第9頁 一般ピープル(その2)……同情が罵倒に変わるとき
作品 『ウルトラマンメビウス』第45話「デスレムのたくらみ」 被害者 一般ピープル? 真の加害者 策謀宇宙人デスレム 矛先を向けられた者 CRUE GUYES JAPAN 解決 キクチ電気店を通じてのGUYESの意志表明
事件 事の起こりは策謀宇宙人デスレムよるフェニックスネスト襲撃である。
前話である第44話で月に行っていたCRUE GUYES JAPAN(以下「GUYES」と表記)の面々は第45話冒頭でフェニックスネストにて地球に帰還しようとしていた。
そこにデスレムの襲撃を受け、当初空中で大爆発を起こし、全員為す術なく死亡したかた思われた。
だが、実際には誰も死んでいなかった。襲撃直後は一人地球に残っていたヒビノ・ミライ(五十嵐隼士)と、搭乗員の中で唯一人帰還したイカルガ・ジョージ(渡辺大輔)を除いて全員が死亡したと思われ、一般ピープル達は若い身空で殉職した(と思われた) GUYESの面々に涙し、仇討ちが為されることを切望したのだが、そもそもジョージの帰還自体がデスレムの脅迫を受けての釈放だった。
GUYESのメンバーサコミズ・シンゴ隊長(田中実)、アイハラ・リュウ(仁科克基)、カザマ・マリナ(斉川あい)、クゼ・テッペイ(内野謙太)、アマガイ・コノミ(平田弥里)はフェニックスネストごと亜空間に閉じ込められて人質状態とされており、ジョージはデスレムから「ウルトラマンメビウスの完全なる敗北」を要求するよう命じられていた。
そのデスレムが地球に降り立ち、ミライがウルトラマンメビウスに変身して対峙した直後はメビウスによるGUYESの仇討ちを叫んでいた一般ピープル達だったが、GUYESの面々が人質状態となって生きていて、それが為にメビウスがデスレムに抵抗出来ないと知った途端に掌を返した。
要は、地球を守る防衛組織の面々が生きて虜囚の辱めを受け、ウルトラマンや残るメンバーの足手まといになっていることに憤慨したのである。
最終的にテッペイの機転で地球に向けたメッセージが電器店の社長(きくち英一)に傍受され、それによってGUYESの意志(自分達の犠牲に構わずメビウスに戦って欲しいと思っていたこと)が一般ピープルに伝わり、彼等もその意を受けてGUYESへの悪意を撤回したことでメビウスは戦意を取り戻し、業を煮やしたデスレムによる人質殺害もウルトラマンジャックに阻止されたこと、デスレムはメビュームバーストとスペシウム光線を受けて討ち取られ、事件は解決したのだった。
生じた被害と怨み 実の所、実害はなかった。ウルトラマンメビウス=ヒビノ・ミライは一時的に精神に物凄いダメージを受け、GUYESの面々も自分達の意志が伝わるまではその名誉を著しく低下させたが、一般ピープルに実害はなく、一人の犠牲者も、一棟の破壊も無かった。
強いて云えば、「自分達の味方である筈のウルトラマンメビウスとGUYESが人質問題でまともに戦ってくれない」という強烈な不安を抱いたことが唯一の被害だったと云える。
この第45話を振り返ってみて、正直、デスレムが何をしたかったのか、イマイチピンと来ていない。デスレムは宇宙暗黒大皇帝エンペラ星人の直臣である暗黒四天王一人で、「謀将」の二つ名を持つ存在だったことから、最終目的がウルトラマンメビウスを含むウルトラ一族の抹殺と地球支配だったことははっきりしている。
そして「謀将」の二つ名通り、同じ四天王の一人である異次元人ヤプール(「邪将」)や悪質宇宙人メフィラス星人(「知将」)もかくやと云いたくなる陰険な策謀家で、いざ殴り合いが始まると信じられないくらい弱かったことから(笑)も、メビウスに地球人不信を植え付けることが目的だったと思われるが、そうやってメビウスを精神的に弱め、人質をたてに嬲り殺しに成功したところでまだまだウルトラ兄弟は沢山いるし、組織としてのGUYESがフェニックスネスト乗組員を見殺しにしてデスレム一派に攻勢に出る可能性だってあっただろうし、フェニックスネスト内のGUYESの面々は重傷を負っていた者の拘束されていた訳ではなかったので、自害して人質状態を介抱することだって考えられた。
何より、デスレムが人質を殺害せんとしたとき、ウルトラマンジャックによって完全に阻止されていたことを思うと、ジャックはいつでも人質を助けてメビウスに戦意を取り戻すことが可能でありながら、メビウスに地球人との関係を真剣に考えるようにする為、敢えて郷秀樹(団時朗)として接し、地球人を本気で愛する為にその美しい所も醜い所もしっかり見据えるよう助言する程度に留めていた。
そう考えると、デスレムの人質作戦は最初から成功も、その後の成果も見込めないものだったと云わざるを得ない(笑)。二話後の第47話でメフィラス星人がメビウスとGUYESの絆の強さを見て、「我々四天王が何故貴方方如きに敗れ去ったのかが分かった。」としていたが、少なくともデスレムの敗北は必然だったと断言出来よう(笑)。
恨みの理不尽性 本作で採り上げた「筋違いな怨み」の中でも、実害がなかった分、そして最終的に和解(?)が成立した分、まだ本頁における話はマシな方である。
ただ、それでもリアルタイムでこの第45話は見ていたとき、シルバータイタンは一般ピープルの掌返しにはかなり頭に来たものだった。
上述した様に、一般ピープルは当初デスレムの襲撃を受けてGUYESの面々が殉職したと見て、その犠牲に涙を流し、心から悲しんでいた。実際、襲撃はフェニックスネストが地球にその機影を見せ、ヒビノ・ミライがその帰還を喜んだ瞬間に為され、空中爆発(ではなかったのだが)を目の当たりにしては、全員が死亡したと見るのが普通で、直後に「生存者一名」と云う報道音声があったことの方が意外だった。
勿論、番組構成上GUYESの面々が全滅したと思う視聴者はいなかったと思われるが(笑)、一般ピープルはデスレムによって人質状態のフェニックスネストが提示されるまでGUYESの面々は死んだものとばかり思っていた。それが「生きていて、あまつさえ人質になっている」ということを知って、掌を返した。
この時シルバータイタンはTV画面に向かって叫んだ。
「死んでれば良かったのかよ!?!」
と。
確かに職務からすれば、人質状態に陥り、ウルトラマンメビウスや地球に残るGUYESのメンバー(ミライとジョージ)が攻勢に出られない状況はある種の「失態」と云えなくもない。ただ、それはあくまで職務上の話だ。
人情としては「死んだと思っていた若者が生きていた。」に多少は心安らかにして欲しかったし、可能不可能は別として「人質奪還」を巡る作戦なり交渉なりの動きが模索されて然るべきだったことだろう。
シルバータイタンの偏見かも知れないが、正義のチームが生きて人質となっていたと分かった途端に一般ピープルが掌を返したのも、戦時中の「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓が平成・令和の現代も何処かで引き摺られているからではなかろうか?
拙サイト閲覧者の方から教えられたことだが、この悪名高い戦陣訓も、本来は「降伏を決して認めない、降伏するぐらいなら死ね!」と云う苛烈なものでは無く、敵兵の捕虜になることが時として耳目を覆いたくなるような虐待を受ける可能性を持つため、「そんな辱めの果てに殺されるぐらいなら潔い自決を。」の意味合いが強かったらしい。
だが、日中戦争の頃にはこの戦陣訓は自軍はおろか、敵兵や一般市民の降伏すら否定する側面を色濃くし、それが為に敗色濃厚にもかかわらず国家が「降伏」と云う選択肢を採ることを大幅に遅らせ、国内外で夥しい犠牲を生むこととなった。
それゆえ、昨今では「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は「生き延びることを否定した悪しき教え」とのイメージを強くしつつも、どこかで「大義を守って戦う者に「降伏」はあり得ない。」というある種のカッコ良さも根強く残しているように思われる。
ともあれ、シルバータイタンが最も「理不尽」として怒りを抱いたのは、一般ピープル達が、あれほど「死んだ!」と思ってその犠牲を悲しんでいたGUYESの面々が生きていたことに掌を返して、「恥を知れ!」と云わんばかりの罵声を浴びせ、生還を喜ぶ様子を欠片も見せなかったことだった。
ただ、まあ、キクチ電器店の無線を通じて、GUYESの意志―人質状態が決して彼等の本意ではなく、地球が守られる為には死をも覚悟していること―を知った際には、その決意を感じ入り、メビウスに対してGUYESの面々を助けて欲しいと懇願していたので、彼等の逆怨みは一時的なもので、本当に討つべきがデスレムであることを失念していた訳ではないのがすぐに分かったからまだマシな話だった。
付け加えるなら、一般ピープル達は決して安全地帯から文句をぶー垂れていた訳ではなかった。メビウスの攻撃を受けたデスレムが業を煮やして攻撃を仕掛けた対象には人質としていたGUYESの面々だけではなく、付近にいた含まれていた一般ピープル達も含まれていた。
幸い、ジョージが放ったメテオール・キャプチャーキューブに守られ、デスレムの攻撃は阻止され、一人の怪我人も出なかったが、自分達の意見を叫ぶのに、自分達もまた危険な場に居合わせていた分、この頁の一般ピープルは第2頁で採り上げた一般ピープルよりはマシだったと云える。
最終的に罵倒も逆恨みも一時的なもので終わり、破壊も殺害も無かったのでこの話は「ひでぇ話」としては影が薄い。しかし現実の世界でも警察官・消防隊員・自衛隊員等、一般ピープルを守る為に時として殉職の危険に曝されかねない職種の人々が実在する。
そして宇宙人ならずとも、現実に存在するテロリスト・反社組織員・犯罪者によって彼等が心ならずも人質にされることが在り得ないとは云い切れない。恐らくそんな事件が起きた時、その職種にある者は人質として足手まといになるぐらいなら殉職を覚悟し、組織の側でも犠牲を「やむなし」との判断を下す可能性は高いだろう。
だが、その犠牲を「当たり前」とだけは思いたくないものである、人として。
次頁へ
前頁へ戻る
冒頭へ戻る
特撮房へ戻る
令和六(2024)年一月三日 最終更新