第捌頁 母は違えど、兄弟は兄弟

 本来、家は「嫡男」が継ぐものである。つまり正室が最初の男児を生み、その子が立派に成長すれば、何の問題も生じない。
 しかし、正室が男児を産めなかったり、側室が先に優秀な男児を生んだり、妻妾の実家や取り巻きが権力に目を眩ませて子供達を担ぎ上げたり、せっかく生まれた「嫡男」が廃嫡せざるを得ない程素行に問題が有ったり、不幸にして夭折して後継問題をややこしくしたりした例は悲しくなるほど数多く存在する。
 本作でも「庶長子」に生まれたゆえ、後から生まれた「嫡男」たる異母弟との関係や、父親との関係や、置かれた立場に苦しんだ者達を論述して来た。しかし、時代や状況がどうあれど、皆、血の繋がった一族なのである。特に「庶長子」と「嫡男」は、母は違えど、同じ父を持つれっきとした兄弟である。
 それゆえ、本作の締めであるこの頁では「庶長子」と「嫡男」の問題が持つ根というものに触れ、既に「庶長子」と「嫡男」という問題を(制度上は)生まなくなった現代でも「兄弟」というものを考え、活かすものとして終わらせたい。
「庶長子」の定義 そもそも「庶子」という言葉が国語的に持つ意味が広過ぎる。本来の意味は「正式な婚姻関係にない両親から生まれた子」という意味で、時代や状況にもよるが、が現代では「婚外子」を差し、余りイメージは良くない。加えて、父親から認知されない場合は「母親の私生児」となる。
 勿論、江戸時代以前では大名は一夫多妻制で、時代が戻る程身分が低くても一夫多妻傾向は強く、『魏志倭人伝』には「奴婢でも二、三人の妻がいた。」と記されている。
 それゆえ、鎌倉〜江戸時代では「庶長子」と云えば、「側室から生まれた子供の中での最年長」という意味だった。だが、それ以前の時代では正室・側室の相違も曖昧で、妻の実家の身分による「実質的な正室」か、夫から抜群の寵愛を得たことによる「情の上での正室」かでも大きく異なっただろう。

 勿論、正室の中には婚姻初期だけ義務的に愛されただけで、後は形式的なお飾りで生涯を終えた不幸な女性も少なくない。寵愛面以外にも体質的な問題で正室が子供を産めなかったケースは枚挙に暇がなく、そうなると側室は早い者勝ちである。
 かくして生まれた「庶長子」だと「実質嫡男」も同然である。同時に混迷を極めた時代には長男だからと云って家を継げるとは限らず、廃嫡された者もいれば、早世した者もいた。逆を云えば、正室の次男、三男、または庶長子にお鉢が回って来ることは充分あり得たし、血統上は「庶長子」でも、嫡男当然となり、立派に家を継いだ者は前作『嫡男はつらいよ』でも、本作でも採り上げられている。
 薩摩守のイメージ的には、嫡流にこだわったのは鎌倉時代の北条氏、徳川家康、徳川吉宗辺りが思い浮かぶが、家康、吉宗は状況による変化が大きく、真の意味で嫡流を重んじたのは北条家ぐらいだと思っている。

 こうなると、一口に「庶長子」という存在も時代、兄弟状況、父親の寵愛次第ではなかなか云いきれないものである。


格差への自覚 「庶長子」が「嫡男」に対してどれほど格差を感じていたか?状況によりかなり異なるだろう。
 まず正室が全く子供を生まなかったら、「嫡男」が存在しないので、「庶長子」は余程生母の身分が低くない限りは「事実上の嫡男」となる。
 加えて、「男児が自分一人」で有れば、余程素行に問題がない限り「後継者」である。この様な場合は悩む必要もないだろう。

 また、「嫡男」が極端に無能だったり、病弱だったりした場合は期待が高まるだろう。もっとも、正室が多数の男児を生んでいる場合は期待も持てない訳だが。

 となると、

 「後継者の立場に手が届きそうで届かない状態」且つ、「父親の持つ権威権力が絶大」

 となった場合に「格差」は自覚されるのではないだろうか?
 つまり継承するものに旨味がなければ継承に執着することもなく、また物凄い権威・権力を持つ父の子に生まれても、端から「庶流」や「兄弟順」といった立場的に継承権順位が絶望的に低ければ「他の生き方」を探す者も多いだろう(例:後継者がいない他家との養子縁組)。

 嫌な云い方をすれば、父親から継承する権威・権力が絶大で有れば、兄弟順位が低い者や、庶流のものでも、本人やその外戚・取り巻きが謀略、讒言、ひどい時には暗殺という手段を尽くしてまで継承権を掌握しようとした、実際にされた例もまた数多く存在する。

 いずれにせよ、「格差」が自覚されることは概して不幸なことの様に映る。勿論、それを無視できるほど良好な関係を築いた兄弟だって多く、家は継げずとも、然るべき権力・財力・才能でもって幸福な人生を送った「庶長子」だって多い訳だが。


現代に「庶長子」を生まない為に 明治以降、日本は一夫一妻制となった。それは身分に関係なく皇室とて例外ではなかった。
 昭和初期、昭和天皇は妻である香淳皇后がなかなか男児を得られず、華族達が「皇后様は女腹」と非難し(←ひどい奴等だ)、宮内で側室制度復活が本格的に検討された折、心労とプレッシャーに苦しむ皇后を気遣うとともに、この案に対して「人倫に反する事は出来ない。」として、これを拒否した。
 この話を亡き父から聞いた時道場主は、いくら後継者たる皇太子が望まれるからと云って、正妻以外の妻を持つことを良しとしなかった昭和天皇の高潔さと、皇后陛下への思い遣りには頭が下がる想いがした。

 それに引き換え 性欲に目が眩んだ不倫の過程でろくすっぽ避妊もせずに「不義の子」を作る様な輩は大いに恥じろ、と云いたい

 勿論、一夫一妻性の時代にこんな非難の言葉が出ること自体、世の中に不義密通が横行し、正式な夫婦以外の間に生まれ続ける子供が後を断たないからである。
 政治家、大企業の社長、重役、一流芸能者ほどその傾向が強いが、事は男女の仲なので、社会的地位は必ずしも関係せず、中には一時の快楽のためにロクな避妊もしない為に出来てしまった子供も多い。
 社会的地位のある人間なら認知し、然るべき養育が為されることも多いが、そうでない場合は、ふざけたことに子供が勝手に作った親達に疎んじられ、憎まれ、邪魔者扱いされたりするのだから目も当てられない。

 中には、ちゃんと結婚するつもりだったのだが父親が不幸に見舞われたり、正式な夫婦だったのが離婚や父の死後に生まれたり、強姦被害の末に出来てしまったり、と「婚外子」も様々な上、その様にして生まれて来た人々自身には何の罪もないので、非難に関しては終わるが、最後に原因について述べ、後世への教訓としたい(←ここは敢えて偉そうにそう述べる)。

 問題は二つある。
 一つは、日本社会が社会的地位のある人間の不義密通に対して呆れるほど寛容ということがある。
 四半世紀前、醜聞が原因(それだけではないのだが)で、短期間で総理大臣の地位を追われた人物がいたが、当時高校生だった道場主は、級友達と、「あの顔でスキャンダル?笑わせるな!」と揶揄し、直後に行われた参議院議員選挙でも総理の女性問題は野党に寄る追及の手口に利用され、与党は立党以来の大惨敗を喫した。
 だが、大惨敗の主因はそれ以前に成立した大型間接税の導入と、大企業による贈収賄問題で、問題の醜聞に関しては、与党議員も、マスコミも、世間も、「あれだけの地位にいる人物ならお妾さんの二、三人はいてもむしろ当然」という風潮が色濃く存在していた。
 ただでさえ日本人及び、日本社会は「皆やっている!」の一言で罪悪感というものを物凄く軽減させる民族であり、社会である。
 だが、「お妾さんがいて当たり前」の人物が作った「正妻の子」と「妾の子」達が権力、財力の後継を巡って如何に醜い争いを繰り広げているかを知ってまで「当然」等と寛容になれるだろうか?

 人間の愛情の問題には他人は立ち入れないから安直な批判は慎みたいのだが、子供達の立場を想うなら、望ましいことではないことながらも離婚という手段を使ってでも、子供は正式な妻との間にのみ儲けることを良しとする、当然社会であって欲しい。
 どうしても性欲に勝てないならせめて避妊をしっかりと。でも、子育てにいい加減な奴ほど、作る行為は好きな上にいい加減なんだよなあ……。


 もう一つは興味本位な情報の横行だろう
 昨今の若者達の性認識(避妊や、いざ子供が出来た際への考え)には呆れたものがあるが、これも情報発達社会の中で肝心な知識を置き去りにした興味本位の情報に老若男女問わず踊らされているからで、しっかりした知識・考えもないまま性行為だけが横行するから、正式な夫婦以外から生まれた子供は余計に奇異の視線に曝されたりもする。

 勿論、世の中、金や権力に目が眩めば、正式な夫婦の間から生まれた実の兄弟同士でも醜い争いが繰り広げられることもあるし、親同士は親同士として、片親が異なってもちゃんと愛し合う兄弟も少なくない。
 兄弟問題に限らず、「如何にして生まれたか?」ではなく、「如何なる者か?」が尊重される世でなければならないのだが、その様な世が到来するにはまだまだ時間がかかりそうで、そのための努力は予断を許さないと云えよう。いまだ出自で人を判断する傾向は根強いのだから。
 だが、その様な社会が成立した暁には、「庶長子」としての立場に苦しむ生涯を送った歴史上の人達も少しは浮かばれるのではないだろうか?


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令和三(2021)年六月三日 最終更新