最終頁 「死刑存置」と「死刑廃止」の狭間で………
最終考察1 無期懲役では得られない納得
死刑求刑に対し無期懲役判決が下されると、検察・遺族・死刑存置論者の多くはブーイングの声を挙げる。勿論、そうは云っても無期懲役が確定すればもうそれ以上はどうしようもなく、ある者は無期懲役囚が仮出所を認められないままムショ内でくたばって裏出所することを望むだろうし、ある者は命の大切さをかみしめて贖罪と悔悛の日々を送ることを望むだろうし、ある者は別件による罪が出て来て改めて死刑になることを望むだろう(例:闇サイト殺人事件の堀慶末。)
かように大きなブーイングが挙がるのも、一方で被告・弁護士・被告の身内・死刑廃止派が大きく胸を撫で下ろすのも、本作で何度も主張した様に死刑と無期懲役の格差が余りにも大きいからだ。これが懲役15年の求刑に対して懲役12年の判決だったりすると不承不承でも納得する者は少なくないだろう。ただでさえ日本の裁判における判決は「求刑の7割掛け」と囁かれている(揶揄されている?)。程度の違いレベルなら多くの者は寛容である。
だが、死刑から減刑するとなると無期懲役しかないなく、無期懲役より厳しい罰は現状では死刑しかない。それもこれも双方の刑罰における格差の大きさがネックとなっている。
実際、日本における死刑廃止運動が活発化しないのも、この格差の大きさ故だろう。それ故死刑廃止論者の多くは「代替刑として、仮出所の無い終身刑の導入。」を訴える。中には「仮出所の無い」にも「重大な人権侵害。」として否定的な死刑廃止論者もいると思われるが、それでも「終身刑」という単語が出て来ることが多いのは、「いくら何でも無期懲役が最高刑なのは問題」と考える者が多いからだろう。
まあ、海外の例で云えば、ノルウェーは77人もの人間を殺害したノルウェー連続テロ事件のアンネシュ・ブレイビクに課せられた刑が禁固21年で、これが最高刑(しかも10年で出られる可能性が有り、ブレイビクは丸で反省せず、刑務所内の待遇改善を要求している!)なのだから、人権派の中には終身刑や無期懲役にすら否定的な者がいてもおかしくはない。
もっとも、現況で死刑存置派が8割を超える日本で、例え死刑が廃止されるにせよここまで大甘な刑罰改正(改悪?)が成されるとは考え難いが、死刑廃止を真剣に考える人ほど、死刑と無期懲役の格差の大きさは真剣に認識し、死刑の代替として無期懲役では到底納得されないことを理解し、代替案を真剣に考えて欲しい。
ついでを云うと、仮に終身刑が導入されたとしても、やはり死刑との格差は小さいとは云えない。そう考える俺の意見は既に論述済みだが、死刑廃止派とて、「命」という掛け替えのないものを重んじるからこそ死刑に反対するのだから、「死刑」と「死刑より軽い刑」の格差が決して小さくならないことは貴方方も認識している筈である。
少なくともこの点を無視・軽視しては死刑廃止派の増加は見込めないだろう。例え終身刑を導入したとしても。
最終考察2 無期懲役と終身刑の併存について
さて、少し上述にて死刑廃止論者に助言するような文を綴ったが、俺自身はあくまで死刑存置派である。自分が人を殺めておいて自分の命が奪われることに反対する理不尽な主張を俺は認めることは出来ない。だが、その一方で、死刑と無期懲役の格差故に、俺は終身刑の導入には賛成である。
もし終身刑が導入されれば、単純な話ではないが、案件によっては死刑囚に対して、「終身刑の方が良いのでは?」と思うケースも、無期懲役囚に対して、「終身刑にするならまだ納得出来るかもな……。」と考えるケースも出て来るのではないかと思われる。
勿論、「死刑廃止の代替としての終身刑導入」を望んでいる訳では無い。死刑も終身刑も無期懲役も併存した刑の運用を望んでいるのである。
終身刑導入の難しさに、「一生刑務所から出すものか!」と云いたくなる程の凶悪犯罪をやらかした人でなしを真面目に服役させられるのか?という問題があると聞いている。
現行の懲役刑でも所内で暴れたり、刑務官に逆らったりして雑居房と懲罰房を往復する囚人は存在する。それでも「一日も早く出所したい!」と望んで真面目に服役する模範囚も決して少なくはない。
だが、もし「仮出所の可能性0%」を突き付けられた時、理不尽に多くの人々を殺めた様な凶悪で身勝手な囚人が果たして大人しく服役するであろうか?
それゆえに俺が考えるのは、終身刑と無期懲役とを併存させつつ、無期懲役は現状よりは仮出所条件を緩め、終身刑に対しては針の穴の如き狭き門でも、「悔悛の情が深く、服役態度が真面目であれば、仮出所の可能性も出て来る」とすべき、というものである。
何度も繰り返しているが、死刑と無期懲役の格差は大きい。当然無期懲役囚の中にも、許し難い者と許せる者の格差は大きいだろう。個人的な所感で例を挙げれば、闇サイト殺人事件で無期懲役が確定し、服役態度が悪くて懲罰房に何度も入れられている川岸健治は一生出すべきではないし、余程悔悛と贖罪を示さない限り、仮出所の「か」の字を匂わせる必要もない。
一方で、元々善良な医師で、教祖の命令に逆らえずに地下鉄サリン事件で人を殺めたものの、心底罪を悔い、事件の全容解明に尽力し、自分が手に掛けた犠牲者のみならず、同事件で負傷した3000人以上の人々すべての名前を暗記して毎日謝罪しながら念仏を唱えていると云う林郁夫受刑者であれば、事件からもうすぐ30年が経過することもあり、仮出所対象としても良いのではないか?と考える。
両者の例が極端過ぎるかも知れないが、同じ無期懲役を科されていても、罪状・罪悪感・悔悛・服役態度にこれだけの相違・格差がある。現状の無期懲役を終身刑と併存させるか、無期懲役の中にもランク付けする刑法改正は死刑の有無に関係なく必要だと俺は思う。
最終考察3 今一度重んじるべき、「無期」の意味
無期懲役と死刑の格差が大きいことをくどいぐらいに訴えた。それは偏に「命」の重大さを重んじればこそである。
同時に同じ無期懲役を科されている者でも、仮出所の見込める者、到底見込めない者を含め、かなり千差万別であることも訴えた。
俺は常日頃凶悪犯の死刑を訴えている故に、本作を振り返ってみても、かなり無期懲役を軽く云っている様に捉えた閲覧者の方々は少なくないのではないだろうか?だが、それはあくまで死刑との比較からであって、俺は決してと無期懲役いう刑罰を軽く考えてはいない。
たしかに「無期」という接頭語はその曖昧さゆえに時に軽く捕らえられがちかも知れない。だが無期懲役は勿論、無期停学、無期限活動停止、無期限入場禁止と、科せられる方から見れば終わりの見えない「無期」は非常に厳しい。
過去―(刑法改正前)―に無期懲役刑を食らったものの中には15年程で仮出所した者もいるだろうけれど、その人物が無期懲役判決に受けた衝撃は懲役20年の判決を受けた者のそれより大きかったことだろう。
一方で、服役に終わりが来て欲しくない被害者サイドにしてみれば、「無期」は余りに心許ない。実態が断じ難い故に立場で厳しくも甘くも映る「無期」だが、本作でも触れたように有期刑の上限が30年である現在、無期懲役囚は少なくとも30年が経過しないと仮出所議論の対象にすらならない。年齢もよるが、「後30年待て。」は人の一生における割合で云えば重い。
普段凶悪犯の死刑を訴え、無期懲役判決に不服をぶーたれている俺だが、そもそも無期懲役が求刑され、科される犯罪は重罪で、死刑との格差の大きさがあるとは云え、(真っ当な)人が課される刑罰として非常に重いと思ってはいる。
俺は懲役に行った経験は無いが、取調室に入れられたことはある。勿論何もやっていないので数時間の取り調べで釈放されたが、それでも非常に気分の悪いものだったので、逮捕されたり、留置所や拘置所に入れられたりするだけでも辛いのは想像に難くないし、それが懲役ともなると短くて半年だとしても非常に耐え難いものと想像される。
ましてそれが「無期」−終わりが見えないとなるとはっきり云って生き地獄であろう。
もし本作を読んでいる方々の中に凶悪犯罪を目論んでいる者がいるなら(いて欲しくないが)、無期懲役が決して甘い刑罰ではなく、長い辛苦の果てに仮出所しても娑婆が本来とはかけ離れた厳しい世界となってしまうことや、死刑でないことに世間が厳しい目を向けてくることを本作から読み取って、馬鹿な事件を起こすことを思い留まって欲しいものである。
令和6(2024)年5月7日 法倫房リトルボギー
不良刑事三白眼かく語りき
今後「判例主義」に代わって「生成AI」で判断支援させるようにでもなるのかしら。
そもそも、検察、弁護士、裁判官…というか、今後高給取りのお仕事はAIに置き換えられていくんやろうな。
そして近い将来、現行の裁判制度そのものについて、改めて考え直されることになるかと。
「裁判官の心証?」
「凡例主義?」
前 近 代 的 す ぎ る ん じ ゃ ボ ケ ! ! ! ! !
しかし…
以下『聖書』の丸パクリを貼り付けるが、
「生身の人間」しかできない判断、つまり生成AIにも「得意」「不得意」があることをお忘れなく。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。←「モーセの律法を学習した生成AIが、まず最初に下す判断。」
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」←「この判断は、生成AIに相当量の学習をさせないと無理。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」←「この判断は、生身の人間でないとほぼ無理。」
(ヨハネ福音書 8:3〜11)
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令和六(2024)年一二月一九日 最終更新