第7頁 「刑務所に戻りたい………。」という輩について

考察1 「娑婆の方が地獄………」と認識される大問題
 刑務所を出所しながら戻りたがる奴がいる。そして刑務所に戻る為には罪を犯し、裁判所で実刑判決を下されるという「プロセス」が必要になる。当然新たな被害者が発生するのである。

 果して、そこまで刑務所とは戻りたいところなのだろうか?

 これはもう比較対象の結果だと思われる。
 俺は刑務所に入ったことが無いから、服役生活の過酷さを書籍やネットでしか知らない。そこから想像するに絶対入りたくないと思っている。第1頁でも述べたが、酒が飲めず、ライブに行けず、性行為を抜きにしても女性との接触がないなんて想像するだけで気が狂いそうである
 また、実際に刑務所に入ったことのある(と称する)人が、「二度とあんなところに戻りたくないから今度こそ真面目に生きていく。」と云っていたのを見たこともある。

 だが、そんな刑務所に戻りたがる者がいるというのである。勿論、そんな輩にとっては刑務所より娑婆の方が辛い世界になっているからである。
 まあ、考えられる要因を挙げればキリがないが、少し箇条書きにして見ると、

・出所したものの、仕事・社会人としての居場所が無い。
・前科者として周囲から向けられる白眼視に耐えられない。
・世の中には刑務作業以上に過酷な労働を強いるブラック企業が山とある。
・刑務所に戻れば同じ境遇の仲間がいる。
・服役前後で変わった世相について行けない。

 等が考えられ、中には「そもそも服役したテメーの自業自得だろうが!」と云いたくなるものもある。そして出所者の心情がどうあれ、「また戻りたい…。」等という動機で犯罪に巻き込まれなくてはならない謂われなど、誰にもない!
 生活に困った出所者が無銭飲食や万引きでまた塀の中に戻る程度ならまだ可愛げもあるが(←道場主「そうか?」)、長く居たいが為に殺人や傷害と云った凶悪犯罪が為されてた日にゃ、懲役も更生プログラムも丸で機能していなかったことになる。
 服役囚を虐待しろという訳では無いが、それでもまずは刑務所には「二度と戻りたくないところ。」であってしかるべきだろう。


考察2 本当に娑婆の方が地獄なのか?
 一度、服役経験者何人かにインタビューしてみたいところではある。
 何年もの懲役刑を受けて娑婆に出て来たことに対して、実際何割の出所者が「出て来れて良かった、もう戻りたくない…。」と思い、何割の出所者が「娑婆の方が酷い!刑務所の方がマシ!」と思っているのか………。
 勿論、身元引受人の有無や、職の有無、前科者となった身内を迎えてくれる身内の温度感や待遇の違いもあるだろうから単純比較出来る話ではないだろうけれど。

 これまた想像するしかないのだが、例えば、出所者が元々人望のある人物で、罪を犯した情状が周囲から理解されていたり、そもそも無実と確信されていたり、家族が温かく迎えたりしてくれた上に、前科者であることが完全に隠蔽された環境下での職があれば娑婆は「戻って来て良かった。」という環境となろう。
 また、娑婆が辛くとも自分の犯した罪を心底悔いている者ならば歯を食いしばって懸命に娑婆に生きるだろう。

 一方で、自分の犯した罪に対して、当時の環境や周囲の人間や被害者を逆恨みし、古巣でまともな対人関係が築けない、或いは築けないと思い込んでいる者だったり、真っ当な復職が見込めないものであったり、前科者となった自分を身内や旧知の人々が白眼視して待ち構えている様な環境であれば、娑婆は生き地獄となり、「自分と同じ脛に傷を持つ身の者がわんさかいる刑務所の方がマシ。」と考えるようになっても無理のない話である。

 ただ、繰り返しになるが、仮出所者の心情がどうであれ、仮出所となった上は今度こそまっとうに生き、二度と罪を犯してもらう訳にはいかない。刑務所が服役囚・仮出所者をして「二度と戻ってくるものか!」と思わしめる環境であること大切ではあるが、それ以上に娑婆が「やはり出て来て良かった………。」と思える環境であることも大切で、前者が「戻りたくない」と思われ、後者が「戻って来て良かった。」と思われるのであれば再犯率は大幅に低下すると思われるが如何だろうか?

 参考までに、少年院の教官を務めた友人に20年程前に聞いた話では、少年院退院者の再犯率は五割とのことだった。ただ、この再犯、軽犯罪もカウントされるので、単純計算で退院者の半数以上は少なくとも少年院にぶち込まれる程の重罪は犯していないことになる。
 つまり現行でも入院前と退院後とでは、改善された者の方が多いことになる。ただ友人云わせると、少年院は処罰よりも攻勢を重んじる施設なので更生率が高いが、処罰を旨とする刑務所では少年院程には更生に力は入れられていないらしい。友人曰く、「三回(刑務所に)入ってくる奴はマジで救いがない。」とのことだった。となると、増々刑務所とは生き地獄であるべきなのだが、かといって、本当に生き地獄にするとなると人権上の問題も出て来るし、服役囚に苛斂誅求を課す刑務官の心の痛みも軽視出来ない。
 月並みだが、刑務所の厳しさと、出所者を迎え入れる環境の双方が大切なのだろう。


考察3 閉鎖社会の実態を詳らかに
 死刑存廃問題も、終身刑導入も、刑務所・少年院での更生と処罰を巡る問題も、「今のままでいい。」と思っている人は殆んどいないと思われる。単純に云って、厳罰派には現況は甘過ぎるだろうし、人権派には現況は厳し過ぎるだろう。
 だが、様々な意見が出て、改善が社会において声高に叫ばれているにもかかわらず、立法にはこれらを変えようと云う動きが殆んど見られない。これには日本社会独特の「臭い物に蓋。」という傾向も根強いと思われるが、議論すら起きない要因として、「情報開示不足」が大きいと俺は見ている。

 少し話が逸れるが、死刑廃止論者には現代日本に死刑存置派が多く、死刑廃止に向かわないのは死刑制度及び死刑運用がブラックボックスに覆われ、情報が開示されていないため、と訴える者が多い。
 丸で「様々な情報が開示されれば死刑廃止派が増えるに決まっている。」と云わんばかりの云い様には眉を顰めたくなるが、俺自身、情報開示には賛成である。死刑囚の人権問題だけではなく、被害者遺族の無念や心情の面でも死刑制度には開示されていないことが多過ぎる。
 実際、かつて法務省は死刑を執行してもそれを公表していなかったし、公表することになった現代でも、死刑執行の決断・運用・今後に対するマスコミのインタビューに対して「回答を差し引かる。」を連発し、御世辞にも「開かれた情報社会」と縁遠いと云わざるを得ない。
 実際、死刑に関する情報がもっと公開されれば、死刑廃止論者達が期待している様に死刑存置派から死刑廃止派に転向する者は間違いなく出て来るだろう。逆に「甘過ぎる!もっと厳しい運用を!」と叫ぶ存置派も出て来るだろう。
 ただ、如何なる判断であれ、浅薄な知識や情報量によってなされるよりは豊富な知識と情報を熟慮した上で為された方が好ましいことに間違いはないだろう。そう云う意味でも、

 服役囚がどんな生活を送っているのか?
 どんな更生プログラムが組まれているのか?
 模範囚がどんな実態と理由で刑期が短縮されるのか?
 問題行動を繰り返す服役囚にはどんな懲罰が与えられるのか?
 心底前非を悔いた服役囚が贖罪や賠償の為にどんな尽力をしているのか?
 反省・悔悛を深める服役囚に対して被害者遺族はどう思っているのか?
 塀の中を行ったり来たりする犯罪常習者に対して刑務所がどう接しているのか?

 これらのすべてを公表するのは制度・防犯・プライバシー・更生阻害といった諸問題から困難だとは思うが、個人情報を伏せつつも少しは現状より開示して欲しい。
 情報が開示されることで、

 「刑務所ってそんなひどいところなのか………懲役を食らうような罪を犯しちゃいかんな。」
 「ムショ内でそんな酷い目に遭っているのか………ざまあ見ろ!」
 「はあ?あんな悪いことして、その程度の痛い目にしか見てないの?甘過ぎる!」
 「いくら囚人が相手でもこの待遇は酷過ぎる………。」
 「この囚人、ここまで反省しているなら刑期を少し短くしても良いのでは?」
 「丸っ切り反省してないな………まだまだこいつを塀の外に出しちゃあいけない。」
 「そうかそうか、本当に自分のやったことを悔いて塀の中でも被害者の為にそこまでしているのか………こいつは出てきた後は大丈夫だろうな。」

 と様々な囚人に対して、様々な人々が、様々な意見を抱くことだろう。
 これにより刑務所という世界が本当に大切な人権を重んじた上で、反省なき者には厳しく、反省している者にはそれを考慮した待遇を為し、出所者に対して社会が厳しさと温かさの双方を持った目で迎え入れる環境が整うのが一番好ましいだろう。
 勿論、ここまでの改善は極めて困難だろうし、開示出来る情報もどうあっても開示出来ない情報もあるだろうけれど、少なくとも現状は伏せられ過ぎで、この情報量で現状を改善する適切な判断は到底為すことは出来ないだろう。


不良刑事三白眼かく語りき

 ここもパス。
 ※「ブラックボックス化以上の恐怖はない。
 そこも想像、予測できず自己中心的な動機で殺人するような奴なんか、豆腐の角で頭ぶつけて(以下略


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令和六(2024)年一二月一九日 最終更新