのは難しい。
 道場主自身、少年の頃はソビエト連邦という国家を危険視することでロシア人に対して(直接の知り合いどころか、ロシア人に接したことすらなかったのだが)御世辞にも好意的とは云えなかった。  また世界各国の独裁者が自国民に対して日本及び日本人を敵視する主張を繰り返しているとすれば、その国の一般ピープルを好意的に見れるかどうか自信はない。
 そもそもある国や自治体が気に入らないからと云って、出身者を白眼視するのは差別に他ならない。
 難しい問題ではあると思うが、自分からでも国家と国民を一緒くたにして見ないように努めたい。個人をもって同じ国の人間を同様に見るのは絶対に間違っているし、誰だって自分がそんな見られ方をしたら嫌な筈である。



考察参 日露間に「求同存異」を
 道場主が尊敬する歴史上の人物の一人に中華人民共和国成立時に同国のナンバー2として首相を務めた周恩来という人物がいる。
 本作は日露交流史が主題なので、道場主が何故に周恩来様を、どういったところを尊敬しているかついては割愛するが、周総理が度々提唱した「求同存異」という言葉を紹介し、これを日露間の交流にも求めたい。

 「求同存異」を書き下すと、「じなるものをめて、なる者がする」ということである。大意は互いが価値観や友好にじものをめ、意見をにする者同士も共に在する、という事である。
 周総理はアジア・アフリカ会議の場においてこの言を提唱して欧米の植民地支配ぁら独立して間もないAA諸国が力を合わせる体制の礎を築いた。また日中平和友好条約締結においても尖閣諸島問題や台湾問題からなかなか交渉がまとまらなかった際にもこの言葉を持ち出し、

 「我々の子孫はきっと我々よりも賢明となり、両国が納得する結論を道出すであろうから、これらの問題は未来に託そう。」

 として、良い意味での先送りを行うことで平和条約の締結を為した(調印文書を交わした際の周総理の握手はとても力強いものであることが影像にて確認出来る)。
 同時に周総理は「(日中)両国の三〇〇〇年の友好の歴史に比べれば数十年の不幸な歴史など問題ではない。」、「先の戦争では日本人も苦しんだのです。」として、両国国民が不幸な過去より共存した過去・現在・未来に注目するよう指標した。
 日中に限らず、国家間の交流も、民間の交流もかくあって欲しいと願われてならない。

 日本ロシアの正式な交流は安政二(1854)年一二月二一日を始まりとすればまだ一七〇年に満たない。その割には単純計算で一〇年に一度の頻度で不幸な事件が起きているが、逆を云えばそれだけ濃い交流を持ってきたとも云え、過去に問題は多くともそれと同等かそれ以上に過去に学べる材料も多い筈である。
 今こそ、日露両国政府並びに日露両国民には「求同存異」であって欲しい。そうあれば両国は日米に勝るとも劣らぬ真の友情を築くことが出来、そうなれば不幸な事件で命を落とした日露両国民及び巻き込まれた国々の民も少しは浮かばれると云えるのではあるまいか。

令和三(2021)年一一月九日 日露の間ロングヘアー・フルシチョフ



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