日露の間

(ようこそ)日露の間へ
 Здравствуйте(こんにちは)
 私は道場主の分身にして、戦国房日露の間専用案内人キャラクターのロングヘアー・フルシチョフである(画像をクリックすると案内人の紹介が見れます)。)。
 キャラクター紹介は別項に譲るとして、道場主が共感する旧ソ連の指導者の一人・フルシチョフをモデルに独自視点による日露交流の考察を案内させて頂きます。
 以後宜しく。



当間について
 当間は、戦国房内に特設されたもので、「人類の歴史は戦史である。」との、考えから、戦国房では様々な事件や人間関係や立場を元に紀伝体形式で日本史上(主に戦国時代)の人物を取り上げている。だが、歴史を見る観点は様々で、戦史以外にも政治史・文化史・社会史等様々で、見方によっては様々な物が見えたり見えなかったりする。それゆえ様々な見方が大切だのだが、数多くの見方で把握するのは専門の歴史家にとっても容易ではない。

 それゆえ様々な専門分野が存在するのだが、当間はその中で薩摩守が、外交史上−取り分けタイトルにある様に、日本とロシア(並びに旧ソビエト連邦)との交流史に注目したものである。



何故「日露」なのか?
 ある国の歴史をその国の歴史だけで研究する馬鹿な歴史家はまず存在しないと思われる(←そうしろ、とほざいた偏狭な歴史家を知ってはいるが)。日本史を研究するに当たって、歴代中国・朝鮮王朝との関わり合いを無視することは出来ない。
 鎖国していた江戸時代ですら、清・オランダ・李氏朝鮮との限定交流は有り、初期と末期には多国間との交流が存在した(←開祖・徳川家康はキリスト教を禁じる為、限定的なものにしたとはいえ、海外交易自体は大賛成だった)。
 そして幕末の開国を機に、日本は米英仏蘭露と通商条約を結んだのを皮切りに、数々の国と国交を持ち、平成三〇(2018)年一〇月二六日現在、日本は一九二の国と国交を持っている。また国家として承認できない故に国交を持たない国々もあるが、北朝鮮・台湾との関係は決して軽視出来ない。

 勿論、一口に国交と言っても、その濃淡や軽重や好悪は千差万別である。アメリカ合衆国との関係はいの一番に重要視しなくてはならないが、各国間の重要度は位置関係・歴史・交易に左右される。
 まあ、何処の国の政府も他の国と「仲悪くしよう。」とは言わない。どんなに相手を批判・非難しても、建前上は友好を前面に出し、その上で我が主張を行う(それゆえ、国家間の紛争に際しては、十割「相手が悪い!こっちはあくまで友好を望んでいる!」と叫ぶ)。
 逆に言えば地理的に接触も少なく、交流上可も不可もない国と見ればどんな独裁国家とも国交を持つ(日本とあんなに問題を抱えている北朝鮮が世界一六〇以上の国と国交を持ち、日本もアフリカ内で評判の悪いスーダンやジンバブエとフツーに付き合ってる)。

 まあ、細かいことを言い出せばキリがないが、そんな多くの国々の中で、道場主が特に注目しているのがロシア(及び旧ソビエト連邦)との交流である。

 勿論、日米、日中、日韓、日朝との交流も重要で、必ずしも日ロ交流が一番重要と云うつもりはない。あくまで個人的に日露の歴史に様々なことを考えさせられ、日露・日ソ交流の歯車が少しずれていれば歴史の結果は大きく異なり、日本の学校において第一外国語はロシア語になっていたかも知れないと考えるのである。
 同時に、日露・日ソの交流次第では対アメリカ交流以上に世界の政治・軍事・治安に与える影響は大きくなるのでは?とも思っている。
 この観点について、多くの人々を納得させられるだけの説明は為せないのだが、日露・日ソの交流には隠然とした大きなものを感じるのである。

 本来なら、対ロシアに限らず世界中ありとあらゆる国々との関係を深く考察したいのだが、勿論そこまで出来る程道場主には能力も無ければ、時間も無い(苦笑)。
 故に個人サイトとして、自分なりに日本とロシアの交流史について想う処を綴りたくて当間を設けた次第である。


日露・日ソ間諸条約
不幸な遭遇をぶっ飛ばせ!……繰り返すまじ日露交流暗黒史
日露間、様々な遭遇(準備中)


参考資料:日露交流史年表
戦国房へ戻る

令和三(2021)年一一月九日 最終更新