第参頁 豪姫(前田利家四女)

豪姫(ごうひめ)
生没年天正二(1574)年〜寛永一一(1634)年五月二三日
実父前田利家
縁組前の秀吉との関係盟友の四女


略歴 前田利家と、その正室・お松の間に四女として生まれた。
 父の利家は若き頃から羽柴秀吉と仲が良く、母のお松秀吉の正室おねとは秀吉との婚姻前から仲が良かった。つまり豪姫は養女行きを待たずして秀吉夫妻に可愛がられるべくして可愛がられた。

 正確な年月は不明だが、幼少の内に子のない秀吉夫妻に前田家と羽柴家の親睦を高める為に養女に出されたと云われる。
 数多い秀吉の養子の中にあって、養女は豪姫のみである(人たらしの秀吉のこと、他にも養女がいた可能性は充分に有り、政略結婚目的の一時的な養女はいたが、薩摩守の研究不足で知らないだけの可能性があることも白状(苦笑)しておきます)。
 殆どの養子が秀吉のみとの養子縁組であったが、豪姫は正式におねをも養母としていたところに注目したい。

 天正一六(1588)年に一五歳のときに、同じく秀吉の養子(猶子)であった岡山城主・宇喜多秀家の正室となり、後に二男一女(秀隆・秀継・娘)を産んだ。
 だが養父・秀吉、実父・利家没後に夫・秀家は関ケ原の戦いに西軍側副将として参戦し、徳川家康率いる東軍に敗れて消息を絶った。
 秀家は六年に渡って逃亡していて、途中、生母・円融院のいる堺に匿われていた事もあったが、円融院は秀家の身の安全を優先して、北近江潜伏中には黄金二五枚を調達して秀家を助けた豪姫にも知らせなかった。
 結局豪姫が秀家の生存を知るのは慶長一一(1606)年に島津忠恒に伴なわれて秀家が自首した後の事だった。

 豪姫は自首した秀家の助命嘆願を実兄・利長に懇願し、利長と忠恒の熱意が効を奏して秀家は辛うじて死罪を許されたが、その身は八丈島に流される事となり、二人の息子も同じ罰を与えられた。
 豪姫は夫・息子とともに流刑になる事を欲したが、許されず、兄の元で化粧領一五〇〇石を与えられ、キリシタンとなって隠棲した。
 その一方で八丈島で貧苦に苦しむ夫と息子達を少しでも楽にさせたいと念じて、幕府に申し出て、隔年で白米七〇俵、金子三五両、衣類・雑貨・医薬品の物資援助を八丈島に送る許可を、「幕命」として得ることに成功した。

 慶長一九(1614)年に兄・利長の後を継いだ異母弟の利常から、「(キリスト教を)棄教しなければ八丈への援助を打ち切らなければならない。」と告げられ棄教した。
 「豪奢な生活で宇喜多家の君臣の和を乱した。」と陰口を叩かれ、関ケ原戦役後は「賊将の妻」と見られる視線に耐える等の後半生を、身は前田家にあっても心は宇喜多家の女として夫と子供達の援助に尽力し続けた豪姫は寛永一一(1634)年五月二三日に夫に先立って天寿を全うした。享年六一歳。
 死ぬまで夫と息子に尽くした豪姫の葬儀は宇喜多家の菩提寺である浄土宗大蓮寺で行われ、八丈島への援助は宇喜多秀家没後も明治三(1870)年の流罪御赦免まで二六〇年に渡って続けられた。


歴史的存在感 「豊臣家と前田家」、「宇喜多家と前田家」の掛け橋として豪姫の存在感は大きかった。
 そして太閤大納言を父に持ち、五大老の一人に嫁いで尚、身の上は安泰となり得ない戦国の非情・無常が豪姫の生涯に見て取れる。

 始めは仲の良い夫婦同士の親睦の証だった養女縁組だったが、双方の親の出世により只の娘でいられなかった事が同じ養子−つまりは義兄とも云える−宇喜多秀家との婚姻が端的に表している。

 豪姫と云えばどうしても関ケ原後の秀家父子への献身に注目してしまうが、夫や子と供に流刑となる事を許されなかったり、流刑地への援助も幕命の形をとる事となった事にも戦国の女性及び大名の妻というものが栄光の陰で如何にままならぬものを抱えているかの証を後世に伝えていると云える。


秀吉の溺愛 子煩悩男・秀吉の愛情は豪姫にも遺憾なく注がれ、その正室おねにも愛された。
 また養女入りした後も実父利家・実母お松との睦まじい交流は続き、戦場にあった秀吉から豪姫に宛てた、彼女の健康を気遣って送った書状が現存している。

 数多い養子の中にあっても最も可愛がったと見られる宇喜多秀家と娶わせたのも必然的な成り行きだったのだろう。

 余談だが、一種の紀伝体−と云い切るには語弊があるが−として綴っているこの戦国房で豪姫は初めて項目を設立した女性なのだが、実際に文章にしてみて歴史の表舞台に現れない女性について調べる事が如何に大変であるかと、近代以前の世において、如何に女性が政治的に社会的に弱い存在であったかを痛感させられた。
 権力に左右される栄枯盛衰とともにそれでも娘・妻・母の顔を色濃く見せる豪姫の人間性の根本に二人の父と二人の母の愛があったと見るのは穿った物の見方だろうか?



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令和三(2021)年五月一九日 最終更新