10.永遠の友情とは?

 特撮作品に登場した、「主人公の親友(旧友)」を追ってみた。このテーマを採り上げた時からある程度覚悟していたが、やはりその多くは悲しい再会だった。友情が完全に失せていたこともあれば、友情が残されていたゆえの悲劇もあった。
 勿論、似た例もあれば、全く異なる例もあるし、旧交も千差万別だが最後に友情を襲った悲劇の要因と、それを参考に友情とは(現実でもフィクションでも)どうあるべきかを考察したい。



何故悲劇の再会に? 少し考えてみれば悲劇的展開が多くなるのは分からないでもない。特に昭和では。

 仮面ライダーは基本的に孤独の戦士で、ウルトラ兄弟もまたかなり特殊な公職についていると思われるので、「仲間付き合い」は頻繁に描かれても、「友達付き合い」は滅多に描かれない。
 そもそもヒーローと互いに親友と認めあえる仲の者が作中でのヒーローの近況を知ればまず共闘関係に入るだろう。実際、早瀬五郎高木裕介も騙すのが目的とはいえ、共闘を申し出、本郷猛風見史郎もそれを普通に受け入れていた。
 実際、南光太郎シャドームーンにされた秋月信彦とは日常が戻らず、共闘することもなかったが、後番組である『仮面ライダーBLACK RX』にて知り合った弟分にして親友の霞のジョー(小山力也)は最後まで共闘した(途中負傷で出なかった時期は有ったが)。

 当然、「ヒーローの親友」たる人物が、レギュラーとして共闘するならヒーローの活躍を奪わない程度に活躍しなくてはならない。これは簡単な様で難しいだろう。
 スタントマンの訓練も積み、本郷猛・一文字隼人以上の殺陣を見せることも出来た滝和也を演じた千葉治郎氏は、「戦闘員3人倒したら、4人目にはやられるように。そうしないと本郷猛が弱く見えるから。」と云われたことがあるらしい(苦笑)。
 弁慶が赤心少林寺から余り出なかったのも、沖一也の見せ場を奪わないための配慮だったかも知れない。だからと云って、赤心少林一派を全滅させることもなかったと思うのだが………。
 ともあれ、霞のジョーの様なかなり恵まれた例外を除けば「ヒーローの親友」は下手に出せず、早瀬高木小針正水野一郎の様な単発出演で終わり、ストーリー性からも友情よりもライバル心がクローズアップされた結果、「かつての親友が悪に走った。」という悪展開や、親友が悲劇の最期を遂げる形で話に決着がつくものとなってしまったのだろう。

 ただ、やはり早瀬の様な友情の崩壊・裏切りは見ていて気分のいいものじゃなかったようで、それゆえ高木の様な悪に走っても「親友を死なせたくない。」と云う気持ちを持つ者や、普通に単発ストーリーから平和に退場する者も増えたのだろう。
 その点、平成以降の仮面ライダーシリーズは上手く主人公の友達を登場させていると思う。



永続する友情・取り戻せる友情 ヒーローの旧友が登場した話が嫌な終わり方をした背景には、「既に友情が壊れていた。」とするものが散見される。勿論全部が全部そうではないが、早瀬五郎小針正はその典型だっただろう。
 一方、高木裕介は、自身はデストロンの悪に加担し、デストロンに逆らえない立場に追い込まれつつも、風見史郎を本気で死なせたくないと思っていた。友情が残っていた故の悲劇だった(風見高木のデストロン加担を非難しつつも、「変わらぬ友情は嬉しいよ。」と述べていた)。

 勿論、主人公は情に厚い者達ばかりだから、再会した旧友との友情を微塵も疑っていない。おヽとりゲン和久宏の様に喧嘩別れしたのが時の流れで自然的に和解していたケースもある。
 そこで思うのだが、主人公と旧友の友情は昔通りに保てないものだったのだろうか?

 チョット、個人的なケースを当て嵌めて考えてみたのだが、道場主は余り「旧友」と云う言葉を意識したことがない。道場主の交友関係は「狭いが深い」と云うもので、サンダーミッフィーを初めとする親友とは住む場所が離れたことで何年も顔を合わせられなかったとしても、時折連絡を取り合い、自然消滅したこともない(ちなみに令和4(2022)年5月30日現在、サンダーミッフィーとの友情は30年に及んでいる)。
 勿論、親友ならずとも学校や部活での級友・同僚程度の仲なら意図的に連絡を取り合うこともないが、どこかで再会すれば笑顔であいさつを交わしはするのだが、それまでである。
 逆に云えば何年もあっていなかった旧友と再会を機に以後の行動を共にするなんてケースが無かった。そう、一度「親友」を自認した者が「旧友」になったことがないのだ。

 もし、普通に「級友」、「同期」ぐらいにしか思っていなかった者が妙に馴れ馴れしく接近してきたら、「何かあるのでは?」と勘繰ってしまうかも知れないが、基本、「来るもの拒まず。」でいたいものである。

 話を戻すが、個人的な主観からも、「終われば友情じゃないだろう?」と思っているので、早瀬小針の様に主人公を密かに妬み、逆恨みを募らせて悪に走った輩には反吐が出る。一方で、例え分かれても友情に躊躇いなく命がけの行動が取れる弁慶沼田五郎の様な友情は羨ましいし、逆にあそこまで行くと文字通り死に別れても友情は不滅なのだろう。
 『新仮面ライダーSPIRITS』沖一也は弟の分のチョロに「今の友はお前なのだから。」と云っていたが、これは弁慶との友情が死に別れで失われた訳ではなく、今尚自分を兄貴分と慕うチョロとの間に弁慶の分まで友情を保ち続けたいとの一也の願望を表したものだろう。それを考えると、単発の話で終わったとはいえ、風見高木の友情も永遠なものとなっていると思いたいところである。

 一方、喧嘩別れから時の流れや小さき者を守るための行動から友情が取り戻せた和久宏や、自身の言動では否定しながらも最期の最期の行動でシャドームーン秋月信彦の心に戻った例からも、失われた友情・壊れた友情にも修復の芽があるものもあると信じたいところである。

 結局のところ、主人公と旧友に友情が続いたケースも、失われて戻ったのも、互いが互いの理想や生き様を尊重した上で全力に生きたことで育まれたものだからではあるまいか?
 和久宏のケースでは、和久が改心後に命を落としたのは悲劇でしかなかったが、せめて盤石の友情が戻ったと信じたいし、沼田弁慶のケースなら躊躇いなく盤石の友情を信じることが出来よう。



特撮作品に学ぶ真の友情とは? 例によって独断と偏見でヒーローとその旧友との再会をクローズアップし、考察してみた。
 単発物の多くは悲劇に終わり、旧友が命を落としたケースも少なくなかった。だが、勿論本作で採り上げた者達だけがヒーローの親友ではない。
 それどころか、ヒーロー達は自分と行動を共にした仲間達をすべて「友」と呼ぶだろう。そして平成の世ではウルトラマンシリーズでは友情は異星人や一般人にも広がり、仮面ライダーシリーズでも一作品に複数の仮面ライダーが登場することで様々な友情が長く描かれ、仮面ライダーWの様に親友二人が一体となるものや、仮面ライダーフォーゼ・如月弦太朗(福士蒼汰)の様に「全員と友達になる男」まで現れた。

 まあ、余り数が多いと逆に暑い友情が描き辛くなるのだが、「現実の友情もかくあるべし。」と思わされるものが多いのは微笑ましい。
 この世に同じ人間は二人といないし、それゆえに友情の形も様々で、頻繁に会ったり、多弁な会話を交わしたりせずとも確立されている友情もある。
 そこで、本作の締めくくりに、シルバータイタンが盤石の友情を示したものとして、最も好きな台詞を紹介して締めとしたい。

フィリップ(菅田将暉)「絶好でもなんでもしたまえ。させないけどね。」
『仮面ライダーW』第16話「Fの残光/相棒をとりもどせ」より。台詞を巡る詳細は拙作『仮面ライダーW全話解説』をご参照下さい(笑))


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令和四(2022)年五月三〇日 最終更新