File7.天空寺龍……住職・英雄・可能性

Farthers Profiel
登場作品『仮面ライダーW』
名前天空寺龍
天空寺タケル
西村和彦
登場全話
父親としての影響度★★★★★★★★★★
概略 大天空寺の住職(宗派不明)にして、ゴーストハンター。大天空寺の地下にはモノリスが安置されいて、代々守り続けてきた家系の末裔として、天空寺龍(西村和彦)もその役目を受け継いでいた。
 『仮面ライダーゴースト』の放映期間は平成27(2015)年10月4日〜平成28(2016)年9月25日で、その10年前となる平成17(2005)年12月20日に眼魔との戦いに敗れ、命を落としている(作品終盤でアデル(真山明大)に殺されたことが判明)。
 その時点で8歳だった息子・天空寺タケル(西銘駿)に宮本武蔵の刀の鍔を手渡し、「英雄の心を学べ。」という遺言を残していた。

 事の発端は仙人(竹中直人)より、眼魔世界が10年後に現実世界に侵攻を始めると聞かされたからで、物理学の権威・五十嵐健次郎(モロ師岡)や考古学者・西園寺主税(森下能幸)とともに大天空寺にあるモノリスの研究を行い、眼魔世界の守り神であるガンマイザーに対抗するために15の英雄の魂の力を借りることとし、その最初の英雄に宮本武蔵を選んだ。

 その際にブランク眼魂の一つを、いずれ自分を超えるであろう息子・タケルの無限の可能性を信じ、タケルを眼魔との戦いに巻き込むことを危惧する五十嵐の反対を押し切り、指定郵便で18歳になったタケルに届くようにしていた。
 また、そのモノリスの研究が深海マコト(山本亮)・カノン(工藤美桜)兄妹を眼魔世界に閉じ込めてしまう一因にもなった。

 そして作中にて市の運命を背負ったタケルが期限である99日目を迎え、ジャベル(聡太郎)との戦闘中に消滅すると、所謂、あの世でタケルと再会し、自らの力で期限をリセットさせて現世に戻し、その後も幽体や幻影としてタケルの前に現れ、師であり、精神的支えであり続けた。
 そして最終決戦でもタケルの前に幻影として現れ、グレートアイザー討滅に貢献した。

 個人としての天空寺龍は、懐が深く、多くの人々に希望を与える、人間的にも、僧侶的にも、親的にも優れた人物だった。
 その一方で自分を英雄視することなく、幼少時の深見マコト(多賀蓮真)に「英雄になりたいの?」と問われた際にも、「自分が出来ることをするだけだ。自分の命を未来へ繋げる」と返しており、自身は凡人を自認していた様である。

 過酷な修行を経てとはいえ、法力・武術に卓越し、物理学や考古学に優れた人物と交流を持ち、異世界の人物とも繋がりを持っていた天空寺龍を周囲の人間はまず凡人とは見ないだろう。
 だが、一応は生臭野郎でも仏教徒の端くれであるシルバータイタンの独断と偏見で語るなら、徳の高い僧侶程御仏の大御心・大慈大悲に人間が比肩し得えないことを悟り、自らをあくまで現世における御仏の代弁者を自認し、非常に謙虚である(故に新興宗教によくある、如来や菩薩の生まれ変わりを自称する教祖は怪しいと云って良い)。
 まあ、子供番組でもある『仮面ライダーゴースト』ではその辺り、寺を舞台としつつも仏教の教義について触れるシーンは皆無なのだが、自らを凡人として、それでも英雄の心に触れ続けることに邁進。そしてタケルを含む周囲の者達にそのことを伝道していたはある意味、僧侶らしい僧侶だったと云える。



存在感 独特且つ強い存在感を持っている。
 何せ登場時に既に故人でありながらストーリーに関わり続けた。上述している様に、ストーリー時代は作中世界の10年前に既に始まっていた(平成ライダー作品にはよくある傾向である)。
 また、上述した様に代々モノリスを守っていた住職としての使命もあってか、天空寺龍は住職として、ゴーストハンターとして、恐らくは幼少時から心身を鍛えていたと見られ、英雄の魂(ゴースト)を召喚する力は、厳しい修行によって体得するとともに、かなりの戦闘能力を有していた。
 アデルに殺害されたのも、戦闘で劣った訳ではなく、息子・天空寺タケルを庇ってのことだった。

 そして、多くのライダー作品にあって、故人となった者は、死後は回想シーンぐらいでしか出て来ない。死んだと思われていたのが実は生きていた場合などは例外だが、真で尚出て来るとすれば、幽霊(ゴースト)である。だが、この『仮面ライダーゴースト』はある意味、タイトル通りに幽霊が主役なのである(笑)。
 主人公のタケル自身、一度は死んで生き返るという経験を経ており、「死=終焉」とはなり難い。そしてもまた死して尚、幽体として作中に登場し続けた。

 そしての存在感を強いものとしている要因として、彼が多くの人間に影響を与えていたことが挙げられる。
 そもそもが大天空寺の住職だったので、同寺で修業を積む御成(柳喬之)達修行僧がに敬意を抱かれていたのは勿論だが、タケルの兄貴分でもあった幼馴染・深海マコトからも深い敬意を抱かれていた。
 殊にマコトは自分と妹・カノンをおいて失踪した実父を半ば憎んでいて、「すべての父親がさんのように立派とは限らない。」という台詞を発していた。そして詳細は後述するが、ストーリーの都合上、当初マコトは妹・カノンを救うためにタケルと敵対せざるを得ず、敢えて冷徹な態度を取り続けたが、その間もへの敬意を失わず、こっそりの墓に詣でていた。



息子・番組への影響 ストーリーの構成上、天空寺龍の存在が番組に影響しない筈が無かった。息子である天空寺タケルの人格形成・人生設計・能力向上に親として、師として強く影響したのは勿論、上述した様にタケルの周囲の人々へのそれも大きかった。

 圧巻なのは深海マコトに対する影響である。
 ストーリー序盤、マコトは共に眼魔界に落ちた妹・カノンを救う為、タケルを犠牲にしなければならない立場に追い込まれ、タケルに対してかなり冷淡な態度を取っていた。
 これはカノンを助けるためにタケルを犠牲にすることに躊躇いが無い一方で、尊敬するの息子で、自分を「お兄ちゃん」と慕う弟分を犠牲にしなければならない罪悪感を払拭するために、自らをタケルの敵と位置づけ、タケルに自分を憎み、本気で戦う様に仕向ける為のものだった。
 それゆえ、カノンと自分の両方を助けんとするタケルをことあるごとに「甘い!」と罵ったが、第11話でカノンが生還し、タケルの(一度目の)死が避けられなくなると、カノンの生還を心から喜びつつも、自分を犠牲にしたタケルに対し、感謝と申し訳なさが綯交ぜになった表情で目に涙を貯めながら、「やはりお前は甘い……。」と述べていた。個人的にこの複雑極まりない心情と表情を見事に演じきった山本涼介氏は本当に凄い右役者だと思っている。

 少し脇道に逸れたが、ここまでマコトのことについて触れたのも、マコトの心情の背景にがいたことを知って欲しかったからである。カノンの為にタケルに犠牲を強いる罪悪感からタケルに対して無慈悲な態度を取っていた間も、マコトはへの敬意を失わなかったからである。

 勿論、周囲への大きい影響力は息子であるタケルに対してもいかんなく発揮され、それはストーリーにも大きくかかわった。
 何せ、に死なれた時点でタケルはまだ8歳の子供に過ぎなかった。既に母親にも死なれており、本来なら身内に引き取られるか、身内がいないなら施設に引き取られる境遇である。恐らくは大天空寺が孤児となったタケルを育て得る環境と目されたと思われるが、住職代理の御成も死亡時点では16歳だった。
 まあその辺りを突っ込みまくるとキリがないので(苦笑)割愛するが、8歳から18歳という多感且つ人格形成に重要な時期を父の教えと父の残した環境だけを心の拠り所に生きて来たのだから、「の教え」そのものが「タケルの人格」・「タケルの生き様」になったと云っても過言ではあるまい。

 その一方で、何と云ってタケルは年齢的にも未熟である。迷いも悩みも人一倍多く、アデルがを殺した張本人と知ったときは、アデルをも救いたいとしていた気持ちと、父の仇を前にした怒り・憎しみとに苦悩した(ジャベルに慈悲で接した御成も、の仇であるアデルは「倒すべき」としていた)。
 そしてそんなタケルの前に時折、霊魂・幻影・想い出の形で、師として、父として現れては重要な助言を与えていた。タケルが、深海マコトをして、「甘い」と云わしめるほど誰に対しても「救うべし」と云う正確に育ったのもによる教育の賜物で、それゆえに自分を犠牲にしてでもカノンを救うことに一片の迷いのなかったタケルも、アデルを前にしては複雑だった。

 『仮面ライダーゴースト』のストーリーが始まったのも、幼くして父を失い、成長途上で修業不足故に父と同じゴーストハンターになり得なかったタケルが、18歳の誕生日にが送ったブランク眼魂を受け取ったことを機に眼魔が見えるようになったことに端を発している。
 天空寺龍の実態をとことん追おうと思えば、本編である『仮面ライダーゴースト』以外にも、派生作品も網羅する必要があり、その意味ではシルバータイタンがに関して解説するのはおこがましいのかもしれない。だが、せめて彼が父として、師として、世間の親の水準を大きく超えて息子の成長に影響を与え続けていることは述べたかったことをご理解抱ければ幸いである。


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令和五(2023)年一〇月一三日 最終更新