7.忠義とプライドの狭間で……

(『仮面ライダー』オープニングのノリで)
ガラガランダ地獄大使ショッカーの大幹部である。
彼を倒さんとする仮面ライダーは正義と平和の為に戦う戦士である。
ガラガランダは組織と首領の世界征服の為に仮面ライダーと戦うのだ。
忠義 過去作でも本作でも触れているが、地獄大使を語るにおいて、「忠義」の二文字は無視出来ない。
 だが、この「忠義」という言葉、何をその対象とするかによって個人の行動は容易く変わり、角度を変えた見方をすれば簡単に「裏切者」と呼ばれることになる。

 史実の例を挙げれば「忠義」という単語が決して単純でないことはすぐに分かる。
 日本史における、江戸時代の侍の忠義を検証すると、その対象は「主家」であって、「主君」ではないことが分かる。勿論多くの場合、「主君に忠節を尽くす。」ということと、「主家に忠節を尽くす。」ということは同義なのだが、もし「主君」の能力や対人関係が「御家を滅ぼす。」となれば、「主家」の中から別の誰かを新たな「主君」に立て、「前主君」を配することは珍しいことではなかった。
 勿論、目的は「主家を守る」なので、前主君に対する謀反が必ずしも前主君を弑逆することを意味した訳ではなかったが、追放・幽閉で済まず、闇に葬られた例も枚挙に暇がない。

 時代を現代に近付けると、大日本帝国陸軍の「忠義」もややこしい。「天皇陛下」に忠誠を誓って「万歳」を叫びつつ、明らかに昭和天皇の意に反して戦線を拡大し、ポツダム宣言受諾もとことん阻止せんとした(←勿論、陸軍の総意という訳ではなかったが、一部の者達の暴走は目に余るものがあった)。
 彼等は「天皇陛下」や「大日本帝国」に忠誠を誓っていた筈なのだが、終戦間際の戦争継続への執念は国体を思い切り危うくしていたとしか思えない。だが、彼等の「忠義」が「目的が手段に代わる」という世によくあるパターンの為に、イデオロギーへの暴走にシフトしていたと考えれば、全く理解出来ない訳ではない(←勿論共感や納得は全く出来ないがな)。

 では、話を地獄大使に戻すと、『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』『仮面ライダーSPIRITS』『仮面ライダー1号』という時の流れを通して見たとき、彼の尋常ならざる忠義は何者を対象としていたのだろうか?
 勿論ここからはシルバータイタンの私見になるのだが、「1に首領、2に組織」だったのではなかろうか?
 第1頁で触れたが、地獄大使は理不尽な仕打ちを受けて尚首領に忠義を尽くし、自らの処刑を演じてまで仮面ライダー1号を罠に嵌めんとし、最終決戦に臨んで「ショッカーに裏切者などいるものか!」と大喝していたが、首領は地獄大使並びにショッカーを裏切っていた
 地獄大使戦死後、ゲルショッカーによってショッカーは戦闘員から科学者に至るまで根絶やしにされた(厳密には1人生き残ったが、ゲルショッカーは完全に殺す気でいた)。これも推測だが、地獄大使に尽くした者達や、地獄大使が人格・才能・忠義を愛でた者達もいたことだろう。
普通に考えれば、首領もゲルショッカーも許せない対象である。約1年後にその首領の手によって復活した地獄大使だったが、もし首領への忠義が第一でなければ、ドクトルGを揶揄する前にブラック将軍を殺したいところだっただろうし、首領自身、地獄大使の復活を考えること等出来なかったことだろう(この時へまをした地獄大使首領が助けたことが、先の裏切りを受けて尚貫く忠義に絆されたからではないか?と考えているぐらいである)。
 何故ショッカー・ゲルショッカーの大幹部達を甦らせたか分かるか?と問われたとき、「ドクトルGに代わってデストロンの指揮を執れとのご命令かな?」と云っていたぐらいだから(←まあ、ドクトルGに対する対抗意識による戯言との色合いが強いのだが)、地獄大使の中では「首領ショッカー」という価値の優先順位なのだろう。
 それを考えると、『仮面ライダーSPIRITS』にて、半ば腐敗した状態の中途半端な蘇生を受け、にっくき暗闇大使に頭を踏みつけにされる屈辱の中、バダン総統=ショッカー首領に「世界征服でございます。」と即答していたことも成る程と思わされる。

 だが、このように推測を重ねると少し分からないのが、『仮面ライダー1号』における地獄大使の、ノバショッカーに対する怒りである。
 旧ショッカーを滅ぼしたブラック将軍を前に怒りを示さず、冗談交じりとはいえ「デストロンの指揮」に意欲を見せ、怨敵とも云える者に踏み付けにされてもバダンに従った地獄大使(←一方でバダン及び暗闇大使は戦略指揮面においても地獄大使を虚仮にしていた)。首領への忠義の前には個人の怨みに耐え、組織の看板に必ずしもこだわらなかった男だったが、ノバショッカーに対しては尋常ではない怒りをあらわにし、これを倒す為には仮面ライダー1号とすら共闘した。
 何故にここまでノバショッカーを憎んだのか?ノバショッカーは確かに離反者だが、ショッカーに源流を持つ者達でもある。方針が異なるにせよ、それで確実に世界征服が為せるのなら、屈辱に耐えられない男ではない筈なのにである。

 この答えはやはり「首領」が関わってくると思われる。
 『仮面ライダー1号』には首領は登場しなかった。歴代悪の組織を裏で糸引いていたと思われる首領が同作品において影も見せず、声が聞こえることも無かった。積年の戦いで首領が死んだのかどうかは定かではない(例によって、ダミーを使って生き延びている可能性は充分過ぎる程にある)。だが、地獄大使が眠りについている間、離反したノバショッカー一味は首領の存在を気にかけていた気配はなく、毒トカゲ男達も地獄大使の復活や、復活後の地獄大使に何と報告すればいいかを気にしていたが、やはり首領の名を口にすることはなかった。

 首領が死んでいる、或いは地獄大使同様に行動不能状態にあるとすれば?

 当然最高幹部の意志が組織の意志となる。「首領の意志」が確認されない以上、自分が眠っている間に組織を離脱し、最高幹部たる自分の行動を邪魔するノバショッカーは充分に「処刑対象」だったことだろう。

 こうして考察すると、「第一に首領。その存在が確認出来ないときは組織。その鉄則を乱す者は敵と手を組んででも潰す。」というのが地獄大使のルールではなかろうか?
 ただはっきり断言出来るのは、何が対象であれ、想いの強さは極大と云うことだろう。



プライド 歴代悪の組織の大幹部に比して、「忠義」が際立っている地獄大使。だが、彼は単純に首領の命令に盲従するだけのイエスマンではない。
 彼の忠義に様々な局面を持たせ、彼がゾル大佐、死神博士、ブラック将軍、ドクトルGと比べても人間臭い存在たらしめているファクターに、彼の「プライド」がある。

 勿論、単純に「プライドが高い」というだけなら他の幹部も同じである(ドクトルGとの兼ね合いを見れば一目瞭然だろう)。だが、地獄大使の場合、様々な形でのプライドが時として彼の忠義にも影響しているのである。

 一言で「プライド」と云っても、様々な形がある。一戦士としてのプライド、ショッカーの一員としてのプライド、首領の忠実な配下としてのプライド、大幹部としてのプライド等だが、特に「戦士」・「大幹部」としてのそれが、時として地獄大使をして様々な存在に牙を剥かしめ、地獄大使の個性を際立たせている。
 注目したいのは、『仮面ライダー』第78話、第79話における対首領と、『仮面ライダー1号』における対本郷猛へのそれである。

 『仮面ライダー』第78話、第79話の流れについては今更説明するまでも無いので簡単に触れるが、第78話にて仮面ライダー1号を迎撃させようとした地獄大使に対して、首領が待ったをかけた。
 ろくな説明もせず、「仮面ライダーは来ない。」の一点張りで地獄大使に作戦続行を命じたが、結果1号ライダーはガニコウモルの妨害をかいくぐり、ウニドグマは倒された。
 首領の命令に従ったのにライダー1号に妨害された地獄大使は納得いかない旨を詰問しようとしたが、これに対して首領は逆ギレ。しかもショッカーの大幹部である自分が全く知らない怪人・ガニコウモルが動いていることに愕然とした。
 このことを受けて、第79話にて地獄大使はガラガランダの作戦を仮面ライダー1号に密告し、それが為に処刑されることになり………………というのは超有名で、謂わば茶番で本郷を罠に嵌めんとした訳だが、注意しなければいけないことが2点ある。

 ◎首領地獄大使の知らない怪人を動かしていた。
 ◎首領地獄大使及びショッカーに対する裏切り準備はほぼ完了していた。

 この2点は本郷を騙す為の狂言ではなく、動かし難い事実で、地獄大使地獄大使ショッカー、それ以上に首領を裏切ったとしてもおかしくない要因である。リアルタイムな話をすると、この第79話放映直前に発行された少年誌での地獄大使ショッカーを裏切っており、放映当時に観ていた視聴者はギリギリまで地獄大使が本当にショッカー首領を裏切ったのか分からない状態にあったらしい(←リアルタイムの放映時点では道場主はまだ生まれていない)。
 故に首領を詰問した地獄大使には少なからず怒りはあっただろう。地獄大使ショッカー首領を裏切りつもりは微塵もなくても、結局ガニコウモルやゲルショッカーのことは何も知らされず、これに納得出来るとは云い難い。
 現実のサラリーマンの世界でも、社長や会社に絶対服従している重役が社長のやり方に一つや二つ納得出来ない物を抱えていることがあったとしても別段おかしい話ではない。地獄大使のプライドは忠義を揺るがさずとも、彼に一部の独断専行に走らせかねない要因は持っていたと云える。
 それゆえ、『仮面ライダーV3』の客演時には戦闘員に囚われのV3を見物させることを強要し、作戦を瓦解させかねない大失態を演じることになったともいえる。

 続いて、本郷猛に対するプライドだが、これは『仮面ライダー1号』の終盤を見れば明らかである。ライダーズとの共闘を経て何とかノバショッカーを倒したものの、瀕死の重傷を負い、立つこともままならない状態にあって尚、地獄大使は本郷に決着を要請・懇願していた。
 彼が真にショッカーのことを思うのなら、ノバショッカー打倒が成った時点で即座に撤収するべきだった。もし本郷猛が、天空寺タケルや深海マコトがショッカーに対して「問答無用で全滅させるべき。」との思考の持ち主だったら、殆ど行動不能に陥っていた地獄大使は簡単に討ち取られていただろう。
 だが、地獄大使ショッカーの存続よりも、一戦士・一幹部として仮面ライダー1号・本郷猛と尋常に勝負することにこだわった。本来なら幹部失格の愚行である
 だが、正義・悪の相違を超えてそこは本郷と地獄大使の間に戦った者同士にしか分かり得ない一種の情があったのだろう(『北斗の拳』風に云えば、「強敵」と書いて「とも」と読む様なもの)。本郷は地獄大使の必死の懇願に対して、「体を労われ」と云い残して去って行った。
 この本郷猛の行為も、「悪の殲滅」を第一優先とするなら、「正義の味方失格」である。体力を回復させた地獄大使はいつショッカーを再編して世の平和を乱しに来るか分からないのである。戦略面でいえばノバショッカーとの戦いで瀕死の重傷を負っている地獄大使を討ち取るのはいと易いことで、それをしなかったのは「悪といえども瀕死の相手を討ち取るのは正義に反する。」、「なし崩し的でもタケル・マコトを助けられた恩義に報いる。」等の解釈も可能だが、やはりそこは「仮面ライダー1号地獄大使」の間に芽生えた、彼だけの想いとプライドを相互に重んじればこそだったのだろう。



板挟みの地獄大使 ほとんど前述しているが、地獄大使は「忠義」と「プライド」の板挟みで苦闘し、奔走し続けた。
 まあ、現実の世界でもそこそこの役職に就けば上司と部下の板挟みになることは珍しい話ではない。ぺーぺーの平社員でも会社とクライアントの板挟みになることも多いし、家庭に在っても、「母と妻」、「妻と子」、「自分の身内と妻の身内」等の様々な対人会で板挟みになることはある。

 そこを考えると、縦社会で上の権威が絶大なショッカーにあって、地獄大使は上下の板挟みは然程苦ではなかっただろうし、他の幹部とも僅かな例外を除けば接点は無かったから苦しむほどではなかっただろう。
 地獄大使を板挟みにして苦しめたのは、「ショッカー大幹部としての忠義」が課す任務・立場と、「個人・幹部・戦士としてのプライド」から来る首領・仮面ライダーとの対峙であることは容易に考察出来る。

 これ以上は野暮なので割愛するが、忠義もプライドも地獄大使の個性を際立たせるファクターで、それが半世紀近くも視聴者を魅了していることだけは間違いないだろう。勿論仮面ライダー1号・本郷猛と共に。


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令和三(2021)年六月一〇日 最終更新