最終頁 一夫一妻の世に想う
過去作に『恐妻家列伝』を作りながら、似た様な本作を制作した。閲覧者の方々の中には、「何でまた同じような作品を?」と思われている方もいるかも知れないが、薩摩守自身は過去作と本作とは、「似て非なる作品」と思っている。
中には徳川秀忠のように、両作で採り上げたものもいるが、基本、過去作は「妻を怖がった者」で、本作は「本妻だけを愛した者」を採り上げている。ただ、ツッコまれる前に述べておくが、徳川秀忠は「側室を持たなかった。」のはあくまで公式で、手を付けた女性はいるので、話は単純ではない。実際、記録や史料に現れていないだけで、本作で採り上げた人物の中にも、しっかり手をつけた女性がいながら、それを巧み云隠蔽していたなんて話があっても全く不思議ではない。
逆を云えば、最初から結論の出ない話なのである。実際、採り上げ、制作しておきながら、何故に本作で採り上げた人物達が側室を持たなかったのか、断言出来る人物は殆んどいない。では何故に道場主はそんな似たような作品を弐つも作ったのだろうか?
この答えははっきりしている。早い話、道場主がいまだ妻帯していないからである(令和五(2023)年九月六日現在)。
詰まる所、ない物ねだり的に「妻」という存在を日々夢想するからという、極めて惨めな………ぐぇぇぇえぇぇぇぇえっぇぇぇええええぇぇぇぇぇぇぇ(←道場主の覇極流卍天牛固めを食らっている)。
痛てててててて………ただ、一応自身の名誉の為に云っておくが、考えるのは真剣に考えている。同時に、「妻」及び「女性」ということについて思考することが多いのも、家族関係を重んじるとともに、本能的な欲望で女性を求めている面も否定出来ない。
いずれにしても想いが強い故に、似た様な作品を作り、考察することとなった。そして本作では「正室」と「側室」が合法的に存在した時代に、考えや想いに相違はあれど、結果的に一人の妻しか持たなかった者達を考察した。そしてこの最終頁では締めとして、令和の世では存在しない側室制度と、それが存在しないことの歴史的影響を私見混じりに考察して締めたい。
所感壱 側室制度は羨ましいか?
人間は千差万別であり、同じ人間は決して存在しない。例え容姿や性格や能力が同一だとしても、同じ両親から同じ年同じ日に生まれた双子だとしても、である。
当然、人間の長所短所もまた個々に異なり、それ故に人間の持つ魅力もまた個々に異なる。それゆえ、本能的に異性を求める際に魅力的な女性が眼前に複数いるとどちらを選ぶかを苦悩することになる。
まして現代は側室制度が無く、複数の異性と婚姻関係を結ぶことは「重婚」ということになり、戸籍上受け入れられない。
だが、一方で、「様々な異性との交際を楽しみたい。」という願望は確かに存在する。また同時に一夫一妻に際して身体的な問題から子が為せないときの「保険」として時代を遡るほど主に高貴な身分において一夫多妻制は普通に存在した。
殊に『魏志倭人伝』の記述によると当時の日本では奴婢(奴隷)であっても二、三人の妻がいたという。
もっとも、妻を複数持つと云うことは各々の妻が生む子まで含めるとかなりの人数を養わなくてはならない。時代が下れば下る程養う個々人にかかる経費や事柄も増えるので、令和の世では経済的問題から二人目の子供を持つことすら躊躇する夫婦も少なくない。
単純比較もなんだが、経済力や社会的地位や後継者を残す責務の重さから一夫多妻は高貴な身分で見られることが多く、戦国時代でも足軽を初めとする下級身分となると複数の妻を持つことは珍しかったと思われる。
逆を云えば、経済力に余裕があれば「士農工商」において低い身分に置かれたものであっても、つまりは豪農や豪商の主ともなれば、所謂、「お妾さん」がいることは珍しくないどころか、半ば当たり前で、多人数を抱えることが能力の証とすら目された。
結局、明治維新の時点では法的・戸籍的に一夫多妻は認められていたが、近代化を目指して欧米に習う過程で法令もその影響を受け、死刑に打ち首・磔・釜茹でが「野蛮」として廃止されていく中、一夫多妻の概念もまた「重婚」を悪行とするキリスト教の影響で民法の制定とともに失われた。
そこで思うのだが、側室制度が存在した過去を羨ましがる人はどれほどいるのだろう?
少なからず存在するのは間違いないだろう。薩摩守自身、結婚する相手は一人で良くても、様々なタイプの女性との交際を楽しみたい願望はあるし、道場主が生涯に愛した女性は決して一人ではない。まあ、何度もフラれたから必然的にそうなった訳だが………グゲゲゲゲゲゲゲゲゲェエエエエェェェェェ………(←道場主の口蓋暴獣捻りを食らっている)…………。
ゲホゲホ………まあ、合法的に複数の妻を持つことが出来、大手を振って様々な女性との愛の営みを堪能出来れば至福だと思うこともある。下品な書き方をすれば、「様々な女とヤリたい!」との欲望は常に心の片隅に存している。だがあくまでこれは性欲を含む欲望的なものだ。
性別に関係なく、また恋愛に限らず、様々な人間と交流を持つことは良いことである。そこから学ぶこと、成長させられることは個々に異なり、それゆえすべての交流は貴重である(悪行を共謀・共同することを除いて)。
だが、結論を云えば、やはり道場主・薩摩守は今の世が一夫一妻で良いと思っている。
愛し愛された果てに結ばれることを思うと、その素晴らしさが複数存在することは釈然としない。つまり、愛する女性から他の男どもに負けることなく選ばれることを望むから、自らもまた複数の女性を同時に愛する事は良しとしないのである。
同時に一夫多妻制は、男系子孫を確実に残すことを大義名分にしながら、様々な女性を同時に愛したい男に都合の良い、男尊女卑に立脚したもの、と個人的に捉えている。
自分が複数の女性を同時に愛したいのなら、逆に相手にも複数の男性を同時に愛する権利を認めるべきである。だが、俺はそれは絶対に嫌である。結婚相手に「生涯俺以外の男と肌を合わせるな。」というつもりはないが、「俺と添い遂げる間は他の男と関係するな。」というのは当然に様に求める。だが、相手にそれを求める以上は自らもまた妻以外の女性と恋愛関係を持つのは卑怯卑劣と捉える。
ぶっ飛んだ物云いだが、男尊女卑故に一夫多妻制が存在する訳で、真に平等を求めるなら多夫一妻制や、多夫多妻制があっても然るべきである。
まあ、そこまでいけば「性の乱れ」どころではなくなるが、古今東西頽廃した貴族社会にはかかる乱れはまま見られたらしく、時には「乱交」すら行われたという。
また一夫多妻ともなれば、「正室」や「夫の寵愛」を求める妻同士の対立や、後継者の座・財産・後々の利権を求めて異母兄弟同士での対立も生まれかねない。と云うか実際に生まれた例が枚挙に暇がない。
やはり欲望的には一夫多妻制は羨ましくても、理知的にも理想的にも要らざるトラブルを招かない為にも近現代は一夫一妻で良いと考える次第である。
所感弐 「たった一人」だからこその尊さ
くどいが、現代の世は一夫一妻である。身分の上下に関係なく、戸籍上正式に「妻」と出来る女性、「夫」と出来る男性は一人である。
ただ、これはあくまで法律上の話で、何時の世にも「浮気」という言葉が人口に膾炙しないことは無く、恋人がいても平気な顔で別の異性(場合によっては同性)と関係するものや、結婚していながら家の外に全く罪悪感なく浮気相手を持つ者は古今東西ごまんと存在する。
要するに制度がどうあれ、立場がどうあれ、欲望の赴くままに何人もの異性を口説きに掛かり、実際にモノにする例は世に溢れ返っている。
薩摩守=道場主も決して聖人君子ではない上に、人三倍強い性欲を持っている。普通に電車に乗って通勤している最中にも同じ車両に乗り合わせた女性に対して欲望を抱いたケースは数え切れない。また、「相手の意志を無視して触れば痴漢行為で、犯罪になる………。」と苦悶しつつ、「触ることを相手が喜んでくれる各省があれば即行で触りたいのだが………。」などと下衆いことを考えたのも一〇〇回や二〇〇回ではない。
倫理・理性・法整備・良心・罪悪感というものが存在しなければ、「犯罪にならない」という「保険」があれば何をしでかしたか分かったものじゃなく、自己嫌悪に陥る程性的な欲望は強い。
ただ、性欲も肉欲も、「子孫を残す」という本能から来るものである。
それゆえ性の問題を人間は時に真剣に考え、時に興味本位に暴走し、時に定番の歓談材料として笑い飛ばす。漫画でも、下落ち漫画やエロ漫画でなくても下ネタ皆無な作品を探す方が困難である。
そしてそんな漫画からは考えされた例が二つある。
一つは道場主が最も好きな漫画家・宮下あきら先生の『天より高く』 (そらよりたかく)である。この漫画で、悪徳政治家親子である金剛寺頼近とその息子頼光は政敵である内閣総理大臣剣桃太郎を醜聞でっち上げで政界から追い落とすことを目論んだ。
頼光は特殊メイクで桃太郎と全く同じ顔をさせた役者が少年と乳繰り合う写真を捏造して醜聞化せんとしたが、その撮影中に、「元来この国のマスコミも国民も政治家の女性問題に呆れるほど寛容。」と頼光は述べていた。
実際、平成の世に某総理大臣が女性問題で叩かれた際、当時高校生だった道場主は級友達と「あの面でスキャンダル?笑わせんなよ!」と云い合っていたが、道場主の両親は「総理ともなれば妾の一人や二人いて当然。」としていた。
これも長く一夫多妻の世が続き、「高貴な身分程妻は複数いて当然。」という常識が歴史の大部分を占めていたからだろうか?
もう一つの例は『CITY HUNNTER』で、同作終盤で冴羽獠は絶体絶命の危機に槇村香との再会を誓ってガラス越しにキスをした。二人とも生還を果たすのだが、その過程で頭を強く打った香は互いの想いを確かめ合った記憶を失い、二人の関係は振出しに戻ったと思われた。
だが、記憶を失ったと云うのは香の偽りで、獠もまたキスを交わした時の想いに疑問を抱いていた。同作を少しでも呼んだことのある方には周知だが、冴羽獠は古今東西のスケベキャラクターの中でも屈指のスケベで、一人の女性に縛られるキャラではなかった。同時に明日の命も知れない裏の世界で生きる故に特定の恋人を持つことにも否定的だった。
当然死線を何度も掻い潜って来た経験を持ち、香とのキスに関しても、「種族維持本能かも知れない。」とも考えていた。要は、「子孫を残す」が生物としての本能故、人間は「ここで死ぬかもしれない!」と思えば、本能的に異性を求め、それを愛と誤認することが多く、そんな想いはすぐに冷めると考えてのものだった。
獠がこのことをミック・エンジェルと話しているのを聞いていた香は、最終回で、「私今、すごくあなたに抱き着きたいけど、これも種族維持本能かしら?」と云い、それに対して獠は「馬鹿ぁ……。」といって半ば呆れながらも飛び込んできた香を優しく受け入れた。
かように男女の仲は本能が根本にある故に、美しくも醜くも様々な想いや願望がある。
だが、それ故に様々な想いや存在を乗り越えて生涯に添い遂げる「たった一人」は凄く大切と薩摩守は考える。
自慢じゃないが、薩摩守は物凄く嫉妬深い人間である。だが、それは愛する相手への執着の強さによるもので、そこまで執着する以上はそれ以外の執着は捨てるべきだと思うし、相手にも自分だけに執着して欲しいと望む。
「執着」は仏教的には人を不幸にする要因で、仏教ではそれを捨て去ることで降伏になることを説いているから、羆並みの執着心を常時抱いている薩摩守は物凄く破戒的な人間と云えなくもない。
だが、そんな戒律や想いも乗り越えて、たった一人を重んじ大切に愛する事を相手もまた喜んでくれると信じている次第である。
本作で採り上げた者達も、側室を迎えなかった要因は個々に微妙に異なり、政治的な問題や、同情もあったと思われる。恐らく周辺的要素に関係なく、「個人」を重んじ、一つの愛を貫いたと思われる明智光秀・山内一豊は特にカッコよく映るし、漢(おとこ)として見習いたいとも思う。
かように考察して改めて想う。
欲望的な意味で羨ましい一夫多妻だが、心底から貫ける一夫一妻には及ばない、と。少なくとも愛する女性には自分だけを愛して欲しい故に、自分もまたその人だけを愛すべきである。世にこれに勝る稀少性はないだろう。
所感参 世襲に思う現代の後継者問題
ここまで半ば側室制度や一夫多妻制を批判的に書いてきたが、あくまで理想を追求した上での話である。
世の中がどうあろうと、たった一人の相手への愛を貫く者もいれば、性に奔放・いい加減な奴は存在する。結局は個々人の問題とも云える。
同時に、人類の歴史を顧みれば、「君主」という存在を国政から廃した歴史なんて近代に入ってからのほんの僅かな期間でしかない。四大文明から現代にいたるまでの時間で「君主」が君臨しなかった時間など一割どころか、一分に満たず、皇帝や国王が(統治に関係なく)君臨する国家は現在でも二〇以上存在する。
当然世襲する「君主」を推戴する以上、それ等の国家では後継者を保たなくてはならない。だが何百年も代を重ねると子宝、特に男児に恵まれない君主は必ず出て来る。どうしても男児が生まれなかった場合は弟や甥と云った近しい血縁者が養子となる訳だが、そんな事態を避ける為に高貴な身分の男性ほど数多くの妻妾を持つ一夫多妻制がとられたのは歴史的必然とも思っている。
そして現在の日本もそんな後継者を如何すべきかという問題に遠くない将来直面する(もう直面しているとも云える)。
令和五年九月六日現在、第一二六代目である今上天皇陛下には男児がいない。一応皇室典範の定めるところでは今上陛下の実弟である秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承権の第一位とされ、その皇子で、この文を綴っている日に一七歳になられた悠仁様が第二位とされている。
ただ、文仁殿下は今上天皇陛下即位時に既に皇位継承の意志がないことを表明されていた。理由は年齢の問題である。今上陛下即位の時点で五三歳だった殿下は、今上陛下が皇位を去られるときにはかなりの高齢に達していると予測され、即位してもすぐに天寿が尽きることを懸念されてと思われる。
勿論世を去るのは兄弟順とは限らないから、時の流れの中で悠仁様が普通に皇位継承の第一位に就かれることも考えられる。普通に考えるなら第一二七代は悠仁様であることが血統的には濃厚だろう。
いずれにせよ、世の中には様々な意見が飛び交っている。
上述の推測通りと考える者もいれば、今上陛下の皇女・敬宮愛子内親王を日本史上九人目の女帝になると捉える者もいれば、「男系」に凄まじくこだわり、現皇室に男性が少ないこと懸念して、昭和天皇や上皇様に近しい身内を迎えるべしと唱える者もいるし、中には天皇制廃止を叫ぶ者もいる。
こればかりは薩摩守には口も手も出せない。薩摩守は皇室数半論者ではないが、個人的には世界最古の歴史を持つ天皇家は国家の象徴や日本文化の一端として続いて欲しいと思うから悠仁様の継承が最も無難と思う一方で、そうなったらなったで、後継者を残すことに凄まじいプレッシャーを背負わされる悠仁様に同情も感じる。
結局は時の流れを見守るしか出来ない。
ただ、そんな現状に思いを馳せるとき、やはり昭和天皇の想い、そして立ち居振る舞いにも感服する。
香淳皇后が多くの子を産むも、第一子から第四子まですべて内親王で、宮内庁内で昭和天皇に側室を持たせるべきとの意見や動きが出た時に昭和天皇が断固としてこれを拒んだのは第拾頁に書いたが、「良宮(香淳皇后)が良い。」との想いを貫いた昭和天皇も立派だが、個人的に昭和天皇にはもう一つ感服させられたことがある。
それは側室妻帯を拒んだ際の昭和天皇の立ち居振る舞いである。
昭和天皇に側室を迎える意思が全くなかったのは誰の目にも明らかだったと思われる。しかしながら、何としても昭和天皇に皇子を設けて頂かなくてはならない考える側近達は頼まれもしないのに側室候補とされた女性の写真を何枚も昭和天皇の元に持参した。
これに対し、昭和天皇は差し出された写真を閲覧すると、側近に、「皆、良い方ですね。必ず良縁に恵まれることでしょう。」と云って、やんわりと勧めを拒んだと云う。
これが単純に意固地な人間や、我の強い人間なら写真に目もくれないか、激しい口調で拒絶したことだろう。それをやんわりと断った昭和天皇の立ち居振る舞いには、香淳皇后だけではなく、側近や側室候補にされた女性への思い遣りも薩摩守は感じた。
もしこの問題に関して昭和天皇が感情的に振舞えば、(この時点で)女児しか産めなかったことで香淳皇后は御自身を責めたかもしれない。
また、側近もあくまで男系が途絶えることへの懸念から良かれと思って側室を進めた訳で、私欲でやっている訳でもないのに余り激しく拒絶しては側近の皇室への忠誠心に水を差すことになる。
そして強く拒まず、やんわり褒める形で遠回しに拒んだことで、側室候補とされた女性達も傷づかずに済んだと思われる。昭和天皇が下手に強く拒めば、口さがない世の輩の中には、候補女性達に「天皇陛下に拒絶された女」とのレッテルを貼る者も出てきかねない。逆に「皆、良い方ですね。」とされたことで、「陛下に認められた女性」との見方も生まれたことだろう。
実際、昭和天皇が側室を持たなかったのは、昭和天皇自身の中で端から決まっていたことで、候補女性がどのような人でも結果は変わらなかっただろう。それでも男女の問題となると世の中には独断と偏見で無責任に、そして興味本位にろくでもない私見を膾炙する輩がごまんと存在する。
昭和天皇が上述した様な気遣いでかかる断り方をしたかは、正直薩摩守の推測でしかないが、二・二六事件での激昂ぶりや、終生に際しての鈴木貫太郎との連携や、GHQ進駐直後にマッカーサーを訪ねたことや、A級戦犯合祀と共に靖国神社に親拝しなくなったことなどを鑑みれば、やはり昭和天皇という方は人一倍強い感情を持ちつつも、周囲の人間に対する思い遣りを持たれた方だったと思っている。
そんな昭和天皇の子孫である今上陛下とその御一族が皇位継承に対して如何なる歴史を紡ぐかは分からないが、昭和天皇が香淳皇后を初めとする周囲に為した気遣いが受け継がれることを望む次第である。
令和五(2023)年九月六日 薩摩守
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令和五(2023)年九月六日 最終更新